第183話
客が来るたびに布団を引っ張り出す暮らしにも、そろそろ限界が見えてきた。
母屋のいちばん奥にある六畳間。ふだんは物置きがわりに使っていたこの部屋を、思いきって客用の部屋に仕立て直すことにした。段ボールと使わない農具をどかすと、床がひとまわり広く見えて、なんだか気分まで軽くなる。
朝いちばん、俺は畳を全部剥がして庭に立てかけた。一枚が思いのほか重くて、腰に来る。日に当てて湿気を抜いてやると、古い藺草の匂いがふわりと立って、長年この部屋にこもっていた時間がほどけていくようだった。
「よし、まずは足元からだ。ちゃんと休んでもらうなら、寝る場所が一番大事だからな」
畳を上げたあとの床下をのぞくと、荒板がところどころ黒く湿けている。指で押すと、じわりと沈む箇所もあった。ここに新しい畳を敷いても、下から冷えと湿りが上がってきては台無しだ。見えないところこそ、手を抜けない。
根太の傷んだ一本を替え、断熱の板を挟み、隙間には目張りを打つ。とんとん、と金槌の音が板を伝って足裏に返ってくる。地味だが、こういう下ごしらえがあとで効いてくる。
この部屋の日当たりを見て、うんと頷いているやつがいた。作業台の上で腕を組んだ、葉っぱの羽の精霊――モクだ。
「フン、この部屋は日当たりがいい。客を寝かせるなら、ここだな」
言われて障子越しの光を見ると、なるほど、朝の光がやわらかく畳に落ちる向きになっている。俺が選んだのは偶然だが、こいつが言うなら間違いない。
「モクのお墨付きなら安心だな。ここを、いい部屋にするぞ」
◇◇◇
次は障子の張り替えだ。破れて黄ばんだ古い紙を、霧吹きで湿らせて桟からきれいに剥がす。乾いた糊が水を吸ってゆるむのを待つ、この間がなんとも気ぜわしい。
剥がし終えた桟は、溝に埃と古糊がびっしり溜まっていた。濡らした布で一本ずつ拭い、細い刷毛で溝の奥まで払ってやる。ここが汚れたままだと新しい紙が浮くと、前に痛い目を見て覚えた。桟をよく乾かし、刷毛で糊をすっと引いていく。
新しい障子紙を上から転がして、たるまないように少しずつ張る。息を止めて、端からじわりと。ぴん、と紙が張った瞬間の、あの気持ちよさときたら。乾けば紙はさらに縮んで、太鼓みたいにぴしりと締まる。皺ひとつない白が、光を受けてほのかに膨らんで見えた。
「障子ってのは、よくできてるよなあ。光は通すのに、視線と風はちゃんと遮る。昔の人は大したもんだ」
隙間風の当たる敷居には、細い戸当たりの材を足して風の道を塞いだ。指を近づけると、たしかにあった冷たい流れが、ぴたりと止んでいる。夜、客が寒い思いをしないための、細かい詰めだ。
さて、いよいよ今日の本番。床の間に、無垢の板で棚をあつらえる。
用意したのは、モクが「これがいい」と目で選んだ一枚板。木の目がまっすぐ通っていて、狂いが少ない上物だ。手のひらでなでると、板肌がしっとりと冷たく、木の芯の詰まった手応えが返ってくる。
「フン、その板は木の目を縦に使え。継ぎ手は追い入れにしろ。そのほうが長く保つ」
言われるままに墨をつけ、丸ノコを構える。スイッチを入れると、刃が甲高くうなりを上げて回りだした。
その瞬間、モクの渋い顔が、ほんの少しだけほころんだ。こいつは電動工具の物理パワーが、たまらなく好きなのだ。
板に刃を当てると、まっすぐな切り口から杉の甘い香りが立ちのぼる。木くずが陽の中を舞って、ちらちらと光った。押す速さを一定に保つと、刃が気持ちよく食い込んでいく。
「相変わらず、いい仕事するな、この丸ノコは」
継ぎ手を刻む段になると、モクの精度がまた一段上がる。ノミを入れる角度を、目に見えない風でそっと導いてくれるのだ。木の目を読み、繊維の走りに逆らわない一撃。刃先が吸い込まれるように、すっと入る。
凹凸をぴたりと合わせて叩き込むと、糊も釘もいらないほど、きゅっと組み上がった。木と木が噛み合う、この手応え。掌に伝わる、みっちりと詰まった一体感がたまらない。
「おお、気持ちいいくらい、すぱっとハマったな」
棚板を床の間に据え、水平器で傾きを確かめる。泡はきっちり真ん中。文句なしだ。
角の面を軽く取り、仕上げに蜜蝋を薄く塗り込むと、無垢の木が飴色にしっとり艶を帯びた。布で磨くたび、木目の陰影が深く浮かんでくる。
泊まる人が、荷物を置いても、湯上がりの一杯を置いても、様になる棚。手足を伸ばして、心底くつろいでもらえるように。
「細かいところまでやっとくと、あとで効いてくるんだよな。仕事も、暮らしも、そこは同じだ」
◇◇◇
夕方には、新しい畳が入った。真新しい藺草の、青くて清々しい匂いが部屋いっぱいに満ちる。踏むと、ほどよい弾力がかかとを押し返してきた。
張り替えたばかりの障子は、傾いた陽を受けて、白くやわらかく光っている。隙間風はもう、どこからも入ってこない。
床の間の棚は、板の木目がすっと通って、部屋の顔になっていた。座卓を置き、座布団をそろえ、俺は敷居に立って部屋をぐるりと見渡す。
畳の匂い、やわらかな光、しんと落ち着いた空気。我知らず、口の端がゆるんでいた。
「……我ながら、居心地よさそうだ。俺が泊まりたいくらいだな」
我ながら単純だなと、また一人で笑う。誰かのために整えたはずの部屋に、自分がいちばん惚れ込んでどうする。
作業台の上では、モクが腕を組んだまま、満足げに鼻を鳴らしていた。
「フン。まあ、悪くない出来だ」
その渋い横顔が、夕日を受けて、ちょっとだけ得意げに見えた。相棒の合格点は、なかなか出ないから貴重だ。
俺は片づけを終えて、縁側に腰を下ろす。新しい部屋の障子が、暮れなずむ山の色に、ほんのり染まっていた。




