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山を買って古民家スローライフ 〜精霊たちと暮らすDIYな田舎暮らし〜  作者: 猫野いちば


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158/215

第158話

 縁側に腰かけて、俺はぬるくなった麦茶をひとくち飲んだ。


 初夏の光が畑の畝を照らして、青い夏野菜の葉がゆらゆら揺れている。トマトはもう実をつけ始めていて、朝露をまとった緑の玉が、これから色づく日を待っていた。振り返ってきた一年が、そのままこの風景に溶け込んでいるようだった。


 荒れ山だった庭も、痩せていた土も、今はすっかり見違えている。掃除だけで一日が終わっていた古民家は、床も柱も磨かれて、かまどの火は素直に育つ。あの頃と同じ場所とは、とても思えない。


 あれこれ思い出しているうちに、胸の底に、じんわりと温かいものが溜まってきた。派手な達成感とは違う、もっと静かで、地に足のついた手応えだ。積み上げた一年ぶんの重みが、そのまま自信になっている。


「一年、なんとかやれたな」


 声に出してみると、その実感が輪郭を持った。逃げ出すように山を買って、右も左も分からないまま迎えた一年。よく倒れずに続いたものだと、我ながら思う。


 ……そして、不思議なことに気づく。


 振り返っているはずなのに、頭はもう、次のことを考えている。


「二年目は、何をしようかな」


 畑をもう一段、山側へ広げてみるのもいい。石を除けて、鍬を入れて。去年は苗を一本植えるだけで必死だったのに、今なら段取りが頭に浮かぶ。


 保存食の種類だって、まだまだ増やせるはずだ。味噌の仕込みは今年こそ倍にしたいし、燻製ももっと色々試したい。チーズにも手を出してみたいし、果実酒の実験だってやりたいことが山ほどある。


 それに、この山にはまだ足を踏み入れていない奥がある。沢の上流はどうなっているのか、どんな木が生えて、どんなきのこが顔を出すのか。想像するだけで、夢がぽんぽん湧いてくる。


 やりたいことを指折り数えていくと、指がいくらあっても足りやしない。元SEの悪い癖で、頭の中では勝手にやることリストが積み上がっていく。ただ、あの頃と違って、この段取りはちっとも重荷に感じない。むしろ、組み上げるのが楽しくて仕方なかった。


 尽きないな、と思わず苦笑した。一年前は、明日をどう生き延びるかで精一杯だったのに。前を向くどころか、うずくまるのがやっとだった。それが今は、来年の、その先の畑まで見えている。


◇◇◇


 膝の上で、コロがころんと転がった。両手大の苔玉みたいなこいつは、俺が畑の話をしていると、決まって嬉しそうにする。


「あるじ、らいねんは なにを つくるの?」


 まんまるの目が、きらきらと輝いている。来年の話が、こいつには何よりのごちそうらしい。


「そうだなあ。畑を広げて、蔵もいっぱいにして……やることは山積みだぞ」


「はたけ、ひろげるの? うれしいなの!」


 コロが肩の上まで駆け上がって、ぴょんと跳ねた。かまどの縁ではエンが尻尾の火をゆらし、水がめのスイも、作業台のモクも、なんだかそわそわしている。四匹そろって、二年目を楽しみにしているらしい。


「あるじ、火のことなら任せろ! 二年目のオレは、もっとすげえぜ!」


 エンが尻尾の火をぱちぱち爆ぜさせて、胸を張った。負けじとスイが水面をきらめかせる。


「わたくしのお水も、腕を上げましてよ。来年のお漬物は、さらに美味しく仕上げてみせますわ」


「フン、木組みの手直しなら、いくらでも付き合ってやる」


 モクまで腕組みしたまま、まんざらでもない顔で言う。俺が張り切ると、こいつらも張り切る。困ったやつらだ、と思いながら、頬がゆるむのを止められない。


 賑やかなもんだ。独りになりたくて来た山なのに、いつのまにか大所帯だ。


 思えば、この暮らしはずいぶん遠くまで来た。逃げてきたはずの毎日が、気がつけば、前へ進むものに変わっている。守るだけで手一杯だったのが、今は攻めることを考えている。あの頃の俺には、想像もつかなかった話だ。


◇◇◇


 麦茶を飲み干して、俺はふと、庭の隅の直売所へ目をやった。


 今朝も料金箱には、見慣れない古びたコインが一枚、ちょこんと入っていた。一年、ずっと律儀に通ってくれている、顔も知らない常連さんたち。どんな人が、こんな朝早くに山まで登ってくるのか、いまだに一度も見かけたことがない。


 ふと、いちばんの願いが、口をついて出た。


「せっかくの縁だ。……あの見えない常連さんたちとも、もっと交流できたらいいな」


 言ってから、我ながら欲張りだなと笑う。会ったこともない相手に、ずいぶんと図々しい願いだ。


 それでも、と思う。せっかくこんなに長く縁が続いているのだから、いつか、せめてお礼くらいは言いたい。うちの野菜を気に入ってくれているなら、なおさらだ。


 どんな顔で、どんな暮らしをしている人たちなんだろう。遠い町から来るのか、それとも、俺の知らないどこかの物好きか。会えたなら、まずは一緒に飯でも食いたいな、なんて考える。うちの畑の採れたてを、うまいうまいと食ってもらえたら、それだけで一年分、報われる気がした。


 初夏の風が、青い葉の匂いを運んでくる。二年目の入り口で、俺は知らず知らず、棚の向こうへそっと手を伸ばしていた。


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