第168話
朝飯のあと、俺は納屋から余りの板を引っぱり出してきた。客間の隅に、小物を置ける小さな棚が一つ欲しかったのだ。
どうせなら、と思う。一人で黙々とやるより、道連れがいたほうが、こういう作業は捗る。
「三上、暇なら手伝えよ。棚、一緒に作らないか」
縁側で茶をすすっていた三上が、面食らった顔でこっちを見た。ノコギリなんて、生まれてこのかた握ったことがないという顔だ。
まあ、昔の俺もそうだった。キーボードより重いものは持たない生活を、何年も続けていたクチである。
まずは板選びからだ。反りの少ないやつ、節の位置がいいやつを、一枚ずつ天日にかざしては、しげしげと見比べて選り分けていく。
「板ってさ、一枚ずつ癖が違うんだ。木目の通ったところを見て、どこをどう使うか決める。これ、要件定義とおんなじだよ。最初の切り分けを間違えると、あとで全部やり直しだ」
三上は言われるまま、板をひっくり返しては、へえ、と気のない返事をする。木の良し悪しなんて、まだ見当もつかないという顔だ。
そのとき、作業台のはしで、葉っぱの羽を持つ小さな影が、むっつりと腕を組んでいた。
「フン。その継ぎ方、悪くないな」
木と風の精霊、モクだ。渋い顔のまま、あごで一枚の板をしゃくる。
言われて手に取ってみると、確かに、いちばん狂いが少ない。木目もまっすぐ通っていて、指で撫でると節ひとつない肌が返ってきた。
三上には、モクの声も姿も届かない。届かないまま、俺の手だけが、なぜか一等いい板を引き当てていく。
「結城、お前、目利きすげえな」
「まあ、な。数こなすと分かってくるんだよ」
俺は適当に流した。実際は、なんとなく手が伸びる先が、いつも当たりなのだ。半分は精霊のえこひいきである。
◇◇◇
寸法を測る。メジャーを引き、鉛筆で墨をつけ、指がねを当てて直角を確かめる。この段取りを踏んでいる時間が、俺は嫌いじゃない。頭のなかで完成形を組み上げて、逆算していく感覚が、どこか昔の設計作業に似ているのだ。
「ここは慎重にな。測るのは二回、切るのは一回。SEの見積もりと一緒だよ、やり直しがきかない」
「うわ、その喩え、いちいち古巣だな」
三上が、ちょっと笑った。来てから初めて見る、力の抜けた笑い方だった。
いよいよノコギリだ。三上は最初、腰が引けていた。刃を板に当てても、線の上をつるつる滑って、ちっとも食い込まない。
「力じゃなくて、角度だ。刃を寝かせて、まず溝を作る。あとは引くときだけ力を入れりゃいい。押すときは力を抜け」
ぎこちなく前後させるうち、刃がようやく木を噛んだ。しゃっ、しゃっ、と乾いた音が規則正しく立ちはじめ、切り口から、細かなおがくずがはらはらと膝の上へ落ちてくる。
杉らしい、鼻の奥にすっと抜ける甘い木の香りが立ちのぼった。日なたに干した布団みたいな、どこか懐かしい匂いだ。
「……あ、進んだ。進んでる」
三上の声が、少しだけ弾む。夢中になってくると、握りしめていた肩から、余計な力がすとんと抜けていくのが、傍から見ていても分かった。
木の粉の匂いと、手のひらに返ってくる細かな振動。それが、都会で凝り固まった何かを、一挽きごとに少しずつほぐしていくらしい。もう、へえ、という気のない相槌は出てこなかった。
切り終えた木口を、紙やすりで撫でる。角を落とし、面を取ると、ささくれ立っていた縁が、みるみるすべすべと丸くなっていく。指の腹に、木のあたたかい滑らかさが吸いついてくる。
「触ってみ。ここ、さっきと全然ちがうだろ」
「……ほんとだ。手に馴染む」
三上は、しばらく指の腹で木口を撫でていた。削れた粉を、ズボンでこすりもせずに。
◇◇◇
組み立てにかかる。あてがった板に下穴をあけ、ビスをあてて、電動ドライバーを回す。
ぐぐっとビスが沈み、二枚の板が、きゅっと引き寄せられて一つになる。木と木が噛み合って、ぐらついていた角がぴたりと止まる。この手応えが、俺はたまらなく好きだ。
「そこ、押さえてろ。手、離すなよ」
三上が板を全身で押さえ、俺がビスを打つ。呼吸を合わせて、四隅を順に留めていく。二人がかりだと、一人では届かない手が、ちゃんと足りる。
正直、直角は微妙に狂った。棚板は、右がほんの少し下がっている。
それでも――形になった。ゆがみながらも、確かに、棚が一つ立った。
「作ったものが、そのまま手元に残るって、いいだろ?」
俺が言うと、三上は手を止めて、じっと棚を見た。
こいつは長いこと、画面の中で完結して、翌朝には消えていく成果物ばかり作ってきた。徹夜で書いたコードが、朝には仕様変更で無かったことにされる。積み上げたものが一夜で消える、あの虚しさは、俺もいやというほど知っている。
「素人仕事の、六十点の棚だけどな。まあ、二人で作ると楽しいもんだ」
俺は、削りかすを払いながら笑った。六十点で上等だ。残りの四十点は、次に作るときの伸びしろにしておけばいい。
できあがった棚を、二人して客間に運び込む。右下がりの、お世辞にも上等とは言えない代物だ。
その不格好な棚を前に、三上が、ふっと肩を揺らした。
久しぶりに――心の底から笑う、そういう笑い方だった。
「……これ、俺が作ったのか」
棚の縁を、確かめるように、そっと指でなぞる。
「達成感、すごいな。仕事の"完了"とは、全然違う」
俺は、それには何も返さず、傾いた棚板に、畑で摘んだ花を一輪、置いてやった。




