第15話
麓の公民館で寄り合いがあると聞いて、俺も顔を出してみることにした。よそ者が越してきたら、一度は挨拶に来るものらしい。
畳の広間には、日に焼けた顔のじいさん婆さんが十人ほど、車座になっていた。俺が末席に座ると、湯呑みと漬物がすっと差し出される。この距離の詰め方が、田舎はうまい。
根掘り葉掘り身の上を聞かれるわけでもなく、かといって放っておかれるわけでもない。ちょうどいい温度で、輪の中に居場所ができている。人付き合いに疲れ果てていた俺には、この塩梅がしみじみありがたかった。
世間話は、天気から獣の被害、道普請の相談へと流れていく。その合間に、誰かがぽつりと俺の山の名を出した。
「結城さんとこの、上の山なあ。あすこは昔から、ちいと不思議なとこでな」
湯呑みを持ったまま、俺は耳を傾けた。話を継いだのは、いちばん年かさの婆さんだった。
「入った者が、よう道に迷うんじゃ。慣れた山師でも、なぜか麓へ戻れんくなる。昔から、みだりに入るもんじゃない言うてな」
ほう、と相槌を打ちながら、俺は漬物を齧った。古漬けの酸味と塩気がじんわり染みて、話より先にそっちに気を取られる。誰かの家の糠床で、何年も育ってきた味だ。
山の神様がおるだの、昔は祠があって山を祀っていただの、話はいかにも田舎の言い伝えらしく膨らんでいく。半分は眉唾で、半分は妙に据わりがいい。
深く突っ込む気にもならず、俺はただ、へえ、と聞いていた。急いで白黒つけたいような話でもない。土地の古い言い伝えというのは、こうしてぼんやり眺めているくらいが、ちょうどいい塩梅なのだろう。
「まあ、悪い山じゃない。大事にしてやってくれや」
じいさんの一人がそう締めると、話はまた道普請へ戻っていった。土地の記憶というのは、案外こういう座の隅に、静かに沈んでいるものらしい。
◇◇◇
同じ頃。誠の知らない、遠い辺境のネル村では。
村外れの古い祠へ続く小道が、いつのまにか踏み固められ、一本の立派な道になっていた。行商のガロが、幾度も幾度も通ったからだ。
祠の供物台には、今日も瑞々しい野菜と、見たこともない保存の糧が並んでいた。腐らず、萎びず、いつまでも力を宿したままの、聖なる恵み。
ガロはそれを背負い籠へ丁寧に移し、祠の方角へ深く頭を垂れた。この仕入れの道が、いまや村を支える命綱だった。
痩せた畑にしがみつくばかりだったネル村は、この恵みで飢えを凌ぎ、村人の頬にも少しずつ肉が戻ってきている。子どもが笑い、老人が畑に出る。かつての活気が、じわりと戻りつつあった。
ガロが恵みを持ち帰る日は、村に小さな祭りのような賑わいが生まれる。分け合う野菜、腐らぬ糧を巡る相談、次はいつ祠へ行くのかという声。村の暮らしそのものが、あの祠を中心に、静かに回りはじめていた。
「祠の主さま。おかげで、うちのばあさまも、すっかり達者になりました」
ガロの声は、いつしか祈りの色を帯びていた。誰が言い出すでもなく、村人たちは日暮れになると祠の方へ手を合わせるようになっている。
まだ見ぬ主さまへの感謝は、素朴な信心となって、村の暮らしに根を張りはじめていた。
「どうか、この縁が、いつまでも」
その主さまが、山ひとつ向こうの畳の間で、漬物の塩加減に唸っているただの元会社員だとは。ガロは、まだ知らない。
◇◇◇
寄り合いがお開きになり、俺は土産に持たされた煮物を提げて、軽トラで山道を登った。
いつもの曲がりくねった道を上がりきり、山の入り口で車を停めたとき、ふと妙なことに気づいた。
「そういえば……うちの山、勝手に入ってくる人が、一人もいないな」
考えてみれば不思議な話だ。田舎の山なんて、断りもなく山菜を採りに来る人が一人や二人いてもよさそうなものだ。なのに、越してきてから今日まで、俺は敷地で見知らぬ誰かと鉢合わせた覚えがない。
寄り合いの言い伝えが、頭の隅をかすめる。入った者が道に迷う、みだりに入るな——。
まあ、それだけ人里離れているってことだろう。あるいは、地元の人が昔からの言い伝えを守って、遠慮してくれているのか。
「静かでいいけどな。ちょっと、寂しい気もするか」
深追いする気は、なぜか起きなかった。俺は煮物を提げ直し、我が家の匂いのする方へ、のんびりと坂を上っていった。




