第132話
露天風呂を作ってから、来客がやけに増えた。
早春に石を組んで湯を張った、庭先の露天風呂だ。山の湧き水を引いて、鞍馬さんの見立てた石で囲った、素人仕事にしては上出来の一つである。作った当人としては、たまに一人で浸かって夜空を眺められれば、それで満足のはずだった。
ところが、そうはいかなくなった。
最初に気づいたのは、森野さんが来たときだ。用があるふうでもなく、ふらりと山道を登ってきて、縁側でひと息ついた彼が、思い出したように言った。
「結城さん。……ここに、いい湯があると聞きまして」
「え、なんでそれを」
露天風呂のことは、誰にも吹聴した覚えがない。首をかしげる俺に、森野さんは穏やかに微笑むだけだった。人づてに、というやつだろう。林業をやっているこの人は、あちこちの山に知り合いがいるらしい。口の達者な連中が、どこかで噂したのかもしれない。
せっかく来たのだからと、湯を勧めた。夕暮れの光の中、湯船からゆらりと立つ湯気に、森野さんが目を細める。
長いこと浸かって、上がってきたときには、すっかり顔がほどけていた。
「いい湯です。……木の香りと、水がやわらかい。心の底まで、あたたかくなる」
そう言ってもらえると、作った甲斐がある。俺は上機嫌で、かまどで燗をつけた酒を出した。青菜のおひたしと、味噌をなめる程度の肴を添えて。森野さんは、ゆっくりと盃を傾けていた。
◇◇◇
次に現れたのは、鞍馬さんだった。
石材屋のこの人は、露天風呂の石を選んでくれた恩人だ。腕を組んで湯船を見下ろすと、いかにも尊大に、鷹揚に頷いた。
「ふむ。……儂が見立てた石だ。据わりも、湯の巡りも、悪くない」
「おかげさまで。名湯になりましたよ」
「当然だ。儂の目に狂いはない。まあ、たまには浸かってやろう」
言いながら、もうさっさと手拭いを肩にかけている。浸かってやる、という言い方がおかしくて、俺は笑いをかみ殺した。恩人が寛いでくれるなら、こっちに文句はない。
湯から上がった鞍馬さんは、縁側であぐらをかいて、盃を傾けて上機嫌だった。夕日に染まる山の稜線を見晴らしては、良い眺めだ、良い気が満ちておる、としきりに褒めていた。誰かに褒められて悪い気のする人間はいない。俺も、まんざらではなかった。
そして、夜には宵さんが来た。
昼は苦手だという人だから、月が出てからそっと現れる。夜のしじまに湯気だけが白くのぼる庭で、湯船に身を沈めた白い横顔が、静かに笑った。
「夜の露天風呂……ふふ、噂どおり、素敵なところね」
「気に入ってもらえたなら、うれしいです」
「ええ。わたしみたいなのには、この静けさが、ちょうどいいのよ」
含みのある言い方だったが、たぶん、夜が好きという意味だろう。俺は熱燗を運び、二人でゆっくりと夜風に当たった。
◇◇◇
風呂の縁で、スイがぷかぷかと得意げに揺れている。
「あるじ、お客さまが増えましたわね。お湯を整えるの、腕が鳴りますの」
「頼りにしてるよ。おまえのおかげで、みんな長湯していくんだ」
かまどの脇では、エンが尻尾の火をぱちぱち鳴らしていた。
「宴といったら燗酒だろ! 温めるのはオレに任せろって!」
言うだけあって、エンが張り切ると徳利の燗が絶妙になる。熱すぎず、ぬるすぎず、ちょうど手放したくない温度で上がってくる。客がうまそうに飲むのも道理だ。
精霊たちも、来客が続くのがうれしいらしい。コロは肩の上で機嫌よく揺れ、モクでさえ「フン、客用の盃、もう少し要るな」と満更でもなさそうだ。にぎやかになるほど、みんなどこか元気そうに見える。
考えてみれば、この春はずっとこの調子だ。誰かが来るたび、俺は湯を沸かし、酒の支度をし、肴を見繕う。それがいつのまにか、当たり前の日課になっていた。
みんな、うちの風呂を気に入ってくれてるみたいだ。
作って、よかったなあ。
独りになりたくて登ってきた山に、こうも人が集まるのは、我ながら妙な話ではある。けれど嫌な気はしない。むしろ、湯気の向こうで誰かがほうっと息をつくのを見ると、こっちまであたたかくなる。
湯を沸かし、酒を燗し、上がってきた客に一杯を出す。
「……なんだか、風呂屋の主人みたいだな、俺」
ひとりごちて、俺は笑った。番台に座って手拭いを配るような柄でもないのに、と。
まあ、実際には、ただの山暮らしの延長だ。風呂があって、客が来て、酒がうまい。それだけのことに、大した名前をつける必要もない。
湯船からは白い湯気が、ゆらゆらと夜空へのぼっていく。その湯気を目印にするみたいに、この山にはぽつり、ぽつりと、変わった客が集まってくる。
燗のついた徳利を提げて、俺はまた縁側へ戻る。
「お待たせしました。熱いのが、入りましたよ」
湯上がりの客が、うれしそうに盃を差し出す。その手に酒を注いでやるのが、この頃の俺の、いちばんの楽しみになっていた。
誰が来てもいいように、薪をくべ、湯加減を見て、肴を切っておく。頼まれたわけでもないのに、そうやって支度を整えている自分に、俺はまだ、大した理由を見つけていなかった。




