第138話
芽吹きの山に、朝から人が集まりだした。
まず森野さんが、両手いっぱいの山菜を抱えてやって来た。籠からこぼれそうな、こごみやたらの芽が、まだ朝露を光らせている。次いで鉄本さんが、軽トラの荷台を鳴らしながら豪快に登ってきて、鞍馬さんは相変わらず、どこからともなくふらりと現れた。
気づけば、いつもの顔ぶれが勢揃いだ。
誰が言い出したわけでもない。春だから、なんとなく。それだけの理由で、俺の山に賑わいが寄ってくる。
「さあて、こうなったら腹いっぱい食わせますよ。今日はうちの、とっておきを出しますから」
俺は腕まくりをして、土間へ引っ込んだ。
◇◇◇
まずは、一年寝かせた味噌が主役だ。
森野さんが摘んできてくれた山菜を、さっと湯がいて、熟成味噌で和える。こごみ、たらの芽、こしあぶら。ほろ苦い春の香りに、深くまろやかな味噌の旨みが絡んで、これがもう、それだけで酒の肴になる。
鉄本さんが打ってくれた鉄鍋を、さっそく火にかけた。春野菜と地鶏の味噌鍋が、ぐらぐらと湯気を上げはじめる。
「ハッ、いい鍋だろうが。オレの打った鍋は、火の回りが違うんだよ」
鉄本さんが、湯気の向こうで胸を張る。たしかに、鍋肌からむらなく熱が伝わって、味噌の煮え方がまるで違った。道具がいいと、仕事が早い。昔から、そういうものだ。
焚き火のそばでは、エンが尻尾の火を得意げにゆらしていた。
「宴といったら火だろ! 火加減はぜんぶオレに任せろ!」
おかげで、鍋も、炭火にかざした田楽の串も、どれもいい塩梅だ。焦がすどころか、味噌の表面がこんがりと色づいて、甘い匂いが湯気になって立ちのぼる。
その匂いだけで、みんなの腹の虫が、露骨に鳴りだした。
焼きたての田楽を、まずは森野さんに差し出す。ひと口かじって、その穏やかな顔がほころんだ。
「……ああ、これは。味噌が、ずいぶん深くなりましたね。よく寝かせた」
「でしょう。一年、暗がりで待たせたやつです」
鉄本さんは鉄鍋を鷲づかみにして、地鶏をごろごろ椀によそっている。骨からほろりと外れる肉を、汁ごとかき込んで、豪快に唸った。
「うまいっ。……ちくしょう、飯が止まらねえな、これ」
春の山菜のほろ苦さも、熟成味噌のまろやかさが全部まるく受け止めて、角がどこにもない。ただ、深い。俺も一串つまんで、こっそりと悦に入った。
◇◇◇
湯のほうからは、鉄本さんの唸り声が響いてくる。
いつのまにやら、半分は露天風呂に浸かっていた。石を組んだ湯船から白い湯気が上がって、それが芽吹きの緑に溶けていく。
「はー、生き返るわ。……なあ結城、ここ、ほんとに居心地がいいな」
湯船のふちでは、鞍馬さんが腕を組んで、鷹揚に浸かっている。
「うむ。良い気が満ちておる。この眺めも、認めてやろう。悪くない」
湯のなかでは、スイがうっとりと揺れていた。
「お客さまのお湯を整えるの、腕が鳴りますわ」
縁側では、森野さんが湯上がりの顔で、春の山をゆっくり眺めている。その膝の上で、コロがころころと転がって、うれしそうだ。
「にぎやかだと、コロ、うれしいなの」
作業台のそばでは、モクが客用にと椅子を一脚、黙って直していた。
「フン……客が増えたなら、座るところくらい、いるだろ」
賑わうほどに、精霊たちが元気になっていく。不思議なものだが、まあ、悪い気はしない。
◇◇◇
日が落ちて、宵さんが黒いショールを羽織って加わるころには、宴はいっそう和やかになった。
宵さんが提げてきた、深く寝かせたワインを開けてくれた。グラスに注ぐと、熟した果実の香りがふわりと立つ。自分で仕込んだ山ぶどうのほうは、まだ納屋で泡を立てている最中で、飲めるのは数ヶ月先だ。深い赤を灯りにかざして、宵さんが目を細める。
「ふふ、いい夜ね。こんなに賑やかなのに、ちっとも騒がしくないの。……不思議な山だこと」
森野さんが穏やかに笑い、鉄本さんが馬鹿でかい声で山菜を平らげ、鞍馬さんは湯の効能について一席ぶっている。焚き火の火の粉と、湯気と、味噌と酒の匂いが、芽吹きの夜にぜんぶ混ざり合っていた。
こうも褒められると、山を褒められているのか、俺の飯を褒められているのか、いまいち分からない。まあ、どっちにしても、悪い気はしないけれど。
俺は、宴の輪の真ん中で、ひとりぶんの椀を抱えたまま、ふと手を止めた。
独りで来た山が、こんなに賑やかになるとはなあ。
この山に来たばかりのころを、ふいに思い出す。あのときは、鳥の声と、風が梢を撫でる音のほかには、何もなかった。その「何もなさ」が良くて、逃げるようにここへ来たのだ。
なのに、今はどうだ。笑い声と、湯気と、酒の香り。
「独りが良くて逃げてきたのに、賑やかなのが嬉しいって、変な話だよな」
誰にともなく、俺はぽつりとこぼした。
独りの静けさが、今でも好きだ。それは、少しも変わらない。だけど、この賑やかさもまた、たまらなく嬉しい。どちらか一つを選べと言われたら、きっと困ってしまう。
どちらも、今の俺の暮らしだからだ。
「……でも、これも、悪くない。むしろ、いい」
湯気の向こうで、宵さんがこちらを見て、ふっと笑ったような気がした。芽吹きの風が、火の粉をひとつ、夜空へ運んでいく。
春は、宴の季節だ。冷めないうちに、と俺は椀に、鍋の汁をたっぷりよそった。




