第19話
夏野菜が籠にあふれた翌朝、俺は直売所の前で腕を組んで唸っていた。
建てたときは、我ながらいい出来だと思った小屋だ。屋根があって、棚があって、料金箱もある。無人の直売所としては、これで十分なはずだった。
だが、昨日みたいに採れすぎた野菜をどっさり並べてみて、初めて気づいたことがある。トマトもナスも、ただ板の上に転がしておくと、下のほうが蒸れて、じきに傷むのだ。
せっかくの採れたてが、一晩で味を落とす。それはなんというか、作った側として、どうにも据わりが悪い。
「よし、ちゃんとした店に、してやるか」
誰に頼まれたわけでもないのに、俺は腕まくりをしていた。
まずは材料だ。先日、森野さんの製材所で分けてもらった端材が、納屋にまだ残っている。
一枚引っぱり出すと、切り口からふわりと、乾いた木の匂いが立った。杉らしい、甘くて涼しい香りだ。この匂いを嗅ぐだけで、なぜか手が動きたくなってくる。
最初に取りかかったのは、商品を傷めない棚だった。板をそのまま使わず、細く割った桟を等間隔に並べて、すのこ状に組んでいく。
こうすれば下から風が抜けて、野菜が蒸れない。元SEの癖で、つい隙間の幅を何ミリにするか計算しかけて、俺は苦笑した。まあ、指二本ぶんもあれば十分だろう。六十点でヨシ、だ。
のこぎりを引くと、しゃくしゃくと小気味いい音がして、おがくずが足元に散った。手のひらに伝わる、木を削る確かな手応え。この感触が、俺はどうも好きらしい。
不思議と、今日は作業がよく捗った。桟の一本一本が、狙ったところにすっと収まっていく。
板が足りるか心配していたのに、いざ寸法を測ってみると、端材はぴったり足りた。まるで、初めからこの棚のために切られていたみたいに。
「今日はやけに、手が冴えてるな」
道具がいいと、仕事が早い。昔から、そういうものだ。
すのこ棚には、ほんの少しだけ傾斜をつけてやった。雨が吹き込んでも、水が手前へすっと流れて、野菜のほうに溜まらないようにだ。
次は雨除けにかかる。今の屋根は真上を覆うだけで、横なぐりの雨にはまるで無防備だった。軒を少し延ばして、小さな庇を継ぎ足してやる。
これで、多少の雨なら商品は濡れずに済む。組み上がった庇を下から見上げて、俺はうなずいた。うん、悪くない。
骨組みができたら、あとは細かい仕上げだ。俺は薄い板を何枚か切り出して、品書きの札を作ることにした。
「トマト」「ナス」「きゅうり」と、墨で一枚ずつ書いていく。字は上手くないが、心を込めれば、まあ読めるだろう。棚の縁に立てかけると、それだけで急に、店らしい顔つきになった。
それから、一番大きな板を選んで、ゆるい但し書きを添えることにした。
「ご自由にどうぞ。お気持ちがあれば料金箱へ。品でのお返しも、歓迎します」
常連さんは、いつも金や品を律儀に置いていってくれる人だ。こちらが値段を決めるのも野暮だし、かといって、ただで持っていけとも言いにくいのだろう。
だったら、そのへんは向こうの気持ちに任せます、と伝わればいい。肩の力を抜いて、好きに持っていってほしかった。
気づけば、日が傾くまで没頭していた。
ただの野菜置き場に、屋根を継ぎ足し、棚に風を通し、札まで立てて。我ながら、そこまでするか、と思わないでもない。
でも、顔も知らない常連さんに、いいものを、いい状態で届けたいからな。これはもう、俺なりの意地みたいなものだ。
まあ、こんな山奥の無人の棚だ。ここまで整えたところで、喜んでくれる人がどれだけいるのかは、知らないけれど。
◇◇◇
翌朝。
顔を洗って、真新しい店の出来栄えをもう一度拝もうと、俺は庭へ出た。
すのこ棚に並べておいた野菜は、案の定きれいに消えていた。料金箱には、見慣れないコインと、つやのある石がいくつか。常連さんは、今朝も早くから来てくれたらしい。
満足して踵を返しかけて――そこで俺は、足元に目を落として動きを止めた。
店の前の、昨日ならしたばかりの柔らかい土に、くっきりと足跡がついている。それも、俺の長靴の跡ではない。
しゃがんで、まじまじと覗き込む。大きい。俺の手のひらより、ずっと大きい。肉球らしき丸い跡が並び、その先に、爪の食い込んだ深い窪みがある。
「熊……じゃ、ないよな?」
この山に来て数ヶ月、獣の足跡なら何度も見てきた。だが、こんな形のは初めてだった。丸くて、太くて、それでいてどこか、人の手のようでもある。
「こんな形の足跡、見たことないぞ」
俺は立ち上がって、ぐるりとあたりを見回した。物音ひとつしない、いつもどおりの静かな朝だ。
整えたばかりの店の前に、ぽつんと一つだけ残された、大きな足跡。それが何なのか、そのときの俺には、まだ見当もつかなかった。
◇◇◇
その足跡が土に刻まれたころ、継ぎ足したばかりの庇の陰で、葉の羽がひらりと畳まれた。
葉っぱの羽を持つ、渋い顔のムササビ妖精。木と風の精霊、モクだ。
「フン。あるじの継ぎ手、悪くない出来だがな」
腕を組んで、モクは真新しい店をぐるりと見渡した。桟の隙間がぴたりと揃ったのも、端材が寸法どおり足りたのも、まあ、半分は風を通し、材を寄せてやった自分の仕事だ。
「熊、か。まったく、見当違いもいいところだがな」
あの大きな足跡の主が誰なのか、四匹にはとうに分かっている。ここ数日、すのこ棚のまわりには、人ではない客の気配が、そっと満ちはじめていた。遠い、遠い向こうから、この棚の恵みを受け取りにやってくる者たちだ。
あるじには、まだ何も見えていない。だが、それでいい。今はまだ。
「……これは、にぎやかになりそうだがな」
モクの葉の羽が、朝風にさらりと鳴った。フン、と鼻を鳴らしながら、その渋い顔は、ほんの少しだけ、ほころんでいた。




