第194話
囲炉裏に炭を熾すと、部屋の空気がじんわりと湯気の色に染まっていく。
鍋の中では、きのこがくたりと汗をかき、出汁がふつふつと小さな泡を立て始めた。その匂いだけで、もう腹が鳴る。
今夜は、常連たちを集めての秋の宴だ。
新米を炊き、山のきのこを鍋にどっさり放り込み、栗を囲炉裏の灰に埋め、あとは地の酒をずらりと並べただけ。手の込んだことは何ひとつしていないのに、卓の上はやたらと賑やかだった。
炙り網の上では、串に刺した秋刀魚が皮を弾けさせ、脂がぽたりと炭に落ちて、じゅっと香ばしい煙を上げる。その隣で栗が、ぱちん、と小さく爆ぜた。
土鍋の蓋を取れば、炊きたての新米が、ひと粒ひと粒つやつやと立ちのぼる湯気の下で光っている。その白さと甘い香りだけで、もう半分は勝ったようなものだ。
きのこの鍋は、しめじも舞茸もなめこも、山で採れるだけ放り込んだ。出汁を吸ってとろりと重くなった椀を、ふうふうと冷ましながらすする。これがまた、身体の芯からあたたまる。
炙りの網から秋刀魚を一尾つまみ上げ、脂ののった腹に箸を入れる。ほろりとほぐれた身に、大根おろしをのせて醤油をひとたらし。熱々のうちに頬張れば、香ばしさと苦みが、酒をぐいぐい呼んでくる。
「ハッ、こいつはたまらんな」
真っ先に杯を干したのは鉄本さんだ。太い腕でとっくりを掴み、手酌でぐいぐいやっている。飲みっぷりも食いっぷりも、見ていて気持ちがいいくらい豪快だ。
鍋のきのこを大ぶりの椀にごっそりよそい、熱いのもかまわず頬張っては、また酒で流し込む。灰から掘り出したほくほくの栗を、指先で器用に剥いては口に放り込む。
俺が炊きたての新米を茶碗に山盛りにして差し出すと、鉄本さんは湯気ごと飲み込むみたいに、勢いよく口へ運んだ。
「くう……この米だ。この米を食いに来たようなもんだからな、俺は」
照れくさいことを、真顔で言う人だ。
◇◇◇
囲炉裏を挟んだ向かいでは、鞍馬さんが杯を片手に、腕を組んで悦に入っていた。
「ふむ。この炭の熾り方、なかなか筋がいい。……だがな、結城さん。ほんとうの馳走は、外の眺めよ」
そう言って、開け放った障子の向こう、月に照らされた山の稜線を顎でしゃくる。石屋だけあって、この人は岩やら眺めやらの話になると止まらない。あの高台の見晴らしは儂が見立てた、という自慢を……もう三度は聞いた気がする。
その隣で、宵さんは静かに杯を傾けていた。賑やかな席でも、この人だけはいつも夜の底みたいに落ち着いている。
「ふふ……こういう火のそばで飲むお酒は、ゆっくり回っていいものね」
含みのある笑みで、栗をひとつ、上品に剥いている。
森野さんはそのそばで、湯気の立つ椀を両手で包んで、穏やかに目を細めていた。
「いい山の恵みですね。……こうして囲むと、山が喜んでいるのが、わかる気がします」
相変わらず、詩みたいなことを言う。でも不思議と、この人が言うとしっくりくるのだった。
◇◇◇
そして、その賑わいの足元では、精霊たちが我が物顔で駆け回っていた。
コロは栗のそばで、ころころ転がって匂いを嗅いでいる。
「あるじ、この栗、ほくほくのにおいがするなの……!」
スイは酒の水面を覗き込んでは、きらきらと反射して喜んでいる。モクは炙り網の煙の抜け方が気に入らないのか、腕を組んで「フン」と唸っていた。
いちばん騒がしいのは、やっぱりエンだ。鉄本さんの手元の杯を、さっきからじっと狙っている。
「なあなあ、鉄本のオッサン! その酒、オレにも一口くれよ!」
尻尾の火をゆらゆら揺らして、卓の上をちょろちょろ走り回る。「一口だぜ、一口だけでいいからさぁ……!」と、いっちょまえにねだる声まで一人前だ。
精霊が見えている鉄本さんは、それを見てにやりと笑った。
「がっはっは、飲むか、ちびすけ」
太い指で杯の縁をちょいと傾け、ほんのひと雫を炭の上に落としてやる。じゅっと立ちのぼった香りに、エンが「うおー、しみるぜー!」と満足げに身をよじった。
「……酒の匂いで酔うやつがあるか」
思わずそうこぼしたが、まあ、楽しそうなら何よりだ。
鍋がぐつぐつ、酒が回って、みんな笑ってる……この賑やかさ、たまらないな。人も、人でない誰かも、手のひらの精霊も、境目なく同じ火を囲んでいる。
湯気と笑い声で、山がまるごと、ほかほかと温まっていくみたいだった。誰かの笑い声に、別の誰かが笑い返す。炭が爆ぜ、鍋が煮え、杯が鳴る。ただそれだけの音が、こんなにも胸に沁みる。
ふと、胸の奥がじんと熱くなった。
この山を買ったときのことを思い出す。着信音ひとつしない静けさに、心底ほっとしたあの日を。あのころは、独りで気ままに暮らせれば、それでいいと思っていた。
「独りで来たはずの山が、こんなに賑やかになるとはなあ」
誰にともなく、俺はそう漏らした。賑わいを求めて来たわけじゃない。なのに今、この騒がしさが、どうしようもなく心地いい。
「……去年の俺に見せてやりたいよ」
きっと、あいつは目を丸くするだろう。そう思うと可笑しくて、俺は手の中の熱い酒を、ゆっくりと呑み込んだ。




