第12話
畑を広げたのが、少しばかり効きすぎたらしい。
朝、籠を提げて畑に出るたび、キュウリもナスもトマトも、食べきれないほど採れる。一人暮らしの胃袋には、どう考えても多すぎた。
直売所に並べるぶんを差し引いても、まだ余る。生のまま置いておけば、この夏の陽気ではあっという間に傷んでしまう。捨てるのは、性に合わない。
「よし、こいつは保存食にするか」
台所に野菜を並べて、俺は腕をまくった。保存食ってのは、要するに時間を味方につける料理だ。今日の余りを、明日の、来月の、来年の飯に変えていく。段取りを組むのは、嫌いじゃない。
まずは手軽な浅漬けから。
キュウリとナスをざくざく刻み、塩をひとつまみ。刻んだ生姜と昆布を放り込んで、ポリ袋の上から軽く揉む。指先に、野菜の水がじわりとにじむ感触が伝わってくる。
空気を抜いて口を縛り、重しをのせて日陰へ。あとは半日、待つだけでいい。塩が野菜の水を呼び、余分を抜いて、うまみだけを残していく寸法だ。
次は干し野菜だ。
薄切りにしたナスと、輪切りのトマトを、平たい笊にすきまなく並べる。軒下の、いちばん陽の当たる場所へ吊るす。
夏の日差しは、こういう仕事には打ってつけだった。半日もすれば、みずみずしかった切り口が、きゅっと縮んで飴色に変わっていく。水が抜けたぶん、甘みと香りがぎゅっと濃くなる。
干し野菜ができたら、さらにもう一手間かけたくなった。燻製だ。
畑の隅に据えた古い一斗缶に、桜のチップをひとつまみ。硬めに干した野菜を並べ、弱火でじっくり煙をくぐらせる。
蓋のすきまから、白い煙がゆらりと立ちのぼる。木の焦げる、甘く香ばしい匂いが、庭いっぱいに広がっていった。
「……たまらんな、この匂い」
燻された野菜は、色艶からして別物だった。つまんで一切れ口に放ると、香ばしい煙の香りのあとから、凝縮した野菜の甘みがじんわり追いかけてくる。ビールがあれば最高だが、まあ、それは夜の楽しみにとっておこう。
最後は、いちばんの大仕事——味噌の仕込みだ。
茹でた大豆を潰し、麹と塩をよく混ぜ合わせる。空気を抜くように団子に丸めて、樽の底へ勢いよく叩きつけていく。この、みっちり詰める手応えが、妙に癖になる。
表面をならして塩を振り、重しをのせて蓋をする。これで仕込みは終いだ。あとは待つだけ——といっても、食べ頃は来年の秋になる。
「気の長い話だよな。……仕込んだ本人が、食う頃には忘れてそうだ」
それでも、この一年後を楽しみに待つ感覚が、山の暮らしにはよく似合った。
仕込みのあいだ、台所は不思議と居心地がよかった。汲んだ水がやけに澄んで、大豆の茹で汁の濁りまで、すっと抜けていくようだった。樽のあたりだけ、ほんのり暖かい気もする。発酵には、ちょうどいい塩梅だ。
「この家の台所、ものを寝かせるのに向いてるのかもな」
まあ、古い家だから、そういう見えない知恵が染みついているのだろう。俺は深く考えず、樽に「来年の秋」と書いた紙を貼った。
こうして棚には、瓶詰めと干物と味噌樽が、ずらりと並んだ。我ながら、いい眺めだ。
浅漬け、干し野菜、燻製、味噌。どれも、田舎に昔から伝わる、なんの変哲もない保存の知恵にすぎない。
「まあ、ただの田舎の保存食だよ。……なんで、こんなに喜ばれるのか」
仕込みついでに、瓶に小分けした漬物と干し野菜を、直売所にも並べておいた。生野菜と違って日持ちするぶん、留守がちな俺にはちょうどいい。喜ぶ物好きが、いるかどうかは知らないが。
◇◇◇
翌朝、直売所を覗いた俺は、料金箱の中でうっかり声をあげた。
これまで見たどれよりも、大ぶりで、ずしりと重い金貨が一枚。縁の紋様も、彫りが深くて凝っている。まるで、とびきりの上物に払われた代金みたいだった。
「保存食が、そんなに喜ばれるとはなあ」
俺は金貨をつまんで、小物入れがわりの空き缶に放り込もうとして——手を止めた。缶の中は、もう似たようなコインで、いっぱいだった。
「……小物入れがいっぱいだ。使い道、ないんだよな、この外国コイン」
両替できるわけでもなし、記念にしては溜まりすぎだ。かといって、律儀に置いていってくれるものを、突き返すのも野暮だろう。
俺は缶に金貨を足し、蓋を軽く押さえた。まあ、いいか。喜んでもらえたなら、それでこっちも報われる。
棚に並んだ保存食が、これから誰の腹を満たすのか。そんなことは、そのときの俺には、知りようもなかった。
◇◇◇
しんと静まった夜の台所。水がめの縁で、半透明のしずくがぷかりと浮かんだ。水と浄化の精霊、スイである。
「ふふ、今日もいい仕事をしましたわ。あの漬け物も、味噌も、悪いばい菌が湧かないよう、水をぜんぶ澄ませてさしあげたのですから」
得意げに胸を張るスイの隣で、味噌樽のふちから、まんまるの苔玉がひょっこり顔を出した。土と植物の精霊、コロだ。
「コロもねぇ、おまめのなかで、いいこたちがふくふく育つの、いっぱい手伝ったんだよぉ」
「あら、それはご苦労さまですわ。ふたりで仕込んだようなものですわね」
「うん、なの」
棚にずらりと並んだ瓶と樽を、ふたりはうれしそうに見上げた。あるじは「古い家だから」と、あっさり片づけていたけれど。
「気づいてはくれませんけど……あんなにおいしそうに、大事に寝かせてくださるのですもの。それでじゅうぶんですわ」
「うん。……らいねんのあき、あるじ、びっくりするといいなの」
樽のあたりが、ほんのり、あたたかかった。




