第111話
早春の朝の光は、まだ少し薄い。
湯船はもう、石も木も組み上がって、あとは細部を詰めるだけになっていた。ここまで来ると、大工事というより、仕上げの職人仕事だ。掘って、積んで、張って——荒っぽい工程はあらかた終わり、指先の丁寧さがものを言う段になった。
俺は軒下に材を並べて、腕まくりをした。
「さて。眺めは殺さず、落ち着けるように……この匙加減が、いちばん難しいんだよな」
露天風呂の楽しみは、なんといっても山の眺めだ。だが、なにもかも丸見えでは、腰を据えて湯に浸かる気にならない。開けるところは開け、隠すところは隠す。その塩梅を、竹垣ひとつで作ってやる。
まずは目隠しの竹垣から手をつけた。
割った青竹を並べ、間を少しずつ空けて、棕櫚縄で結んでいく。詰めて編めば風も眺めも遮ってしまうし、透かしすぎれば目隠しにならない。指三本ぶんの隙間を目安に、一本据えるごとに湯船の側へ回り、しゃがんで目線を確かめた。
湯に肩まで沈めたつもりで、そこから山がどう見えるか。
「……よし、この高さだ。座ると芽吹きの稜線がちょうど覗いて、立つと里までは見えない。うん、いい塩梅だ」
結び目をきゅっと締めると、青竹が朝日を弾いて、青くつやりと光った。指の腹に、まだ生木の湿った匂いが残る。
◇◇◇
次は、湯船までの飛び石だ。
鞍馬さんが選んでくれた自然石の中から、踏み面が平たくて据わりのいいものを見繕う。脱衣所の板の間から湯口の手前まで、歩幅に合わせて置いていく。ここで元SEの悪い癖が出た。
「歩幅は……俺の足で二尺三寸。濡れた足でも滑らないように、面はほんの少しだけ湯船へ傾ける。排水も兼ねられるから、一石二鳥だな」
図面の上でさんざん引いた線を、今度は本物の石で引き直していく感覚だ。頭の中の設計が、足裏の実感に置き換わっていく。この、抽象が物理になる瞬間が、俺はどうにも好きらしい。
一つ据えるたびに、上に乗って体重をかけ、ぐらつきを確かめる。がたつけば下ろして、砂利を噛ませ、また乗る。地味だが、この一手間を惜しむと、湯上がりに足を取られて泣きを見る。
石と石の間隔を、半歩ぶん詰めたり、伸ばしたり。実際に何度も往復して、いちばん自然に運べる歩みを探った。
◇◇◇
最後は、湯口だ。
湧き水が竹樋を伝って湯船へ落ちる、その落ち口の細工。ここばかりは、見た目でも実用でもなく、耳のための仕事だった。
水がまっすぐ落ちると、ばしゃばしゃと荒い音になる。石の受けに少し角度をつけて、水を撫でるように滑らせてやると、音が丸くなる。
「湯口の水音、もう少しやさしくしたいな。石の角度、あと五度……いや、三度か」
俺は竹樋の傾きを、指先でそろそろと動かしては、耳を澄ませた。落ちる。跳ねる。伝う。ほんのわずかな角度で、水の音はまるで違う表情になる。
こういう、他人には気づかれもしない細部を延々といじり倒すのは、たぶん俺の悪い癖だ。素人が一人で浸かる風呂に、水音のチューニングまでやる男は、我ながらそうそういないだろう。
「……よし、この音だ。ちょろちょろって、これくらい」
落ち口を伝う湯の音が、静かな山にとろりと溶けた。悪くない。むしろ、上出来だ。
気づけば、現場は俺一人ではなくなっていた。
湯船の縁では、コロが石の目地に苔を貼りつけている。ちょんちょんと押さえては、満足そうに首をかしげていた。
「ここに、こけ。しっとりして、きもちいいの」
スイは水口の下でぷかぷか回りながら、流れ込む水を澄ませていた。
「あるじ、お水はわたくしにお任せくださいまし。曇りひとつ、残しませんわ」
エンは沸かし場の焚き口で、火の通り道をせっせと整えている。
「湯を沸かすのはオレの城だからな! ここだけは譲らねえぜ!」
モクは縁板の角を、鉋でしゅっと面取りしていた。
「フン。湯上がりに肌が触れるところだ。角が立っていたら興ざめだろうが」
俺は手を止めて、その光景をぐるりと見渡した。土に、水に、火に、木。それぞれが自分の領分を、勝手に、嬉々として詰めていく。
「一人の作業のはずが、完全にみんなの現場だな。……いいチームだよ、ほんと」
誰に頼んだわけでもない。なのに、俺が手を回しきれないところへ、ちゃんと誰かの手が伸びている。持ちつ持たれつというのは、こういうことを言うんだろう。
◇◇◇
陽が高くなる頃、最後の飛び石が残った。
脱衣所から数えて、いちばん奥。湯口のすぐ手前に据える一枚だ。俺は据わりのいい平石を両手で抱え、砂利を均した窪みにそっと下ろした。
乗って、体重をかける。ぐらつきは、ない。
俺は石から降りて、一歩、二歩と後ろへ下がった。竹垣、飛び石、湯口、木の縁側。冬じゅう紙の上で描いてきたものが、そっくりそのまま、朝の光の中に立っている。
「……できた。ほぼ、完成だ」
声が、少しかすれた。
石と木と、澄んだ水路。あとはここに、湯を張るだけ——。




