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山を買って古民家スローライフ 〜精霊たちと暮らすDIYな田舎暮らし〜  作者: 猫野いちば


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105/229

第105話

 早春の朝の空気は、まだ指先にひやりと冷たい。


 だが、鍬を握って四半刻も土を起こせば、背中はじっとりと汗ばんでくる。俺は上着を脱いで縁側に放り、腕まくりをした。息が、白から湯気に変わっていく。


 足もとには、地面に張った縄が湯船の輪郭を描いている。冬じゅう机の上でさんざん引き直した図面が、いま、土の上に実物大で寝そべっているわけだ。この縄の内側を掘る。ただそれだけのことが、妙に胸を高鳴らせる。


「よし。いよいよ、着工だ」


 声に出してから、俺は鍬を振り下ろした。


 早春の土は、思ったより手ごわい。表面こそ雪解けでゆるんでいるが、少し刃を入れると、まだ芯に冬の硬さが残っている。石を噛むたび、がつん、と嫌な手応えが腕まで跳ね返ってきた。


 それでも、掘るほどに、雪の下で眠っていた湿った黒土の匂いが立ちのぼる。胸いっぱいに吸い込むだけで力が湧いてくるのだから、我ながら単純である。


◇◇◇


 軒下の作業台では、モクが俺の道具をぶすっとした顔で検分していた。


「フン。この鍬、柄のすげ方が甘い。刃がぐらついてる。……貸してみろ」


「お、頼めるか」


 葉っぱの羽を器用に動かして、モクは楔を打ち直し、柄をきゅっと締め直す。返してもらって振ってみると、なるほど、刃先が土に吸い込まれるように入っていく。さっきまでのぐらつきが、嘘みたいに消えていた。


「すごいな。同じ鍬とは思えない」


「道具ってのは、手入れが八割だ。舐めるなよ」


 渋い声で言い置いて、モクはまた腕を組む。口は相変わらず辛口だが、こいつの直した道具は、いつも間違いがない。


 足もとでは、コロがころころと土の上を転がっていた。まんまるの苔玉が這ったあとの土は、不思議と黒々と、ほろほろにほぐれていく。


「あるじ、ここのつち、かたいの。ぼくが、やわらかくするねぇ」


「助かるよ。お前が先に行ってくれると、鍬がずいぶん楽だ」


「えへへ。まかせるの」


 コロがほぐした先は、力を込めなくても、すっと刃が沈む。掘り出した土を縁に寄せ、混じった石をより分けて、水はけのために脇へ積んでいく。掘る、除ける、固める。工程を頭の中で並べて、ひとつずつ潰していくこの感じが、たまらなく心地いい。


◇◇◇


 昼が近づく頃には、湯船の窪みがだいぶ形になってきた。


 汗が顎から滴り、腕は重い。それでも鍬を止める気になれない。一鍬ごとに、頭の中の図が、目の前の地面に立ちあがってくる。この、思い描いたものが物として現れる感覚——SE時代のリリース前に、ちょっと似ている。


 ただ、あの頃は納期に追われて胃を痛めていた。こっちは、掘るほどに機嫌がよくなる。同じ「形になる高揚」でも、中身がまるで違う。


「素人が庭に穴を掘ってるだけなのに、なんでこんなに楽しいんだかな」


 誰にともなく呟いて、俺は手の甲で額をぬぐった。


 と、鍬の先が、これまでとは違う、鈍く重い音を立てた。


 土をどけてみると、大きな岩の背が現れた。半分以上が地面に埋まっている、据わりのいい一枚岩だ。掘り進める予定の、ちょうど真ん中あたりに鎮座している。


「うわ、でかいな……。これ、どかすとなると、ひと仕事だぞ」


 腕を組んで唸っていると、モクが作業台からのそりと降りてきて、岩の面をじっと見上げた。


「フン。こいつは、動かすより活かせ」


「活かす?」


「据わりを見ろ。何百年も、ここでこの向きに落ち着いてきた面構えだ。無理に剥がせば、まわりの地盤ごと緩む。……こういう石は、土に喧嘩を売るより、味方につけたほうが利口だぞ」


 言われて、俺は改めて岩を眺めた。灰色の肌に、うっすら苔をまとった、堂々とした佇まい。なるほど、これを力任せに引っこ抜くのは、いかにも無粋な気がしてくる。


 その瞬間、頭の中で図面の線が、するりと引き直された。


「……そうか。これ、どかすんじゃなくて、湯船の一部にすればいいのか」


 思わず声が弾んだ。天然の岩が湯船の縁にどっしり据わっていたら、これ以上ないくらい贅沢な眺めになる。買ってきた石を並べるのとは、格が違う。


「湯に浸かって、この岩に背中をあずけるんだ。最高だろ。図面には無かったけど、こいつは拾いものだ」


「フン。物のよさが分かるようになってきたじゃないか」


 珍しくモクが、ほんの少しだけ口の端をゆるめた気がした。


 足もとでは、コロが岩に登って、まんまるの目をきらきらさせている。


「このいわ、あったかい子なの。あるじのおふろ、よろこんでるよぉ」


「そりゃいい。仲間が増えたな」


 俺は岩の背をひとつ、ぽんと叩いた。ひんやりとして、それでいて日を吸ったのか、芯にほのかな温みがある。


 図面どおりに進めるのも大事だが、現場で出てきたものを、その場で活かす。これができるのが、DIYのいちばん面白いところだ。掘りかけの窪みに、思いがけず居ついた一枚岩。まだ穴の段階なのに、もう完成した湯の形が、うっすら見えてきた気がする。


「よし、午後も掘るぞ。今日中に、基礎の底までいきたいな」


 鍬を握り直すと、モクが道具の具合をもう一度みてやると言い、コロが先回りして土をほぐしにいく。ひとりなら心細い大工事も、こいつらがいれば、不思議と怖くない。


 白い息と汗の湯気を立てながら、俺は早春の山で、また鍬を土に沈めた。


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