表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
山を買って古民家スローライフ 〜精霊たちと暮らすDIYな田舎暮らし〜  作者: 猫野いちば


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
123/219

第123話

 カウンターの奥で、宵さんが瓶詰めの何かを、灯りにかざしていた。


 仄暗い店に、その一角だけがぼうっと明るい。琥珀色の液体の底で、細かな粒がゆっくりと舞っている。何かの発酵中らしい。


「それ、なんですか」


 俺が身を乗り出すと、宵さんは唇の端だけで微笑んだ。


「果実を、時間に預けているの。……もう少しで、飲み頃ね」


 時間に預ける、か。上品な人は言葉の選び方まで違うな、と俺は妙なところで感心した。


 宵さんはグラスを傾けながら、発酵という営みを、低い声でぽつぽつと語ってくれた。目には見えない、小さな菌たち。そいつらが暗がりの中で、少しずつ、静かに味を作り上げていくのだと。


「面白いのよ。あの子たちは、急かされるのが、いちばん嫌いなの」


「急かされるのが、嫌い」


 俺はつい、鸚鵡返しにしていた。なんだか身に覚えのある話だ。前の職場で、納期に追われて味も素っ気もない仕事を量産していた頃の自分を、うっすら思い出す。


 宵さんは、赤い液面をひとゆらしして、こう続けた。


「発酵は、待つ料理よ。急かしても、いいことは何もないの」


 その一言が、やけにすとんと胸に落ちた。


「……なるほどなあ」


 俺は思わず唸った。手をかけるより、待つことのほうが仕事だなんて、料理の常識とは逆な気がするのに、聞けば聞くほど腑に落ちる。菌が働くその間、こっちはただ、じっと信じて待っていればいい。


 待つ。その言葉で、俺はふと思い出したことがあった。


「そういえば、うちにも一つ、待ってるやつがあるんですよ」


 去年の秋、冬支度のついでに仕込んだ、味噌の樽だ。塩と、潰した大豆と、麹を混ぜて、納屋の隅で重石をのせたまま眠らせてある。仕込んだ日から、もう一度も蓋を開けていない。


「あれもそろそろ……一年、経つのか」


 指を折って数えて、俺は自分で少し驚いた。あの頃はまだ薪ストーブも入れたばかりで、雪もこれからという時季だった。そこから春が二度目ぐらいだ。時間の流れというのは、待っている当人が思うより、ずっと速い。


◇◇◇


 と、肩の上で、もこもこした小さな重みが、うれしそうに弾んだ。


 コロだ。俺の話を聞いていたらしい。まんまるの目をきらきらさせて、身をよじって揺れている。


「はっこう、コロのおともだちなの。ちいさいけど、がんばりやさんなんだよぉ」


 小さいけど、頑張り屋。菌のことを言っているんだろう。土の精霊だけあって、そういう見えない働き者には、こいつも親近感があるのかもしれない。


「そうか。コロの友達だったのか、味噌の中身は」


 俺が指先でそっと頭を撫でてやると、コロは気持ちよさそうに目を細めた。友達が頑張っているんだから、待つのも悪くないな、という気になってくる。


 宵さんは、そんな俺と肩先のやりとりを、面白そうに眺めていた。……いや、コロは見えていないはずだ。俺がひとりで肩に話しかける変な客に映っているだろうに、この人は少しも訝しがらない。懐の深い人だ。


「一年、寝かせたのね」


「はい。正直、仕込んだきり忘れかけてました」


「忘れているくらいが、ちょうどいいのよ」


 宵さんは、くすりと笑った。手をかけすぎず、そばで見張りすぎず、季節に任せて放っておく。それが、あの子たちにいちばん優しいの、と。


 なるほど、放っておくのが優しさか。俺の暮らしにも、思い当たる節がありすぎる。畑も、山も、風呂の湯だって、こっちが焦って手を突っ込むより、待ったほうがうまくいくことが多い。


「……俺、案外、待つのは得意かもしれません」


 半分冗談で言ったつもりだった。街にいた頃は、一分一秒に追い立てられて生きていたのに、山に来てからというもの、待つのがすっかり日課になっている。飯が炊けるのを待ち、実がなるのを待ち、雪が解けるのを待つ。


 宵さんは、そんな俺をじっと見て、それから静かに言い添えた。


「発酵はね……あなたの暮らしに、きっと合う」


 グラスを置く、かちりという音が、やけに大きく響いた。


「待つことを、あなたは知ってるでしょう?」


 問いかけの形をしていたけれど、答えを求めている声ではなかった。もう分かっている、とでも言いたげな、穏やかな断定。


 俺は、なんと返したものか迷って、結局、頭を掻いた。


「知ってる、っていうか……ほかに、やることがないだけですけどね」


 自分で言って、可笑しくなる。待つのが得意な男、というより、のんびりしすぎな男というだけかもしれない。


 それでも、宵さんは満足そうにうなずいた。肩の上のコロも、うんうん、と同意するみたいに揺れている。


 琥珀色の瓶の中で、小さな粒が、今もゆっくり舞っている。急がず、慌てず、ただ静かに、味になっていく。


 うちの樽の中でも、コロの友達が、そうやって働いているんだろう。


「帰ったら、一度、蓋を開けてみるかな」


 どんな顔になっているのか。一年ぶりの再会が、少しだけ楽しみになってきた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ