第106話
掘って固めた基礎が乾いて、いよいよ石組みの日が来た。
早春の朝は、まだ空気に冬の名残がある。それでも日が昇るにつれ、山肌の土からうっすらと湯気のような陽炎が立ちのぼり、庭の隅の雪はすっかり溶けきっていた。
鞍馬さんは腕まくりひとつで、積み上がった石の山の前に立っている。運び込まれた庭石は、どれも大人が二人がかりでようやく動くような代物だ。
「さて。ぼちぼち、始めるとするか」
言うが早いか、鞍馬さんはいちばん手前の据わりのいい石を、片手でひょいと持ち上げた。俺が全力で押しても、びくともしなかった石である。
いや、待ってくれ。今、片手だったよな。
その驚きを口に出す間もなく、鞍馬さんは石を目の高さに掲げ、二度、三度と、ゆっくり傾けて向きを見た。まるで果物の熟れ具合でも確かめるみたいに、あちこちの面を陽にかざす。
それから、迷いなく基礎の隅へ据えた。ごとり、と鈍い音が一つ。
たったそれだけだった。なのに、石はもう寸分も動かない。
◇◇◇
俺は少し離れたところから、その手さばきを見ていた。
二つ目の石を、鞍馬さんが手のひらで撫でる。指の腹で表面をなぞり、こつこつと拳で軽く叩いて、音を聴く。硬く澄んだ音のする面と、こもった音のする面が、たしかにあるらしい。
叩いて、傾けて、また叩く。しばらくそうしてから、鞍馬さんは石を鼻先へ近づけ、ふっと匂いを嗅いだ。土と、雨と、苔の混じった、山そのものみたいな匂いがするのだろう。
それから石をぐいと回し、さっきの石の脇へ寄せた。
噛み合う瞬間、かちり、と乾いた手応えの音が鳴る。石と石の合わせ目には、紙一枚の隙間もない。指先でなぞってみても、段差ひとつ感じられなかった。
次の石も、その次の石も、同じだった。持ち上げ、傾け、撫で、叩き、据える。工程はいつも同じで、けれど据わる向きは一つとして同じがない。無造作に見えるのに、積み上がった石垣は、定規を当てたようにびたりと面が揃っていた。
俺は思わず息を漏らした。
「プロってすごい……いや、プロ以上だな、これ」
石が、鞍馬さんの手に吸い付いているみたいだった。据えたいところへ、石のほうから収まりにいく。そんなふうにさえ見える。
俺なんか、五右衛門風呂の焚き口をちょっと直すだけで半日うなった人間だ。同じ「石を積む」でも、素人とこの人とでは、住んでいる世界が違う。
しかも、速い。ためらう時間がまるでない。俺なら一つ据えるたびに水平器を当てて、首をひねって、また持ち上げてを繰り返すところだ。鞍馬さんは、その一度でぴたりと決めてしまう。
仕事の速い人というのは、たいてい雑になるものだと思っていた。この人は、速くて、そのうえ正確なのだ。段取りだけは人並みに気を配ってきたつもりの俺から見ても、その手際は惚れ惚れするほど無駄がなかった。
◇◇◇
肩に、ぽすんと軽いものが乗った。コロだ。
いつのまにか苔玉のからだをまんまるにして、俺と一緒に石組みを見上げている。
「くらまさん、いしと、おはなししてるの」
のんびりした声で、コロがそう言った。石と話す、か。まあ、コロにはそう見えるんだろう。俺の目には、腕のいい職人が黙々と手を動かしているだけにしか映らないけれど。
それでも、あながち的外れでもない気がした。鞍馬さんが石を撫でて叩くたび、本当に石の返事を聞いているみたいに見えるのだから。
最後の一石を据え終えて、鞍馬さんが腰を伸ばした。俺はたまらず尋ねた。
「鞍馬さん。どうやったら、そんなに正確に据えられるんですか」
鞍馬さんはこちらを振り返り、ふっと口の端で笑った。得意げで、少し芝居がかった、いつもの顔だ。
「石は生きておる。一つ一つ、据わりたい向きが決まっておるのだ」
積み上げた石垣を、大きな手のひらでゆっくり撫でる。
「儂はその話を聞いて、置いてやるだけよ。無理に伏せようとするから、素人の石垣は崩れるのだ」
石が生きている、なんて。職人の含蓄というやつだろう。長年この道をやってきた人には、石にも表情や機嫌が見えるのかもしれない。
俺はまだ、その境地の入り口にも立てていない。それでも、目の前で組み上がった石垣の見事さだけは、素人の俺にもはっきり分かった。
「……ここに湯が張られたら、絶景だろうな」
組み上がったばかりの石を、朝日があたたかく照らしていた。




