第182話
このところ、山を訪ねてくる人が、ぽつぽつと増えた。
嬉しいことなんだが、一人来るたびに、俺はいつも同じところでバタバタする。
押し入れの奥から客用の布団を引っ張り出し、タオルはどこだったかと戸棚を開け、さて夕飯は何にしようと頭を抱える。
そのたびに湯を沸かしにいったり、献立を考え直したり。もてなす気持ちはあるのに、段取りがまるで追いついていない。
「毎回、行き当たりばったりだよなあ」
朝の縁側で茶をすすりながら、俺はぼんやり考えた。
困っている人を放っておけないのは、まあ性分だ。でも、迎えるたびに慌てているようじゃ、こっちも落ち着かないし、来た人だってどこか気を遣う。
……要は、毎回ゼロから考えているのが、良くない。
そこまで思って、俺はふと湯呑みを置いた。頭の奥で、久しく錆びついていた歯車が、かちりと回る音がした気がした。
「これ、洗い出せばいいんじゃないか」
昔の仕事のクセだ。手間のかかることは、まず工程に分解する。それだけで、たいていの物事は見通しがよくなる。
◇◇◇
というわけで、俺は来客のたびに何をやっているのか、頭の中で一つずつ並べてみた。
布団を出す。タオルを出す。風呂を沸かす。飯を炊く。それから、客をどこにどう案内するか。
こうして書き出してみると、毎回もたつくポイントは、だいたい決まっている。ものを「探す」時間と、次にどうするか「迷う」時間だ。
だったら話は早い。探さなくて済むようにして、迷わなくて済むようにすればいい。
まず、客用の布団とタオルを一箇所にまとめた。
これまで布団は押し入れの奥、タオルは台所の戸棚、枕はどこか別の部屋と、見事に散らばっていた。それを、客間に近い棚を一つまるごと空けて、そこへ全部まとめる。畳んだ布団、予備の枕、洗い立てのタオルを段に分けて重ね、腰をかがめずにすぐ出せる高さに揃えた。
これで、客が来てから家じゅうを探し回ることはない。棚の戸を開ければ、そこに一式そろっている。
タオルを畳んでいると、棚のいちばん手前の一枚が、なぜかするりと膝の上に落ちてきた。ちょうど、客に出すのにいい枚数のところで。
「お、ここが定位置か。物分かりがいいな、この棚は」
俺は妙に感心して、その一枚をいちばん取りやすい場所に戻した。古い家というのは、ときどきこういう気の利いたことをする。
次に、玄関から先の動線を見直した。
玄関を上がって、客間はこっち、風呂はあっち、飯を食うのはここ。これまで俺は、来た人をそのつど連れ回して、いちいち口で説明していた。
でも、よく考えたら、風呂は家の裏手で、客間は廊下のいちばん奥だ。案内する順番さえ決めておけば、荷物を置いてから風呂、湯上がりにそのまま食事処へ、と一筆書きみたいに流れる。行ったり来たりで、客を疲れさせずに済む。
荷物を置く場所、上着を掛ける場所、履物を揃える場所。ぜんぶ玄関まわりに寄せておけば、入ってきた人が、まず迷わない。
◇◇◇
仕上げは、品書きだ。
直売所やもてなしの飯で、客からよく聞かれることが、いくつかある。風呂は何時まで入れるか、水はどこで汲めるか、この野菜はどう食うのがうまいか。
毎回口で答えていたそれを、小さな木札に書いて、品書きの脇にぶら下げておくことにした。
聞かれる前に、そこに書いてある。俺が畑に出ていても、客は勝手に読んで、勝手に納得してくれる。木札にすれば雨に濡れても平気だし、増えたぶんはぶら下げ足せばいい。
同じことを何度も口で説明するのは、案外くたびれる。それを一度書いておくだけで、俺の手も、口も、まるまる空く。
「要は、探す時間と迷う時間をなくせばいい」
筆を置いて、俺は自分の仕事に、ちょっと笑った。
これ、昔さんざん作らされた、新人向けのオンボーディング資料と、理屈がまったく同じだ。初めて来た人がどこでつまずくかを先回りして、迷わないように道筋を用意しておく。
相手が人か、システムかの違いだけで、やっていることは何も変わらない。……こういう頭の使い方だけは、辞めても抜けないものらしい。
こうして用意しておけば、次に誰が来ても、慌てずに迎えられる。あんなにバタバタしていた自分が、嘘みたいだ。
◇◇◇
一通り終えて、俺は手元のメモを眺めた。
布団とタオルの置き場、案内の動線、木札の貼り出し。やることを一つずつ潰していったら、いつのまにか、ちょっとした「もてなしの手順書」が一枚できあがっていた。
我ながら、よくできている。眺めているうちに、俺はふと、口の端がゆるむのを感じた。
「……これ、宿の開業準備みたいだな」
書いたばかりのメモを、もう一度上から下まで眺める。布団、風呂、飯、案内。……こうして並べてみると、どう見ても、それっぽい。
「いや、宿じゃないんだけど」
俺は苦笑して、メモを棚の見やすいところに貼った。
宿をやるつもりなんて、これっぽっちもない。ただ、来た人が困らないようにしていたら、なぜかこうなっただけだ。
まあ、迎える支度が整ったのは、いいことだ。次に誰が来ても、今度はきっと、慌てずに済む。




