第152話
初夏の朝の光が、直売所の板屋根を斜めに撫でていた。俺は籠いっぱいの夏野菜を抱えて、棚の前にしゃがみ込む。
もいだばかりのきゅうりに、艶のいいナス、色づきはじめたトマト。露を弾く緑と、はち切れそうな赤を、ひとつずつ並べていくと、木の棚が朝市みたいに華やいでいく。
きゅうりの一本を、つい鼻先に近づけてしまう。青くて、少し土くさくて、夏そのものみたいな匂いがした。あとで一本、味噌をつけてかじろう。そう決めて、値札がわりの木札を添えると、今日の品書きの完成だ。
この棚も、ずいぶん働き者になったな、と思う。
一年前、庭の隅に傾いた古い棚を引っ張り出して、余り野菜を並べたのが始まりだった。あのときは板きれに「ご自由にどうぞ」と書いて、空き缶を料金箱がわりに置いただけの、ほんとに粗末なものだ。それが今は、雨除けの屋根までついた立派な直売所になっている。
補充の手を止めて、俺はぼんやりと棚を眺めた。
考えてみると、この小さな棚には、いろんなものが集まってくる。
まず、あの奇特な常連さんだ。俺が野菜を置いておくと、いつのまにか品が消えて、かわりに見慣れないコインや、きれいな石が料金箱に入っている。もう一年、律儀に通ってくれている。顔も見たことがないのに、不思議とまめな人だ。こんな山奥まで、いったいどこから登ってくるんだか。
それから、通ってくる面々。森野さんに鉄本さん、鞍馬さんに宵さん。みんな、この棚をのぞいては「精が出るな」と声をかけて、野菜を持って帰っていく。腕のいい変わり者ばかりだが、どういうわけか、この棚の前では、みんな機嫌がいい。棚に肘をついて、しばらく世間話をしていくこともある。気づけば、そういう立ち寄り先になっていた。
そして——
「あるじ、きょうの おやさい、ぷりぷりなの」
肩の上で、コロが得意げに揺れた。苔玉みたいなまんまるの体で、並べたばかりのトマトを見下ろしている。
棚の周りは、いつも賑やかだ。スイが料金箱の縁でぷかぷかと浮かび、エンが木札の陰でひなたぼっこをして、モクが屋根の梁で腕を組んでいる。この四匹は、棚のあたりが妙に気に入っているらしく、朝な夕なにここへ集まってくる。
「あるじ、この箱、ひんやりして いい心地ですわ」
スイが料金箱にほおずりしながら、うっとりと言った。ただの木箱のどこがそんなにいいのか、俺にはさっぱりだが、本人が満足そうなら、まあいい。
四匹だけじゃない。名もない小さな気配たちも、棚のまわりをそわそわと行き交っている。この一角だけ、いつも縁日の宵みたいに、ささやかにざわめいていた。
……よく考えたら、この棚、なんだか色んなものの真ん中になってるな。
俺が組んだのは、ただの板の棚だ。日曜大工の、六十点の出来。柱の垂直も、よく見れば少し怪しい。それなのに、この一角には、顔も知らない常連が通い、変わり者の知り合いが立ち寄り、賑やかな相棒たちが集まってくる。
異世界の——いや、遠くの奇特な常連。腕のいい変わり者たち。そして賑やかな相棒たち。方向のまるで違う縁が、なぜだかこの一枚の板の前で、ひとつに寄り集まっている。いつのまにか、いろんな縁の結び目になっているのだ。
妙な話だ、と思う。人と縁を切りたくて、独りになりたくて、この山に逃げてきたはずだった。それなのに、俺の作ったいちばん粗末なものが、いちばん色々を——人だけじゃない気もするが——引き寄せているんだから。
立派な家でも、耕した畑でもなく、この傾きかけの棚が、だ。世の中、何が縁を呼ぶか分からない。凝った仕事より、無造作に置いたもののほうが、案外まっすぐ人の目に留まるのかもしれない。前の職場でも、力を入れた資料より、走り書きのメモのほうが重宝されたりしたっけ。
「フン。まあ、悪くない仕事だ」
梁の上のモクが、棚を見下ろしてぼそりと言った。木組みの出来を褒めているのか、集まる縁のことを言っているのか。どっちにしても、この職人肌に褒められると、悪い気はしない。
補充を終えて立ち上がり、俺は最後に料金箱をのぞいた。
今日も、入っている。鈍い金色の、見慣れない古いコイン。縁に刻まれた紋様は、やっぱり何度見ても読めない。つまんで陽にかざすと、ずっしりと重く、朝の光を吸ってにぶく輝いた。
「相変わらず、律儀な常連さんだ」
一年通って、一度も顔を見せず、それでも欠かさず対価を置いていく。使うのも気が引けて、俺はいつもそっと箱に戻してしまう。世の中には、本当に変わった人がいるものだ。
コインを戻し、あらためて棚を見渡す。朝の光の中で、夏野菜が瑞々しく並び、その周りを小さな気配がそわそわと行き交っている。ここだけ、なんだか世界のあちこちの縁が、糸みたいに寄り集まってきているみたいだった。
「……この棚一つで、こんなに縁が集まるんだから、不思議なもんだよ」
自分がその真ん中に立っていることには気づかないまま、俺はただ、集まってくる縁を、のんびりと眺めていた。




