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山を買って古民家スローライフ 〜精霊たちと暮らすDIYな田舎暮らし〜  作者: 猫野いちば


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196/210

第196話

 朝の霜がうっすらと降りた庭を、俺は籠を抱えて突っ切っていく。中には掘りたての里芋と、昨日むいた栗、それに新米を袋に詰めたやつ。直売所の棚に並べるいつもの品だ。


 二年目の秋ともなると、この朝仕事もすっかり体が覚えている。棚を拭いて、品書きを整えて、値段の札を差し替える。段取りは頭で考えるより先に、手が動く。


 昔は仕様書とにらめっこして一日が暮れたものだが、今は籠ひとつぶんの野菜を並べれば、それでひと仕事だ。工程がまるごと目に見えるってのは、いい。手を動かした分だけ、ちゃんと形が残る。


「よし、今日もいい面構えの芋だな」


 里芋を積み上げて、ひとりで悦に入る。誰も見ちゃいないが、うまそうに並ぶと気分がいい。


 ところが、棚の位置を直そうと祠跡のあたりへ屈み込んだ瞬間、俺はふと手を止めた。


 空気が、かすかに震えている気がしたのだ。耳鳴りとも違う、肌の産毛がそっと逆立つような、妙な感触。目をこらしても、いつもの朝の庭がそこにあるだけだ。


「……なんだ、今の」


 立ち上がって、辺りを見回す。風はない。鳥の声も、いつもどおり遠くで鳴いている。だが、この直売所を建てた庭の隅だけ、なんだか境目が薄くなったような、奇妙な気配が漂っている。


 例えるなら、薄い障子一枚を隔てて、向こう側に誰かの気配を感じる、あの感じに近い。姿は見えない。声もしない。それでも、たしかに何かがそこにいる。そう思わせる、うっすらとした手触りだった。


◇◇◇


 気を取り直して、俺は料金箱の中を確かめた。昨日の品と引き換えに、今朝もいくつか置かれている。見慣れたコインと、つやのある石が二つ。


 いつもの、奇特な常連さんからの対価だ。ありがたく受け取って、記念の箱にしまう。それはいい。問題は、その手応えのほうだった。


 箱の蓋に指をかけたとき、指先にほんの一瞬、じん、とあたたかいものが伝わってきたのだ。金属でも石でもない、なにか熱を持ったものが、すぐ向こう側にいる。そんな、うまく言葉にできない感覚。


「気のせいか……?」


 俺は箱を持ち上げて、明かりにかざしてみる。中身はいつもと変わらない。コインも石も、ただ静かに転がっているだけだ。


「いや、確かに何か、この辺の空気が、変わってきてる気がする」


 腕をさすった。冷えのせいじゃない。この庭の隅が、これまでとは違う呼吸をしている。そんな風に感じられて仕方がなかった。


 俺は元SEだ。原因のわからない不具合ってのが、いちばん気持ち悪い。理屈がつかないものを前にすると、つい構えてしまう癖がある。


 とはいえ、と俺は箱を胸に抱え直す。この山に来てからというもの、理屈のつかないことなんて、数えきれないほどあった。精霊が見えるようになったのだって、そのひとつだ。今さら、庭の隅の空気がちょっとくらい妙でも、驚くには当たらないのかもしれない。


◇◇◇


 そのとき、直売所の水鉢のあたりで、ぷるん、と何かが跳ねた。


 スイだ。半透明のスライムが、水面のように光を弾きながら、鉢の縁でそわそわと身を揺らしている。いつもは湯加減の話ばかりする水の精霊が、今朝はやけに落ち着かない。


「あるじ、ここ……なんだか変ですわ」


 スイは鉢の水を、ちゃぷ、ちゃぷ、と波立たせた。小さな波紋が、いくつも重なって広がっていく。


「水が、ざわめくのです。何かが、近づいている気配がしますわ」


 俺は思わず膝をついて、鉢を覗き込んだ。透き通った水が、風もないのに細かく震えている。スイが波立たせているのとは、また別の揺れだ。


 浄化を司るこいつは、水の乱れに人一倍敏い。風呂の湯加減も、湧き水のわずかな濁りも、俺なんかよりずっと早く言い当てる。その水が、ざわめいている。俺の肌がぼんやり感じたものを、スイのほうは、もっとはっきりと捉えているらしい。


「お前も、そう感じるのか」


「ええ。……なんだか、そわそわしてしまいますの」


 スイは困ったように、ぷるぷると身を縮めた。怖がっているというより、じっとしていられない、といった風情だ。


 俺は立ち上がって、あらためて祠跡を見つめた。腕を組んで、しばらく黙り込む。


 自分ひとりの勘違いなら、寒さのせいだと笑って済ませられた。だが、水を読むスイまでが同じものを感じ取っているとなれば、話は別だ。


「スイまでそう言うなら……気のせいじゃないな」


 水を読むこいつが感じ、俺の肌が感じ、料金箱の向こうからは熱が伝わってくる。ばらばらの手がかりが、ひとつの方向を指しているように思えてならない。何かの前触れだとしたら、それはたぶん、この直売所を通して起きることだ。


 朝の光が、直売所の棚をあたたかく照らしている。俺の並べた里芋も栗も、いつもと変わらず艶やかだ。それなのに、この庭の隅だけが、確かに何かへ向かって、静かに動き出している。


「何かが、変わってきてる」


 呟いて、俺は妙に胸が高鳴っているのに気づいた。不思議と、嫌な感じはしない。むしろ、この先に何が待っているのか、覗いてみたくなるような。


 スイが、鉢の縁で、こくりと頷いたように揺れた。


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