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山を買って古民家スローライフ 〜精霊たちと暮らすDIYな田舎暮らし〜  作者: 猫野いちば


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146/210

第146話

 よく晴れた初夏の朝、俺は特に用事もないのに、庭に立って家をぐるりと見回していた。


 軒先を透かす光が青くて、風は乾いて、こういう日はなんとなく体が外に出たがる。掃除でもするかと箒を持って出て、ふと手が止まったのだ。


「……そういえば、この家、けっこう変わったよな」


 一年前、初めてここに立った日のことを思い出す。歪んだ雨戸、破れた網戸、踏み抜きそうな縁側。あの頃の古民家と、今の家は、もう別物みたいだった。


 修繕した縁側は、体重をかけてもびくともしない。張り替えた障子は白く、直したかまどからは、朝晩ちゃんと湯気が立つ。


 台所に回れば、去年仕込んだ味噌の甕や、漬物の樽が、暗がりでひっそりと出番を待っている。棚には干し野菜の袋が並び、天井からは自家製の燻製が下がっていた。


 どれも、コンビニ弁当で腹を満たしていた頃の俺には、縁のなかったものばかりだ。


 箒を軒下に立てかけて、俺はそのまま、敷地の見回りに出た。


 段々畑では、夏野菜が幾種も青々と葉を広げている。最初は苗を一本植えるだけで必死だった土が、今はふかふかと肥えて、勝手に育ってくれているみたいだ。


 畑の脇には、去年組んだ薪棚。割った薪がきれいに積まれて、雨除けの屋根まで付いている。


 冬のあいだ、この薪の一本一本が、家をぬくぬくと暖めてくれた。斧を振るった手の豆が潰れたのも、今となってはいい思い出だ。


 その隣の小屋には、秋に作った燻製器。冬を越すための薪ストーブは、今は火を落として、夏の光の中で静かに黒光りしていた。


 初めて燻製が上手くいった日の、あの燻り立つ匂いを思い出す。煙を逃がす加減が分からなくて、何度も失敗した末の一枚だった。


「……薪ストーブに、燻製器に、薪棚か」


 指を折るように、一つずつ数えていく。どれも、去年の今頃には影も形もなかったものばかりだ。


 畑と薪棚の間には、去年の秋に据えた井戸端の作業場。野菜を洗い、薪を割り、保存食を仕込む——一年で、いちばん手を動かした場所かもしれない。


 板の表面は、繰り返し使ったぶんだけ角が取れて、手に馴染む色になっていた。道具も設備も、使い込むほどに、こっちの体に寄ってくる。


 庭の奥へ回ると、俺がDIYで組んだ無人直売所が立っている。粗末な棚だけど、雨除けも品書きも付けて、今では立派に品が並ぶ。


 そしてその向こう、山を背にして湯気を上げているのが、この春にようやく完成させた露天風呂だった。


 石を組み、木で縁を巡らせ、山の湧き水を引いた、俺の一年の総決算みたいな設備だ。


 俺は湯船に近づいて、なめらかに削った木の縁に、そっと手を置いた。手のひらに、しっとりとした木の感触が返ってくる。


「フン、この木組み、我ながら悪くない仕事だ」


 縁の上で、腕を組んだモクが、渋い顔のまま満足げに言った。葉っぱの羽をぴんと立てて、自分の仕事を確かめるように、縁を撫でている。


 こいつが木を読んでくれたおかげで、この縁の反りは狂わずに仕上がった。それは、俺もよく分かっている。


「モク、それ、半分お前の手柄だろ……って、精霊に張り合ってどうする」


 言ってから、自分で可笑しくなった。ムササビ妖精相手に、仕事の出来を張り合っている元SEというのは、なかなかの絵面である。


 モクは「フン」とだけ返して、それ以上は何も言わなかった。まあ、悪くない、という顔だった。


 湯気の立つ湯船に手を置いたまま、俺はもう一度、敷地全体をぐるりと見渡す。


 古民家、段々畑、直売所、露天風呂、薪ストーブ、燻製器、薪棚。数えれば、指がぜんぶ埋まってしまうくらいある。


「気づいたら、けっこう色々作ったな、俺」


 一年前は、掃除だけで一日が終わって、へとへとになっていた。それが今は、暮らしに必要なものが、当たり前みたいに一通りそろっている。


 一つ一つは、六十点の仕事かもしれない。でも、六十点を一年積み上げると、こうして目の前に、ちゃんとした「暮らし」の形になって立っている。


 プロの大工が見たら、鼻で笑う出来もあるだろう。それでも、雨風はしのげるし、飯は炊けるし、湯にも浸かれる。住めればいい、食えればいい——それだけは、ちゃんと満たせている。


 その事実が、じんわりと胸に沁みてきた。


 湯の面に、朝の光がちらちらと揺れている。木の縁は、モクが撫でた辺りが、少しだけ得意げに光って見えた。


「全部、自分の手で……いや、みんなの力を借りて、作ったんだよな」


 言い直して、静かに息を吐く。一人で来た山のはずなのに、振り返れば、どの設備にも誰かの手が、そして相棒たちの気配が、確かに混じっていた。


 思えば前の仕事では、一年かけて何を作ったのか、自分でもよく思い出せなかった。徹夜で書いたコードは画面の中で消えて、手元には何も残らなかった。


 その点、ここは分かりやすい。作ったものが、庭にちゃんと立っていて、毎日の暮らしを支えてくれている。


 一年の仕事の量に、俺は自分でも少しだけ感心して、湯気の向こうの山を眺めた。


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