第187話
客が二人、三人と重なる日が、このごろは珍しくなくなった。
一人ぶんの飯なら、思い立ってから炊いても間に合う。だが四人五人となると、そうはいかない。とっさに献立を考えて、そのつど一から刻んでいたら、いつまでも台所から出られない。
最初のうちは、それで実際にバタバタした。汁を煮ているあいだに漬物を切りにいって、切っている隙に飯が噴きこぼれる。手が二本では足りない、と本気で思った。
「これは、段取りをちゃんと組まないと回らないな」
俺はまな板の前で腕を組んだ。仕事のやり方は、たぶん畑や飯でも変わらない。要件を洗い出して、先にやれることを済ませておく。それだけだ。
まず、よく出る惣菜を書き出してみた。きんぴら、ひじきの煮物、青菜のおひたし、切り干し大根。どれも、その場でなくても困らないものばかりだ。
だったら、手の空いた日にまとめて作っておけばいい。朝のうちに大鍋できんぴらをどっさり炒め、粗熱を取って保存容器に詰める。これで一品、当日の手間がまるごと消える。
保存食の棚も、あらためて見直した。手前味噌に、去年から仕込んだ漬物、軒で干した干物、燻製器に燻した燻製。腐らせない工夫の集まりが、そっくりそのまま、もてなしの引き出しになる。
「保存食ってのは、要するに"作り置きの親玉"だな。過去の俺が、未来の俺を助けてくれてる」
仕込んだときは、ただ冬に備えたつもりだった。それが今になって、客をもてなす下ごしらえに化けている。無駄にした手間なんて、ひとつもなかったわけだ。
汁物も、先に手を打っておく。煮干しと昆布を晩のうちに水に浸けておけば、朝には勝手に、澄んだ出汁が引けている。火にかけるだけで、いちばん手のかかる部分が済んでいるわけだ。
この"水出し"を覚えてから、朝の台所がずいぶん楽になった。寝ているあいだに仕事の半分が終わっているなんて、こんなにありがたい話はない。
「バッチ処理みたいなもんだな。夜のうちに走らせて、朝には結果が出てる」
昔取った杵柄のたとえが、つい口をつく。土鍋と煮干しを相手に何を言っているんだ、と自分でおかしくなった。
◇◇◇
段取りが決まれば、当日は驚くほど身軽になる。
その場で仕上げるのは、汁物と、炊きたての飯だけでいい。惣菜は作り置きを小鉢に移し、干物を炙り、漬物を切って添える。焼き物と汁と飯、この三つに火を通しているあいだに、膳はもう半分できあがっている。
かまどに火を入れると、赤い影がひとつ、ぱちりと弾けて現れた。
「あるじ、こっちの鍋も見てるぜ! まかせろって!」
エンだ。土鍋の飯ときのこ汁、二つのかまどのあいだを、火の粉を散らしながらちょろちょろと駆けまわっている。片方の火を強め、片方を絶妙に落とし、また戻ってくる。
二口を同時に、しかもどちらも狙いどおりの火加減で仕上げてしまう。俺が並列でやろうとして焦げつかせるところを、こいつは涼しい顔でこなす。
「頼もしいなあ。お前がいると、火のことは何も考えなくていい」
尻尾の先をゆらして、エンは得意げに胸を張った。飯の湯気が、ふわりと台所に満ちる。
膳を運ぶ。四人ぶんの汁を椀によそい、炊きたての飯をよそい、炙った干物を皿にのせる。ついさっきまで空だった座卓が、あっというまに湯気の立つ食卓に変わった。
「こんなに早く出てくると思いませんでした」
客のひとりが、目をまるくしている。俺は笑って、飯のおかわりをよそった。慌てて出したものより、段取りよく出したもののほうが、不思議と味まで落ち着いて感じられる。作り手に余裕があると、それが膳に出るのかもしれない。
炙った干物は皮がぱりっと香ばしく、手前味噌の汁は角が取れて丸い。どれも今日いきなり作ったものじゃないのに、いや、今日いきなり作らなかったからこそ、ちゃんとうまい。時間が仕込んでくれた味だ。
◇◇◇
膳を囲む声を聞きながら、俺は台所でひと息ついた。
思えば、慌てていたのは段取りがなかったからだ。作り置きと保存食で八割を先に片づけておけば、残る二割をその場で仕上げるだけでいい。
「一人ぶん作るのも、五人ぶん作るのも、下ごしらえさえ済んでれば、手間はそう変わらないな。段取り八分、だ」
汁を一杯多く張り、飯を一合多く炊く。増えるのは、それくらいのものだった。仕組みさえ組んでしまえば、人数はもう、たいした問題じゃない。むしろ、下ごしらえの手間ぶんだけ、大勢のときのほうがきれいに元が取れる。
客たちが満足そうに箸を置き、腹をさすっている。作り置きの小鉢まで、きれいに空になっていた。
空いた器を下げながら、俺はなんだか、じんわりと満ち足りた気分になっていた。段取りどおりに手が動いて、皆がうまそうに食って、無駄なく片づいていく。この、きっちり回った感じが、悪くない。
「慣れれば、大人数のほうが作りがいがあるな」
小声で呟いて、俺は空の鍋を洗い場へ運ぶ。
「……賄いのコツ、掴んできたかも」
かまどのそばでは、火を落としたエンが、満足げに丸くなっていた。




