第149話
日が傾きはじめる頃、山の縁側は、いつになく賑やかだった。
総決算の食卓を、そのまま宴に横滑りさせたのだ。味噌の田楽、燻製、採れたての夏野菜、干し野菜の戻し煮、糠漬け、それに今年の春に仕込んで寝かせたワイン。一年の実りと手の技を、ぜんぶ卓に並べた。
せっかく作ったんだから、一人で食うより、みんなで囲んだほうがうまいに決まっている。要件定義もへったくれもない、単純明快な結論だ。
声をかけたら、森野さんも鉄本さんも鞍馬さんも宵さんも、そろって来てくれた。この一年で世話になった顔ぶれが、俺の粗末な縁側に勢揃いしている。腕のいい変わり者ばかりだが、揃うとなぜか妙に据わりがいい。
「いや、ほんと、みなさんによく集まってもらって」
俺が頭を下げると、鉄本さんが盃を掲げて豪快に笑った。
「ハッ、うまいもんと酒があるってのに、来ねえ理由がどこにある」
言うが早いか、自家製のワインをぐいと干す。一杯、また一杯と、見ていて気持ちいいくらいの飲みっぷりだ。ずんぐりした体のどこに入っていくのか、と毎度のことながら感心する。
田楽をひと切れ口に放り込むと、鉄本さんは太い眉を上げた。
「この味噌、去年てめえが仕込んだやつか。ハッ、素人の割に、いい面構えの味に育ってやがる」
褒められているのか品評されているのか微妙なところだが、悪い気はしない。この人の「悪くない」は、たいてい本音だ。
鞍馬さんは露天風呂のほうへ悠然と目をやって、鷹揚に頷いた。
「ふむ。儂の石の風呂も、いい湯加減に育ったな」
石が育つ、というのも妙な言い回しだが、この人が言うと不思議としっくりくる。芝居がかった尊大さも、もう聞き慣れたものだ。
「おかげさまで、毎晩ありがたく浸かってます」
森野さんは、いちばん端で穏やかに酒を傾けていた。がやがやした場でも、この人のまわりだけ、少し空気が澄んでいる気がする。
「いい集まりですね。……ちゃんと、人の温もりがある」
しみじみそう言われて、俺はなんだか照れてしまった。温もりも何も、ただ余りものを並べただけなのだが。
◇◇◇
宵さんは、糠漬けと燻製をつまみに、ワインを静かに口へ運んでいた。発酵の肴を選んで少しずつ味わうさまが、いかにも様になっている。
「発酵は、待った時間がそのまま味になるの。……あなたの一年と、同じね」
含みのある言い方だが、褒められているらしい。俺は素直に礼を言っておいた。
縁側の四隅では、精霊たちもすっかりはしゃいでいる。コロが料理の湯気の間をころころ転がり、スイが盃の水面をぷるぷる覗き込み、モクは腕を組んで来客の器を検分していた。
スイは、宵さんのワインの色にご執心らしい。
「このお酒、うつくしい赤ですわ……にごり一つないの、わたくし、こういうの好きですのよ」
「あるじ、きょうは にぎやかで たのしいの!」
「フン、まあ、悪くない集まりだ」
モクのその「悪くない」が、こいつの最上級だ。山じゅうが、笑い声で満ちている。
と、赤いサラマンダーが一匹、そろりそろりと卓を這い進んでいた。狙いは、宵さんの手元の、血のように赤いワインである。
「あるじの ワイン、オレも のみたいぜ!」
尻尾の火をゆらゆらさせて、エンがグラスに鼻先を寄せる。おいこら、と俺が止めるより早く、宵さんがくすりと笑って、細い指をグラスに添えた。
「ふふ、あなたには少し早いわね」
やんわりとあしらわれ、エンは「ちぇっ」と尻尾をしぼませる。精霊相手に一歩も動じないあたり、この人もたいがい只者ではない。
◇◇◇
宴は、日が落ちても続いた。鉄本さんの高笑いに、鞍馬さんの講釈、森野さんの静かな相槌。かまどの火をエンが機嫌よく守り、湯気が絶えない。
俺はふと、去年の今頃を思い出していた。この山に来たばかりの頃、縁側で飯を食うのは、いつも一人きりだった。埃を掃いて、かまどで飯を炊いて、暗くなったら眠るだけ。それが今は、こんなに賑やかだ。
独りになりたくて逃げてきた山が、気づけば大所帯である。人が四人、精霊が四匹。数えてみると、我ながらおかしくなる。
宵さんが、グラス越しにこちらを見て、ふと目を細めた。
「あなた、この一年で本当に変わったわね。……いい顔になったわ」
俺は、ワインの手を止めた。変わった、と言われても、鏡なんて滅多に見ない暮らしだ。自分の顔がどうなっているかなんて、正直よく分からない。
「そうですかね。……自分じゃ、よく分からないんですけど」
頭をかいて、俺は苦笑した。そんなに変わったつもりはないのだが。
宵さんは、それ以上は言わず、ただ薄く微笑んで、また赤いワインを口へ運んだ。かまどの火が、ぱちりと爆ぜる。他の三人も、口元に少しだけ笑みを浮かべて、それぞれの盃に目を落としていた。
変わったかどうかは、俺にはさっぱり分からない。ただ、この一年、いい人たちといい相棒に恵まれたのだけは、間違いなかった。
賑やかな縁側を眺めながら、俺も一杯、ゆっくりと傾ける。田楽も、ワインも、笑い声も、去年の俺には縁のなかったものばかりだ。それが今、目の前に、当たり前のように揃っている。
まあ、悪くない一年だったな。そう思えるだけで、じゅうぶんだ。




