第14話
直売所を建ててみたら、これが思いのほか繁盛した。棚はすぐ空になり、料金箱の中身は律儀に増えていく。
どうせなら、もう少し立派にしてやろう。増設と補修の算段を始めたはいいが、手持ちの端材だけではとても足りなかった。
いい木材が要る。ホームセンターの規格材でも用は足りるが、せっかくなら、と欲が出るのが素人の悪い癖だ。麓で買い出しのついでに聞き込んでみると、この谷筋に腕のいい製材所があるという。
「森野さんとこの木は、そりゃあ別格だで」
レジのおばちゃんが太鼓判を押すので、俺はその足で訪ねてみることにした。
◇◇◇
軽トラで川沿いを二十分。杉木立の奥に、看板も出ていない、ひっそりとした製材所があった。
車を降りた瞬間、木の匂いに包まれる。切りたての生木の、青くて甘い、鼻の奥がすっとするような香りだ。都会のフローリングからは、絶対に立ちのぼってこない匂いだった。
作業場には、丸太と挽いた板が、種類ごとに整然と積まれている。どれも桟を挟んで風を通してあり、恐ろしく手間をかけて寝かせた木だと、素人目にもわかった。
「いらっしゃい」
奥から出てきたのが、森野さんだった。物腰のやわらかい人で、歳の見当がうまくつかない。若くも見えるし、ずいぶん長く木と付き合ってきた人のようにも見える。
用件を伝えると、森野さんは目を細めてうなずいた。それから板の山を、犬か猫でも撫でるみたいに、そっと手のひらでなでていく。
「屋外の棚でしたら、この杉がいいでしょう。……この子は、水はけのいい斜面で、のんびり育ちましたから」
子、と言った。木のことを。俺は思わず頬がゆるんだ。
勧められた杉に、手のひらを当ててみる。かんなをかけたわけでもないのに、木肌はしっとりと吸いつくようで、指先に細かな年輪の凹凸が伝わってきた。ひんやりと乾いていて、それでいて、どこか温かい。
鼻を近づけると、甘い香りがいっそう濃くなる。これで棚を組んだら、雨に濡れるたび、この匂いが立つのだろう。想像しただけで、作業が楽しみになった。
森野さんは、木の一本一本の育ちを、まるで見てきたように語った。日当たり、風、根を張った土の質。どの木がどんな癖を持ち、どこに使えば長く保つか。
「木は、育った通りに動きますからね。無理をさせなければ、百年でも保ちますよ」
なるほどなあ、と俺は唸った。要件に合わせて素材を選ぶ話なら、俺にも覚えがある。適材適所というやつだ。畑違いのはずなのに、根っこの理屈は同じらしい。
商談の途中、森野さんがふと、俺の肩のあたりへ視線を投げた。そこに何かがいるのを見るような、やわらかい目つきだった。
俺は反射的に肩を払う。虫でもついていたのかと思ったのだ。けれど森野さんは何も言わず、小さく微笑んで、また板へ目を戻した。
選んでもらった杉と、補修用の檜を軽トラに積み込む。森野さんも手伝ってくれたが、この人、細身のわりに力が妙に強い。俺が二人がかりで運ぶような材を、ひょいと肩に担いでみせた。
値段を聞いて、俺はもう一度驚いた。この質で、この値か。
「こんなにいい木を、こんなに安くていいんですか」
「ええ。……いい山で使ってもらえるなら、木も喜びますから」
いい人だ、と素直に思った。山や木の話になると、まるで自分のことみたいに嬉しそうにする。——この人が、俺の山の"なか"に何がいるのかまで見抜いていたなんて、そのときの俺は、思いもしなかった。
◇◇◇
積み込みを終えて礼を言うと、森野さんは軒先まで見送りに出てくれた。それから、ふと顔を上げる。
俺の帰る方角——山のある、北の空を。目を細めて、しばらく静かに眺めている。
「いい山ですね」
えっ、と振り向くと、森野さんは穏やかに微笑んでいた。
「ちゃんと、大事にされてる」
俺の山は、ここからは見えない。木立の向こう、いくつも尾根を越えた先だ。それなのに、この人はまるで見えているみたいに、まっすぐそちらを見ていた。
……はて。大事にしている、というほどのことは、していないんだけどな。
草をむしって、水をやって、あとは好きに畑をいじっているだけだ。褒められるようなことは、何ひとつしていない。
「変わったことを言う人だなあ」
軽トラのハンドルを握りながら、俺は独り言ちた。でも、とすぐに思い直す。
自分の山を褒められて、悪い気のする人間はいない。俺はなんだか、来たときよりずっといい気分で、木の匂いのする荷台を揺らしながら、山道を登っていった。
◇◇◇
軽トラが土埃を上げて去ったあと、製材所の軒先には、四つの小さな光が残されていた。誠にくっついて、ここまでついてきたのだ。
板の山の上で、モクが腕を組んで唸っていた。
「フン……あの男。こっちを、見ていたな」
葉っぱの羽を、めずらしくぴんと立てている。丸太を撫でていた森野の指先が、通りすがりに、そっと自分たちのほうへ向けられたのを、モクは見逃さなかった。
「見えてたの……? コロたちのこと」
コロがまんまるの目を、さらにまんまるにする。人にまじって暮らして長いのに、こんなふうに気づかれたのは、久しぶりのことだった。
「同じ、においがしましたわ。木と土と、風の——わたくしたちの側の、におい」
スイが、ぷるりと身をふるわせる。こわいのではない。なつかしいのだ。
「なんだよ、わりぃ奴じゃなさそうだったぜ」
エンが尻尾の火を、ぱちりと弾ませた。あの人は、自分たちを見て、ただ優しく目を細めただけだった。追い払うでもなく、驚くでもなく。まるで、遠くの親戚にでも会ったみたいに。
四匹は顔を見合わせ、それから、遠ざかる荷台を追って、ふわりと宙に舞い上がった。
「あるじのところに、帰るの」
木の匂いを乗せた風が、その背中を、そっと山のほうへ押してやった。




