表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
山を買って古民家スローライフ 〜精霊たちと暮らすDIYな田舎暮らし〜  作者: 猫野いちば


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
199/216

第199話

 朝、直売所へ品を並べに行くと、吐く息が白くほどけた。


 里ではまだ紅葉が残っているのに、この山の空気はもう冬の縁に指をかけている。手袋越しにも指先がひやりとして、そろそろ初雪も遠くないな、と首をすくめた。


 それなのに、祠跡のあたりだけが、妙にあたたかい。


 いや、あたたかいという言い方は正しくないのかもしれない。冷えきった空気の中に、そこだけ熱がこもっているような、奇妙な手応えだ。手をかざすと、じんわりと、何かが押し返してくる気がする。


「……この辺だけ、なんだ?」


 俺は大根を並べる手を止めて、祠跡を見つめた。空気が、ゆらりと揺れる。陽炎みたいに、境目がほどけて、薄くなる。ここ数日、その揺らぎが、日ごとにはっきりしてきている。


 気のせいで済ませたい気持ちは、もうとっくに通り越していた。確かに、この一角の空気だけが、変わってきている。


 前の仕事なら、こういう「なんか変」は放っておくと、あとで必ず面倒になるやつだ。原因のわからない不具合ほど、根が深い。もっとも、あのころ相手にしていたのはサーバーの機嫌で、山の空気ではなかったけれど。


 料金箱を開けると、いつものコインが入っていた。ずしりと重い、鈍い金色の一枚。相変わらず、奇特な常連さんがいるものだ。ただ、そのやり取りにも、近ごろ妙な密度がある。箱を開ける手のひらに、向こう側から、誰かの熱が、じかに伝わってくるような——そんな気配だ。


「……気の回しすぎか。まあ、悪いことじゃなさそうだけどな」


 そう独りごちて、俺は棚に品を並べ直した。


◇◇◇


 その日の夕方、片づけを終えて縁側に腰を下ろすと、視界の隅で、あの青い石がちらりと光った。


 一年ちょっと前、直売所の料金箱に入っていた石だ。透きとおった青が気に入って、飾りに置いてある。夜になるとほのかに光るのは前から知っていたが——今夜は、これまでとまるで違った。


 いつもの、寝息みたいな淡い光じゃない。石の芯のほうから、脈を打つように、青がじわりと濃く滲んでくる。手のひらに乗せると、ほんのり温かい。


「……お前も、今日はやけに元気だな」


 鉱物が光って熱を持つなんて、理屈はさっぱりわからない。けど、この石だけじゃない。祠跡の揺らぎといい、直売所の手応えといい、この数日、山のあちこちが、何かを待つみたいに、そわそわしている。


 ふと畑のほうを見て、俺は目を丸くした。


 祠跡のまわりに、コロとスイとエンとモクが、四匹そろって集まっている。いつもはてんでばらばらに好き勝手しているやつらが、肩を寄せ合うようにして、じっと同じ方向を見つめていた。向こう側を——空気の薄くなったその奥を、窺うように。


「あるじ……ここ、あったかいの。むこうから、だれかの、におい、するの」


 コロがまんまるの目で、揺らぎの奥をのぞきこむ。


「水がざわめいて、止まりませんわ。……何かが、近づいてきていますわ」


 スイが縁で身を震わせ、エンは尻尾の火をぱちぱち跳ねさせて、「なんかすげー気配だぜ、これ!」と落ち着かない。モクだけが腕を組んで、鼻をひとつ鳴らした。


「フン……この気配、ただ事じゃないな」


 精霊たちが四匹そろって身構えるなんて、そうそうない。喧嘩っ早いエンと、腕組みが板についたモクが、肩を並べておとなしくしている時点で、もう相当なことだ。俺は青い石を握りしめたまま、思わず背筋を伸ばした。


「冬が近いのに、この辺だけ、なんだか熱を持ってるみたいだ。……何かが、開こうとしてる」


 不思議と、怖くはなかった。むしろ、胸の奥が、ぽっと明るくなる。子どもの頃、祭りの前の晩に感じたような、あのそわそわだ。


◇◇◇


 その夜、露天風呂に、宵さんが来ていた。


 夜カフェの店主で、昼間は滅多に出歩かない人だ。うちの湯を気に入って、たまにこうして、日が落ちてからふらりと現れる。


 湯上がりの宵さんは、火照りひとつ見せない涼しげな顔で、縁側に立って夜風に当たっていた。そうして、闇に沈んだ祠跡のほうへ、ゆっくりと目をやる。


 その一瞥に、俺は妙な引っかかりを覚えた。宵さんは、あの揺らぎが、見えているみたいだった。


「ふふ……近いわね」


 含みのある声で、宵さんが微笑む。


「あなたの山に、また、新しいお客が来る。今度は——ずいぶん、遠くから」


 遠くから。俺は湯桶を抱えたまま、首をかしげた。


「遠くから、ですか。この山奥まで、わざわざ? ……物好きな人もいるもんですね」


 県外か、あるいは外国の人だろうか。うちみたいな辺鄙な場所まで足を運ぶ客なんて、たいてい相当の変わり者だ。もっとも、そういう人ほど、湯と飯を喜んでくれるのだけれど。


 宵さんは、俺の的外れな返事に、ただおかしそうに目を細めた。何かを知っていて、けれど言わずにおく——そんな笑い方だった。


「そうね。ずいぶんな、変わり者。……楽しみになさい」


 その"遠く"が、いったいどれほど遠いのか。そのときの俺は、まだ何ひとつ、思い至っていなかった。


 冷えていく夜気の中で、祠跡だけが、ほのかな熱を帯びている。縁側の青い石が、それに応えるように、また一度、静かに光った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ