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山を買って古民家スローライフ 〜精霊たちと暮らすDIYな田舎暮らし〜  作者: 猫野いちば


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204/235

第204話

 夜のうちに、ばちん、が三度した。一度目は寝入りばな、二度目は真夜中、三度目は明け方近く。数えるつもりはなかったのに、目が覚めるたびに数がひとつ増えていた。


 古い家は音がよく通る。軒下で鳴ったものが、天井裏を伝って枕もとまで降りてくる。


 起きて雨戸を開け、軒下を覗くと、昨日拾ってきたそいつが、毛布の上で丸まっていた。拳ふたつぶんの、輪郭のはっきりしない影のかたまり。そのなかに細い光が二つ、こちらを向いている。


 夜のあいだに動いた気配はない。焦げた上着は昨日のまま脇に畳んであって、そのまわりの土だけが、ほんの少し黒く見えた。


 毛布の毛先には霜が乗っていて、けれど真下の一枚ぶんだけは乾いている。


 朝の冷えは指の関節から来る。一晩置いてみたが、そのあいだに焦げたものは一つも増えていない。俺は板戸を引いて、土間の奥を指した。


「入るか。そっちよりは、いくらか暖かいぞ」


 毛布から降りて、ついてはきた。歩いてはいない。地面を擦る音がしないのに、気づくと一間ぶん進んでいる。


 それでいて框の手前ではぴたりと止まった。踏み板の縁のところから、それ以上は上がってこない。段差が高いわけでもないし、俺が塞いでいるわけでもない。


 何を待っているのか、こちらには分からなかった。


 抱えて運んでもよかったが、昨日それをやろうとして指の先まで痺れ、諦めている。上着を掛けてやったときは何ともなかったから、布が一枚あればいいらしい。


 俺は框に腰を下ろして、火を熾し、湯を沸かしはじめた。急かさずに背中を向けていると、鉄瓶が鳴りだすころには、いつのまにか土間の床の上に立っていた。


 入ったのなら入ったと言ってくれればいいのに、音もしなかった。


 その途端だった。天井の電球が細く鳴った。光が薄くなるのではなく、白く冴えた。裸電球が一瞬だけ、見たことのない明るさになる。


 板壁の節穴の一つひとつにまで影がついて、そのぶん部屋が知らない部屋に見えた。二度、三度と繰り返すあいだ、ガラスのなかの細い線は、切れる手前まで焼けているように見えた。


 切れれば町まで買いに下りることになる。あまり気持ちのいい眺めではない。


 見上げているうちに、棚の上のラジオが勝手に鳴りはじめた。周波数の合っていない音だ。人の声にも音楽にもならない、砂を撒くような音が狭い土間に散らばる。


 つまみを回すと粒の大きさは変わるが、消えない。電源を切っても鳴っている。裏蓋を開けて電池を二本とも抜いて、ようやく静かになった。


 抜いた電池を掌に転がしていると、背中のほうで洗い桶の水が跳ねた。振り返るのと、袖が濡れるのが同時だった。屈んだ姿勢のまま肘まで持っていかれて、跳ねたぶんが框に落ちる。落ちる音が、水にしては速すぎた。


 井戸のほうから半透明のものが滑ってきて、水面に薄く広がる。


「あらあら。この子が水を嫌がるのではなくて、水のほうが騒いでおりますのよ」


「水のほうが」


「ええ。わたくしが押さえておきますわ。桶の水だけは」


 濡れた袖を絞りながら、俺は困った。電球は困る。ラジオも困る。水は、拭けばいい。


 土間の隅で、そいつのほうがよほど困った顔をしていたからだ。二つの光が、天井と俺の顔とを行ったり来たりしている。自分のしたことだと分かっている顔でもなく、分かっていない顔でもない。


 俺の様子を見て、これは良くないことらしいと後から知ったような、そういう遅れ方をしていた。


 じ、じ、と短く鳴った。昨日、焦げた上着を掛けてやったときよりも、間がずっと詰まっている。


「怒らないよ。お前だって、困ってる顔してるだろ」


 返事はなかった。代わりに、そいつは土間のものを一つずつ見はじめた。かまどの前でいったん止まる。


「これは、なに」


 声だった。平らで、抑揚がない。区切りだけがはっきりしていて、訊いているのに訊かれている感じがしない。


 語尾が上がらないからだと気づいたのは、二つ目のときだった。


「かまどだ。飯を炊く」


 答えると、そいつは次に水がめの前へ移った。移り方はさっきと同じで、止まり方も同じだった。


「これは、なに」


「水がめ。井戸から汲んだ水を溜めておく」


 鉄瓶でも同じ問いが来た。同じ調子で、同じ間合いで来る。四つ目は、かまどの脇に立てた火箸だった。


「これは、なに」


「火箸。火を触るための、手のかわりだ」


 答えると、そいつはかまどのほうへ目を戻して、それきり動かなくなった。


 その火の奥が膨らんだ。赤いのが飛び出してくる。


「なあなあ、あるじ! そいつ、火は平気なのか? オレのそばに、いっぺんも来ねえぜ!」


 昨日はずいぶん静かだったのに、今朝はもう、いつもの地声に戻っていた。


「そんなに避けてるか」


「避けてるぜ! さっきからかまどの前で止まってばっかりだ!」


 言われて数え直すと、確かにそうだった。土間のものを一つずつ見て回ったくせに、火のところだけは、いつも一歩ぶん手前で立ち止まっている。


 訊いてはくるが、近づいてはこない。かまどの前で止まったのも、いちばん最初にそこへ行ったからではなく、そこから先へ行けなかったからかもしれなかった。


 毛布のほうから転がってきたのが、俺の足もとで止まった。


「あるじぃ……あれ、ぼくのこと、じっとみてるの」


「怖がってはいないだろ」


「うん。でも、なんにも言わないねぇ」


 コロには訊かないらしい。訊くのは土間の物にだけで、動くものはまだ数のうちに入っていないようだった。名前を教えてほしいのか、置いてあるものの用が知りたいのか、どちらなのかも分からない。


 分からないまま、俺は訊かれたぶんだけ答えている。


 訊かれたぶんだけ答える、というのは、前の勤めで新人に付いていたころとよく似ていた。あのころは、答えるたびに自分の手が止まる気がしてうんざりしていた。


 いまは、次に何を訊かれるのかを待っている。同じことをしているのに、どうしてこうも違うのか。訊かれるのは、悪くない。


 そういえば、夜のあいだのばちんは、朝から一度もしていない。鳴らないなら鳴らないでいいのに、いつ来るのかと耳のほうが勝手に待っている。


 待っているうちに午前が終わって、昼を過ぎるころには、待っていること自体を忘れていた。俺は薪を割りに外へ出た。


◇◇◇


 飯を炊いているときに、電球がまた白く冴えた。今度は長かった。三度続けて明るくなって、それから元に戻る。


 土間の隅で何かがちりちりと鳴って、それも同時にやんだ。


 俺は棚の奥から蝋燭を出して、欠けた皿に立てた。停電のときのために買っておいて、そのつもりでは一度も出していないやつだ。


 去年の吹雪の晩も、結局は出さずじまいだった。あのときは、勝手に部屋が明るかったから。


 マッチを擦って火を移す。芯が小さく爆ぜて、炎が立った。板壁に映る炎は、電球の光より輪郭がはっきりしていて、それでいて休みなく揺れる。


 土間の空気が動いた。框のほうから、細いのが二歩ぶん近づいてくる。


 一歩ぶん手前で止まる癖は、今度は出なかった。皿のふちまで来て、そこでようやく止まる。


「これは、なに」


「ろうそく。火だ」


 答えると、そいつが初めて天井から目を離した。皿の上の小さな火を、瞬きもしないで見ている。


「ひ」


 じ、と一つだけ鳴った。朝のように詰まってはいない。


 電球を三度やられて、袖も濡らした。それでも、蝋燭一本で片がつくなら上等な晩だ。


「そう。火だ」


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