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山を買って古民家スローライフ 〜精霊たちと暮らすDIYな田舎暮らし〜  作者: 猫野いちば


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102/235

第102話

 鞍馬さんが石を見繕いに来てくれたのは、雪解けの匂いが山を満たし始めた、よく晴れた朝のことだった。


 冬のあいだ温めてきた露天風呂の構想が、いよいよ動き出す。今日はその記念すべき第一歩、場所選びだ。


 軒先の雪はすっかり雫に変わり、山肌には土と苔の色が戻り始めている。約束の刻限きっかりに、背の高い人影が、ぬかるみかけた坂道を悠々と登ってきた。


「ふむ。春の山も、なかなか気が澄んでおる」


 玄関先に立つなり、鞍馬さんは胸いっぱいに空気を吸い込んで、満足げにそう言った。相変わらず、立ち姿がいちいち芝居がかっている。


 俺はさっそく、裏手の湧き水のそばへ案内した。冬にここで「極上の湯が出る」と請け合ってくれた、当の本人だ。


 鞍馬さんは岩場に立つと、腕を組み、ぐるりとあたりを見渡し始めた。


 水の湧く向き、岩の段の傾き、日の差し込む角度。その視線が一つずつ、俺には見えない筋道を拾っていくのが分かる。


 しばらく黙って歩き回ったあと、鞍馬さんは一点で足を止め、地面をとん、と草履で叩いた。


「湯船は、ここだ」


 迷いのない声だった。


「この向きなら、朝は芽吹きの山がまるごと目に入る。夜は、月がちょうどあの尾根から昇ってくる。……覚えておけ、結城。眺めは、湯の半分だぞ」


 眺めは、湯の半分。妙に耳に残る言い回しだった。


 言われて俺も、その場にしゃがんでみる。なるほど、たしかに視線の先が開けていて、若草色に萌えはじめた山肌が、ちょうど額縁に収まるように広がっていた。


 日当たりもいい。朝の光がまっすぐ差し込んで、湯気がきれいに立つだろう。湧き水の落ち口も近く、湯を引く手間が少なくて済む。


 条件を一つずつ数えあげて、俺は素直に感心した。自分ならまず、家から近いというだけの理由で、てきとうに決めていた気がする。


「よく、そこまで地面が読めますね」


 思わずそう漏らすと、鞍馬さんはふっと片頬を上げた。


「山は、黙って多くを語る。聞く耳さえ持てば、な」


 石屋さんというのは、地面と話でもできるんだろうか。


◇◇◇


 場所が決まれば、次は地ならしだ。


 二人で石を除け、じゃまな根を切り、でこぼこの土を平らに均していく。慣れない鍬仕事だが、鞍馬さんが除ける石の見当をつけてくれるので、驚くほど段取りがいい。


 俺が鍬を入れると、土は思ったより素直にほぐれた。冬を越したばかりで固く締まっているはずなのに、刃先がすっと沈んでいく。


 ふと足元を見ると、苔玉みたいな相棒——コロが、まんまるの目を輝かせて土を撫でていた。


「ここ、いいばしょなの。つちが、きもちいいって」


 地面の機嫌まで分かるのか、と俺は笑った。お前がそう言うなら、間違いはなさそうだ。


 鞍馬さんの見立ては、いちいち理にかなっていた。ここの石は残す、あの根は切っても水脈に障らない、この土は掘るより突き固めたほうがいい——理由を添えて指し示してくれるので、俺はただ手を動かすだけで、無駄な掘り返しが一つもない。段取りを最適化して手戻りを潰していく感覚は、皮肉なことに、昔さんざんやらされた仕事の割り出しとそっくりだった。ただ、返ってくるのが画面の中の数字ではなく、足の下の確かな地面だというだけで、こんなにも気分が違う。


 二人と一匹で土をならすうち、ただの岩場だった一角が、少しずつ「湯船の場所」の顔になっていく。


 仕上げに縄を張って、湯船の輪郭を地面に写しとる。頭の中で一冬こねくり回した図面が、初めて現実の大きさを持って、そこに立ちあがった。


「……ここに、本当に湯が張られるのか」


 まだ土をならしただけの地面を眺めて、俺は妙にそわそわしてしまった。


◇◇◇


 ひと区切りついて、鞍馬さんが額の汗を拭う。


 俺がつい「本当に、あんな上等なものが作れますかね」と弱気を漏らすと、鞍馬さんは呆れたように鼻を鳴らした。


 そして、大きな手で俺の肩を、ぽん、と叩く。


「案ずるな」


 鷹揚な、それでいて不思議と芯のある声だった。


「儂の石で、都の湯屋も裸足で逃げ出す、極上のを作ってやる。任せておけ」


 尊大で、芝居がかっていて——それでいて、驚くほど頼もしい。


 この人がそう言うのなら、本当にできてしまう気がする。一人だったら、場所決めだけで日が暮れていたところだ。


 春の光の下、地ならしを終えたばかりの土が、湯気を待つように、しっとりと湿っていた。


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