第110話
湯船が水を逃がさなくなって、露天風呂づくりはようやく次の段取りへ移った。今度は、木の番だ。
石で組んだ湯船のまわりに、湯へ入る前後で足を置く縁側と、湯上がりに一息つく板の間、それに着替えのための脱衣所をこしらえる。石だけだと、どうしても足元が冷たくて、そっけない。そこへ木を回してやれば、居心地がぐっと変わるはずだ。
材を運び込むと、作業台の上でムササビの精霊が、葉っぱの羽をぴんと立てて待ち構えていた。木と風の相棒、モクである。
「フン。ようやく俺の出番か。待ちくたびれたぞ」
石組みのあいだ、こいつはずっと手持ち無沙汰そうにしていた。石は鞍馬さんの領分で、出る幕がなかったのだ。木の匂いのする現場に戻ってきて、羽の先までうずうずしているのが伝わってくる。
まずは寸法どりだ。差し金を当て、湯船の縁のうねりに沿って、板の当たりを鉛筆で拾っていく。石は一枚ずつ顔が違うから、木のほうを合わせにいくしかない。ここは直線じゃきかないな。
墨付けが済んだら、丸ノコの出番だ。刃の出しろを材の厚みに合わせ、ガイドを墨線へ寄せる。トリガーを引くと、モーターがぐわんと低く唸り、モクの羽がぴくりと跳ねた。
刃が材に食い込むと、音が甲高い切削音に変わり、細かい木屑が扇形に散る。切りたての檜の、湯気みたいに甘い匂いが、ふわりと立ちのぼった。
「……いい音だ。文明の利器は、やはり悪くない」
うっとりと呟く相棒に、俺は笑ってしまう。工具のばか正直なパワーに痺れる気持ちは、こっちにもよくわかるのだ。
◇◇◇
切り出した板がそろうと、次は組み手を刻む。
俺は縁側の桁に、ほぞ穴の墨を入れた。鑿を当て、木槌でこつこつと打ち込むと、繊維の断たれる小気味いい手応えが、柄をつたって指先まで届く。掘っては削り、掘っては合わせ、穴の四隅を直角にさらっていく。
相手のほぞを差し込むと、最初の数ミリで、きゅっと渋った。緩くもなく、きつすぎもしない。この「ちょうど」を出すために、鑿の刃をあと半分ぶん寝かせる。
モクが継ぎ目に顔を寄せ、じっと据わりを検分していた。羽の先で、木口をなぞる。
「フン。この継ぎ手なら、百年もつ」
得意げに鼻を鳴らして、モクは腕を組む。
「湯気で濡れつづける場所だがな。生半可な仕口では、じきに緩む。……が、これなら舐められん。舐めるなよ」
誰も舐めてないんだけどな、と思いつつ、確かに、と俺は頷いた。湯のそばの木は、乾いた家具よりずっと過酷な目に遭う。そこまで見越して面を取っておけと、こいつは言っているわけだ。相棒の目利きは、いつも一歩先を見ている。
言われたとおり、水の抜ける勾配を頭に入れて、板を張っていく。木口を湯側へ向けず、湯滴が伝って落ちるよう、わずかに外へ流す。ビス頭は面より沈めて、栓木で隠す。この一手間で、裸足で踏んだときの当たりがまるで違う。
◇◇◇
最後の板を留めて、俺は一歩下がった。
石のごつごつした湯船を、檜のなめらかな縁側がぐるりと抱いている。灰色の岩肌に、白木の淡い金色が寄り添って、どちらの良さも、相手がいることで際立っていた。冷たい石と、あたたかい木。硬い石と、やわらかい木。
脱衣所のほうも、格子の壁に朝の光が差して、床板が飴色に光りはじめている。ここで服を脱いで、あの縁側を渡って、湯に沈む——動線をなぞるだけで、もう気持ちがほどけていくようだった。
「……これ、もう、ただの風呂じゃないぞ」
思わず声が漏れた。板を張る前は、確かにまだ「石で囲った湯溜まり」だった。それが木を回した途端、ひとつの居場所として立ち上がってくる。
石と、木と、これから満ちる湯。三つがそろって、ようやく調和が生まれはじめている。自分ひとりが浸かるための風呂に、ここまで手をかけるやつもそういないだろうな、と我ながら思う。まあ、贅沢な道楽だ。
作っている、というより。
「育ててる感じだな、これ」
図面の上の線が、木の香りと石の重みをまとって、少しずつ息を吹き返していく。手を入れるほどに、風呂のほうから応えてくる。そういう手応えだった。
モクが縁側の上をとことこ歩いて、面取りの具合を一つずつ確かめている。木の香りの濃い現場で、こいつは今日、いちばん機嫌がいい。
「あるじ。この縁の仕上げは、俺の仕事だ。……悪くないだろう」
「ああ。上出来だよ、モク」
素直に返すと、そっぽを向いた羽の先が、ちょっとだけ得意げに揺れた。




