第148話
思い立って、今夜は一年ぶんの総決算をやることにした。
特別な日でもなんでもない、ただの初夏の夕方だ。でも、なんとなく、今の暮らしで作れるものを全部いっぺんに並べてみたくなった。
台所と蔵と畑を何往復もして、材料を集める。持てるものを、片っ端から抱えて運ぶ。
まずは味噌だ。去年の秋に仕込んで、蔵でじっくり寝かせた自家製味噌を、こんがり焼いた豆腐と串刺しの茄子にたっぷり塗る。
かまどの熾火で炙ると、味噌の表面がふつふつと泡立って、焦げ目のところから香ばしさが湯気にのって、ぶわっと立ちのぼった。田楽の焦げる匂いというのは、どうしてこう腹の底を直撃してくるんだろうな。
豆腐は角がとろりと崩れかけ、茄子は油をまとってつやつやと光っている。味噌の甘じょっぱさが染みているのが、見ただけで分かる。
「……やばい、まだ何も食ってないのに、腹が鳴った」
次に燻製だ。秋に仕込んだ燻製肉を薄く切って皿に並べると、桜のチップの燻りがまだ生きていて、切り口から燻香がふわりと漂う。
脂の入ったところが飴色に透けて、断面がしっとりと湿っている。ひと切れつまんで口に放り込みたい衝動を、ぐっとこらえた。まだ全部並べ終えていない。
畑からは採れたての夏野菜。もぎたてのトマトときゅうり、へたを落としたばかりのピーマンを、ざっくり切って盛るだけ。これはもう、鮮度が調味料だ。
トマトは切った端から果汁が滲んで、まな板に赤い汁だまりを作る。きゅうりは、包丁を入れた瞬間にぱきっと小気味いい音がして、青い匂いが立った。
干し野菜の戻し煮も、ことこと炊いておいた。冬に軒先で干した大根や椎茸を水で戻して、じんわり煮含めると、乾いていた時間ぶんだけ旨みが濃くなって返ってくる。
鍋の蓋を取ると、椎茸の戻し汁の、深くて甘い出汁の香りが、もわっと顔にかかった。大根は箸で切れそうなほど柔らかく、飴色の煮汁を芯まで吸っている。
糠漬けは、朝、糠床から掘り出しておいた。きゅうりと茄子が、いい塩梅に漬かって、鮮やかな色をしている。糠のいい匂いというのも、一年でようやく嗅ぎ分けられるようになった。
そして、今年の春に仕込んで、じっくり寝かせてきたワインを、一本。栓を抜くと、角の取れた甘い香りが、ぽん、と部屋にほどけた。
グラスに注ぐと、夕日を透かした赤が、とろりと揺れる。仕込んだばかりの頃はもっと尖った味だったのに、寝かせているあいだに、すっかり丸くなったらしい。急がなかったぶんだけ、味が育っていた。
かまどの前に立って、湯気の立つ皿を、一つ、また一つと食卓へ運んでいく。
並べ終えて、俺は思わず息をのんだ。
味噌の田楽、燻製、夏野菜、戻し煮、糠漬け、熟成ワイン。素朴なものばかりだけど、そのどれもに、仕込んだ日から今日までの時間が詰まっている。
湯気と燻香と味噌の匂いが、狭い台所で混ざり合って、鼻の奥がじんとするほどうまそうだ。派手な皿は一つもないのに、食卓ぜんたいが、なんだかずしりと重い。
一年前の、食べるものすら適当だった俺には、絶対に作れなかった献立だ。
「……全部、この一年で、覚えたことなんだよな」
味噌の仕込み方も、燻製の火の入れ方も、野菜の育て方も、漬物の頃合いも。どれも、去年の俺はひとつも知らなかった。
それが今、こうして一枚の食卓になって、目の前で湯気を立てている。
かまどのほうを見ると、火が、気味が悪いくらい安定していた。田楽を炙るあいだも、戻し煮を炊くあいだも、俺が何もしていないのに、火加減がずっと一番いいところで保たれている。
熾火のゆらぎの中で、赤いサラマンダーが尻尾の火を得意げに揺らした。
「あるじ、見たかよ。オレの火は、一年もののプロだぜ!」
エンが胸を張るので、俺はつい笑ってしまう。
「はいはい。お前の火加減が、一年で腕を上げたのは認めるよ」
道具も、火も、腕も、時間をかけたぶんだけ、ちゃんと応えてくれる。急いで手に入れたものなんて、ここには一つもない。
椀に味噌汁をよそって、食卓の前に腰を下ろす。湯気の向こうに、一年ぶんの皿が並んでいる。
それを眺めていたら、ふと、去年のこの時期の自分を思い出した。仕事帰りにコンビニに寄って、適当な弁当をレンジで温めて、味も分からないままかき込んでいた、あの頃の俺だ。
「一年前の、コンビニ飯で生きてた俺に、これを見せてやりたいよ」
ぽつりと、独りごちる。湯気が、ゆっくりと天井へのぼっていく。
「……お前、来年、こんなの食ってるぞって」
言ってみたら、なんだか少しおかしくなって、俺は箸を取った。まずは、一番いい匂いをさせている田楽からだ。
熱々の豆腐を口に運ぶと、外は香ばしく、中はとろりと崩れて、寝かせた味噌の甘みとコクが、じんわり舌に広がった。
思わず、目を閉じる。うまい。ただ、それだけの感想が、胸の底からこみ上げてくる。
続けてワインをひと口。丸くなった甘みが、田楽の味噌とするりと溶け合った。手間をかけたものは、やっぱり、手間をかけただけの顔をして待っていてくれる。




