第185話
新米が届いた、というより、自分の畑で穫れた。その事実だけで、なんだか朝から胸が高鳴っていた。
二年目の田んぼ、といっても畑の隅に作った小さな一枚だが、今年はよく実った。刈って、はさ掛けして、天日で干して、脱穀して、ようやく茶色い籾が真っ白な米になる。
工程を思い返すだけで……なんというか、腹の底がじんわり温かくなるようだった。
「せっかくの新米だ。土鍋で炊くしかないよな」
炊飯器なんて上等なものは、この山にはない。あるのは、かまどと、年季の入った土鍋だけだ。
まずは米を研ぐ。冷たい湧き水に手を差し込むと、指先が痺れるほど澄んでいて、研ぎ汁がみるみる白く濁っていく。
二度、三度と水を替え、ほどよく透きとおったところで浸水させる。ここで慌てないのが肝心だ……新米だからと欲張らず、たっぷり水を吸わせてやる。
この待ち時間を、俺は嫌いじゃない。要件定義は済んでいる。あとは工程どおりに火を入れるだけ、という段取りの安心感がある。
その日、山にはひとり客が来ていた。元同僚のつてで訪ねてきた、少し疲れた顔の男の人だ。
縁側で茶を飲んでいたその人が、かまどの匂いに誘われるように、そろりと台所を覗きにきた。
◇◇◇
かまどに火を入れる。焚き付けに小枝をくべ、細い薪から順に足していくと、ぱちぱちと小気味いい音が上がった。
火加減が、すっと安定する。土鍋を炊くとき、うちのかまどは驚くほど素直に言うことを聞いてくれる。
「あるじ、火はオレに任せろって! 今日の飯、最高に炊けるぜ!」
焚き口で、赤いサラマンダーが尻尾の火をゆらゆら揺らして張り切っている。火の精霊のエンだ。
見えるようになってから、こいつの働きぶりには何度も感心させられた。とはいえ火の番は俺の仕事でもあるので、「頼むぞ」と短く返して、鍋に集中する。
やがて土鍋が、ふつふつと湯気を噴きはじめた。蓋の隙間から、甘い匂いを含んだ白い息が、勢いよく立ちのぼる。
ここからが勝負どころだ。噴きこぼれる寸前で火をわずかに弱め、しばらく待って、最後にぐっと強める。
鍋の中で、パチ、と水気の爆ぜる音がしたら、火を落として蒸らしに入る。この蒸らしを我慢できるかどうかで、飯の出来は決まる。
十分ほど、じっと待つ。台所には、炊きたての匂いだけが満ちていた。
そして、蓋を開ける。
ぶわり、と湯気が噴き上がった瞬間、俺は思わず息を呑んだ。何度やっても……この瞬間だけは慣れない。
真っ白な米が、一粒一粒くっきりと立って、つやつやと濡れたように光っている。表面には照りが浮いて、湯気の向こうで宝石みたいにきらめいていた。
「……うわ」
覗きこんだ客の人が、目を見開いたまま、間の抜けた声を漏らした。
「かまどから立つ湯気、炊きたての匂い……これはもう、おかず要らずだな。いや、おかずも最高なんだけど」
その通りなので、俺は笑ってしまった。せっかくだから、この秋の実りを、膳いっぱいに並べてやることにする。
◇◇◇
きのこをどっさり放りこんだ、具沢山の汁。しめじも舞茸も、山で採れたものだ。椀からあふれんばかりの茸を、味噌仕立ての熱い汁が、とろりと包んでいる。
もう一つの土鍋では、栗ごはんも炊いた。ほくほくの栗が、飯のあいだからごろりと顔を出して、ほのかに甘い湯気を上げている。
根菜の煮物は、大根も人参もごぼうも、畑から抜いたばかり。じっくり炊いて、味を芯まで染みこませた。
そして囲炉裏では、秋刀魚を炙る。串を打って灰に立て、遠火でじりじりと焼くと、したたる脂が炭の上でぱっと炎を立てた。皮がぱりっと焦げて、香ばしい煙が座敷にたちこめる。
客の人が、湯気の立つ茶碗を受け取って、まず一口、白い飯だけを頬張った。
もぐもぐと噛みしめて、それから、動きがぴたりと止まる。
「……うまい」
ぽつりと、それだけ言った。もう一口、今度はよく味わうように、ゆっくりと。
頬がほころんで、肩の力がふっと抜けていくのが、傍から見ていても分かった。
汁をすすり、煮物をつまみ、秋刀魚の身をほぐして、また飯をかきこむ。しばらく、その人は何も喋らず、ただ夢中で箸を動かしていた。
やがて茶碗を置いて、しみじみと息をつく。
「……こんなご飯が食べられるなら、また来たいです」
その一言に、俺はなんだか、こそばゆくなった。照れ隠しに茶を注ぎながら、うまく言葉が出てこない。
ただ、腹の底のほうで、じんわりと確かな手応えがあった。うまいものを作って、それを誰かがうまそうに食う。たったそれだけのことが……こんなに満ち足りるものだったなんて。
街で働いていた頃には、考えもしなかった。深夜のコンビニ飯を、味も分からずかきこんでいたあの頃の自分に、この一膳を食わせてやりたいくらいだ。
俺も茶碗に飯をよそって、ひと口ほおばる。ほろりと甘くて、噛むほどに味が湧いてくる……我ながら、上出来だ。六十点主義の俺でも、今日ばかりは八十点はつけてやりたい。
「……ただの晩飯のつもりが、ずいぶん気合いが入っちまったな」
かまどの向こうで、エンの尻尾の火が、満足げにひとつ、ゆらりと揺れた気がした。




