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山を買って古民家スローライフ 〜精霊たちと暮らすDIYな田舎暮らし〜  作者: 猫野いちば


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179/214

第179話

 三上を麓まで送ってから、数日が過ぎた。


 賑やかだった数日間の名残も薄れて、山にはいつもの静けさが戻っている。縁側で冷えた麦茶をすすりながら、俺は大きく伸びをした。


 人がひとり増えて、また減る。それだけのことなのに、家の中の空気が、やけに広く感じられる。慣れというのは、案外あっけない。


 そんな昼下がり、座卓に伏せておいたスマホが、ぶるりと震えた。三上からのメッセージだった。


「あの山のこと、二、三人に話した」


 そう書いてある。続けて、言い訳めいた文が並んでいた。


 SNSには上げていない。写真も貼っていない。ただ、本当に信頼できて、本当に参っている奴にだけ、こっそり教えたのだと。「すごくいい隠れ家がある。飯がうまくて、風呂が最高で、何もしなくていい場所だ」——そう伝えたら、みんな、うらやましそうな顔をしたらしい。


 誰にでも言ったわけじゃない、と三上は念を押していた。派手に触れ回れば、この静けさが壊れる。それが分かるくらいには、あいつも山で何かを持って帰ったらしい。だから、口伝えで、そっと。本当に疲れている、ごく一部の奴にだけ。


 俺は思わず笑った。


「隠れ家、か」


 自分では、ただの古い家だと思っている。飯はかまどで炊いているだけだし、風呂は石を組んだ自作の露天風呂だ。それが誰かにとっての「隠れ家」だなんて、言われてみると、なんだかくすぐったい。


 メッセージには、いかにも遠慮がちな一文が添えられていた。


 ——そのうちの一人が、もし迷惑じゃなければ、一度、泊めてもらえないかって言ってるんだけど。


 迷惑も何も、と俺は返した。布団は余っているし、飯は多めに炊けばいいだけだ。疲れてるなら、来ればいい。ただ、それだけの話じゃないか。


 一年前の俺には、こんなふうに「来いよ」と言ってくれる相手は、一人もいなかった。だったら、俺がやればいい。そう思って三上を呼んだのが、つい先日のことだ。それが、こうして次の誰かへ、細く繋がっていく。妙な巡り合わせだと思う。


◇◇◇


 しかし、妙なものだ。


 こんな山奥の、地図にもろくに載っていないような場所を、口で伝えられただけで、たどり着けるものだろうか。街の人間は、たいてい途中で面倒になって引き返す。現に、越してきてから、物見高い客が押しかけてきたことは、ただの一度もなかった。


 辺鄙すぎるんだろうな、と俺はいつも思っていた。細い山道と、圏外に近い電波。よほどの物好きでもなけりゃ、わざわざ登ってこようとは思わない。


 だから、来るのはきっと、本当に疲れた奴だけだ。


 うらやましがった二、三人のうち、実際に山を目指すのは、ほんの一人か二人。細い糸を手繰るみたいに、静かに、ぽつり、ぽつりと。……たぶん、そういうものだろう。


 悪くない、と思った。どっと押しかけられても、こっちが困る。ひっそり、くたびれた奴が来て、飯を食って、風呂に入って、また帰っていく。それくらいが、この山には、ちょうどいい。


◇◇◇


 夕方、風呂の湯加減を見にいくと、湯船の縁で、スイがぷかぷかと揺れていた。


「ほら、言った通りですわ」


 半透明の体を得意げに反らして、そう言う。この前、客が帰る間際にも、こいつは「疲れた人が、これからもっと来ますわよ」と念を押していた。それ見たことか、と言いたいらしい。


 俺は苦笑して、湯にそっと手を浸す。今日も、とろりと肌に吸いつくような、いい湯加減だ。湧き水を沸かしただけの湯なのに、入ると芯からほどけると、三上もずいぶん褒めていた。


「はいはい、お前の言う通りだよ」


 スイは満足げに、くるりと一回転した。まったく、こいつはいつも自信満々だ。


 湯気の向こうに、夏山の緑が濃い。どこかでひぐらしが鳴きはじめている。


 また、疲れた人が来るかもな、とぼんやり思う。


「……まあ、来たら、もてなすだけだ。飯と風呂なら、いくらでもある」


 そう独りごちて、俺は湯船の下の薪を足した。難しく考えることじゃない。腹が減った奴には飯を出し、疲れた奴には湯を勧める。俺にできるのは、せいぜい、それくらいだ。


◇◇◇


 その晩、また一通、メッセージが届いた。


 三上の知り合いの、そのまた知り合い。名前も知らない誰かからの、ずいぶんと遠慮がちな伝言だった。図々しいのは百も承知で、もし本当に良ければ、いつか一度、泊めてもらえないだろうか——と。


 画面の淡い光を眺めながら、俺はふと、飯の箸を止めた。


 一人二人なら、気楽に泊められる。布団を敷いて、飯を炊いて、湯を沸かす。それだけのことだ。


 だが、これがもし、ぽつり、ぽつりと、途切れずに続いていくのなら。今夜のこの一通が、その一つ目なのだとしたら。


 客間はひと間しかない。布団も、そう何組もあるわけじゃない。飯を炊く釜も、湯を張る風呂も、一つずつだ。


「……何人も来るとなると、ちょっと、考えたほうがいいかもな」


 言ってから、自分でおかしくなった。まだ来てもいない客の段取りを、勝手に組みかけている。まるで、宿でもやるみたいな口ぶりだ。


 まあ、いい。今夜のところは、冷めないうちに飯を食おう。考えるのは、また明日でいい。


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