第192話
秋が深まると、山を訪ねてくる顔ぶれが、だいたい決まってくる。
現代の客はぽつぽつと入れ替わるが、それとは別に、いつのまにか"常連"と呼びたくなる面々がいる。森野さん、鉄本さん、鞍馬さん、宵さん。腕はいいが、どこか浮世離れした、俺の妙な知り合いたちだ。
いちばん律儀なのが、森野さんだった。季節の変わり目になると、決まって山の様子を見にくる。「そろそろ、木が眠る支度を始める頃ですから」なんて言いながら、下草の具合や沢の水を、静かに見て回るのだ。
この前も、庭の外れの大楢の前で、ずいぶん長いこと立ち止まっていた。幹にそっと手を添えて、まるで脈でも診るみたいに、じっと目を閉じている。
「この子は、もう十分に力を蓄えました。冬を越すのに、心配はいりませんね」
木に向かって話しかける姿は、俺の目にはちょっと不思議に映る。けれど、そう言われた楢が、ほんの少し葉を鳴らして応えた気がして、俺はなんだか背筋を伸ばしたくなった。
森野さんが歩くと、不思議と山がしんと落ち着く。長く森を相手にしてきた人の、年季みたいなものだろうか。まあ、林業の人だし、山の呼吸が肌でわかるんだろう。
縁側の隅で日向ぼっこしていたコロに気づくと、森野さんは足を止めて、ほんの少し頭を下げた。
「あるじ、もりのさん、また来てくれたの」
コロがまんまるの目を細めて、のんびり嬉しそうにする。森野さんはその苔玉みたいな精霊に、まるで古い友人にでもするように、そっと目礼していた。
精霊にまで丁寧な人だなあ、と俺は思う。この人、山のものぜんぶに、いちいち礼儀正しいんだよな。
◇◇◇
次に多いのが、鉄本さんだ。「刃物の様子を見にきた」と毎度もっともらしい理由をつけて現れるが、目当てが風呂と飯なのは、もうバレバレである。
土間に腰を据えると、まずは腰の袋から砥石を出す。俺の包丁や鉈を並べ、水をかけ、しゃっ、しゃっ、と小気味いい音を立てて研ぎ上げていくのだ。刃を陽にかざして「うむ、これで飯が旨くなるぞ」と満足げに笑うと、あのずんぐりした体が、まっすぐ露天風呂へ向かう。太い腕で湯をすくって唸るのだから、世話がない。
「くぅ……五臓六腑に染みるぜ。ハッ、結城さん、今日の飯はなんだ。汗かいたぶん、旨いもん食わせろよ」
湯上がりに真っ赤な顔でそう言う鉄本さんは、火のそばがやたらと似合う。かまどの前にどっかり座って、エンと火加減の話で盛り上がっている姿は、なんというか、絵になるのだ。
「おっちゃん、火のこと、よくわかってんな! オレ、あんた好きだぜ!」
エンが尻尾の火をぱちぱち躍らせて、鉄本さんの肩によじ登る。鉄本さんは太い指で、その赤いとかげの頭を、ぐりぐり撫でていた。
精霊とあんなに馴染む客も珍しい。まあ、火を扱う仕事の人だから、火の精霊とは相性がいいのかもな。
鞍馬さんは、また毛色が違う。「露天風呂の石の具合を検分してやる」と、これまた尊大な口ぶりで登ってきては、いつも高台のベンチに陣取る。
石を一つ二つ手のひらで撫でて、「ふむ、据わりは悪くない」と満足げに頷いたあとは、決まって眺めのいい高台へ足を運ぶ。腕を組み、遠い山並みを見晴らして、やけに芝居がかった顔で風を読んでいる。
「よい眺めだ。儂は高いところが好きでな。ここからだと、山の気が、よう通るのがわかる」
そう言って顎を反らし、まるで自分の領地でも見下ろすように、ぐるりと谷を見渡す。あんまり堂々としているものだから、こっちまで、この山がこの人のものだったかと錯覚しかける。
山の気、と言われても俺にはさっぱりだが、鞍馬さんが眺めていると、確かに風がすっと抜けていく気はする。石屋というより、山の主みたいな貫禄だ。
◇◇◇
そして、夜になると、宵さんが現れる。
昼間はまず見かけない。日が落ちて、囲炉裏に火が入る頃、ふらりと縁側にやってきて、発酵の話を始めるのだ。
「ふふ……その味噌、いい熟れ方をしているわね。焦らず待った甲斐があったでしょう」
棚の甕を指先で軽く撫でながら、宵さんは細く目を閉じる。「香りが変わる瞬間を、あなたは待てる人ね」なんて、まるで俺の性分まで嗅ぎ分けるみたいに言うのだ。
だるげに杯を傾けながら、宵さんの話は、いつのまにか俺の暮らしそのものへ滑り込んでいく。発酵も、山の暮らしも……待つことだと。年季の入った物言いに、俺は毎度うなずかされてしまう。
夜の宵さんは、若いのか歳をとっているのか、よくわからない顔をする。まあ、夜型の人なんだろう。カフェの店主だし、こっちが本業みたいなものか。
――こうして並べてみると、面白い。
みんな、来る時間も、目当ても、口ぶりもてんでばらばらだ。それでいて、誰もがそれぞれのペースで、すっかりこの山に馴染んでいる。考えてみれば、揃いも揃って浮世離れした連中で、俺のまわり、どうにも変わり者ばかり集まってくるな。
「みんな、うちを気に入ってくれてるなあ」
湯を沸かし、飯を炊き、茶を出す。ただそれだけのことなのに、なぜだか、みんな腰を落ち着けていく。
「……不思議と、居着くんだよな、この山」
縁側から、常連たちの顔をひとつずつ思い浮かべて、俺はふと可笑しくなった。
独りになりたくて、逃げるように買った山だった。誰の声も届かない場所で、静かに暮らすつもりだったのに。
「独りになりたくて来た山なのに、すっかり人が集まる場所になっちゃったな」
肩に乗ったコロが、うれしそうに揺れる。かまどのそばでは、エンがまだ火をいじって遊んでいる。
「……悪くないけど」
俺は湯呑みの茶をすすって、暮れていく山を、のんびり眺めた。




