第134話
その日は、朝から妙に来客が続いた。
まず、まだ日も高いうちに、鞍馬さんがふらりと現れた。庭の岩場のほうへずんずん歩いていって、腕を組んで山の稜線を見上げている。
「ふむ、いい眺めだ」
振り向いた顔は、いつもの尊大さそのままだった。
「儂はな、眺めのいい岩場を見に来ただけだ。ついでに、少し湯を借りてやってもよいぞ」
ついで、というわりに、鞍馬さんはもう手拭いを肩にかけていた。まあ、来てくれるのはありがたい。俺は薪をくべて、湯を沸かしにかかった。
昼を過ぎると、今度は表で軽トラの止まる音がした。荷台からどんと重たいものを下ろす気配。出てみると、鉄本さんが革の前掛けのまま、両手に何かを抱えている。
「おう結城、鉄鍋を打ったから持ってきたぞ」
差し出されたのは、ずしりと黒光りする鋳鉄の鍋だった。ぶ厚くて、縁の造りが見るからに丁寧で、素人目にも上等だと分かる。
「これで何か炊けば、火の通りが違わあ。……ハッ、宝の持ち腐れにすんなよ」
照れ隠しみたいに笑う鉄本さんに、俺は素直に頭を下げた。こういう道具をぽんと寄越してくれるのが、この人らしい。
◇◇◇
気づけば、縁側のあたりが妙に賑やかになっていた。
森野さんもいつのまにか来ていて、庭の古い梅の木を見上げながら、穏やかに目を細めている。俺に気づくと、静かに会釈した。
「いい山ですね。……木が、のびのびしてる。ちゃんと、手を入れてもらってるのが分かります」
森野さんはいつも、まず木のことを言う。俺が特別なことをしているつもりはないのだが、そう言ってもらえると、枝を払った甲斐があったなと思う。
日が傾きはじめると、音もなく宵さんが現れた。夜型のこの人は、この時間になると水を得た魚みたいに生き生きする。
「あら、みんな揃ってるのね。ふふ、賑やかで、いいこと」
宵さんが持参のワインを卓に置いて、気だるげに微笑む。透けるように白い横顔が、灯りの中でほのかに浮かんだ。
露天風呂からは湯気が立ち、鞍馬さんが気持ちよさそうに唸っている。縁側では森野さんと宵さんが低い声で何か話し込み、鉄本さんは打ったばかりの鉄鍋で、さっそく山菜と地鶏を炒めはじめた。
厚い鉄がしっかり熱を抱え込むおかげで、じゅうじゅうと小気味いい音が立つ。焦げた醤油の香ばしい匂いが、湯気にまじって庭じゅうに広がっていった。地鶏の皮はぱりっと、たけのこはしゃくしゃくと、火の通りがまるで違う。ひと切れつまみ食いした鞍馬さんが、湯船から「ふむ、悪くないぞ」と鷹揚に頷いた。
精霊たちも、それぞれ元気だ。コロが客の頭の上をふわふわ渡り歩き、スイは風呂の縁で得意げに湯加減を整えている。
「あるじ、お客さまがいっぱいなの。コロ、うれしいなの」
肩に戻ってきたコロが、まんまるの目を細めて揺れた。エンはといえば、かまどの火にぴったり張りついて鼻高々だ。
「宴といったら火だろ! 任せろって!」
縁側の隅では、モクが客用に運んだ古い床几の上で腕を組み、いっちょまえに座り心地を検分している。
「フン……客が増えるなら、椅子の一脚も足りんな。まあ、そのうち作ってやる」
渋い顔でそう言いながら、まんざらでもなさそうに羽をぱたつかせていた。
俺は、酒の徳利を運びながら、ふと手を止めて庭を見渡した。
湯気と、炒め物のいい匂いと、人の話し声。あちこちで誰かが寛いでいて、精霊たちまでそわそわ嬉しそうにしている。うちの狭い山の中腹が、いっぱしの宴会場みたいになっていた。
「賑やかだなあ、うち」
思わず、独りごちる。
「……独りになりたくて、この山に来たはずなんだけどな」
可笑しくなって、俺はひとりで少し笑った。全財産をはたいて、静かな暮らしを手に入れたはずだった。それがどうしてこうなったのか、我ながらよく分からない。分からないけれど、悪い気は、まるでしない。
◇◇◇
日がとっぷり暮れて、鉄本さんが露天風呂から上がってきた。首に手拭いをかけ、火照った顔で、うまそうに酒をあおる。
「はー、生き返るわ」
大きく息を吐いて、鉄本さんは月を見上げた。
「……なあ結城、ここ、ほんとに居心地がいいな」
しみじみとした声だった。あの豪快な人が、こんな柔らかい顔をするのかと、俺は少し意外に思う。
すると、湯に浸かったままの鞍馬さんが、鷹揚に頷いた。
「うむ、認めてやる。良い"気"が満ちておる。この山は、そこらの山とは格が違うぞ」
いつもの芝居がかった言い回しだが、褒めているのは伝わってきた。森野さんも静かに微笑み、宵さんはワイングラスをそっと掲げてみせる。
みんなして、そろって山を褒めるものだから、俺はどうにも据わりが悪くなった。手にした徳利を持て余して、頭をかく。
「そんなに褒められると、照れるなあ」
湯と、酒と、鉄鍋の湯気。俺はただ、来てくれた人にうまい飯と風呂を出しているだけのつもりだった。それがこんなに喜ばれるなら、湯を沸かした甲斐もあるというものだ。
まさかこの山が、あの腕のいい変わり者たちにとって、いつでも立ち寄れる集まり場になりつつあるなんて。俺は、まるで気づいていなかった。




