第四十一話 遺したもの
ようやくやってきた警察にスイは大人しく自首した。連れられていく彼女は、最後まで俺を見て微笑んでいた。きっともうしばらくは会えないだろう。
「……岩セン」
俺と千夏は二人、屋上に残っていた。岩センの遺体が警察によって片付けられていく。その光景がとても遠く感じられた。
「センパイ……。」
千夏は眉を下げ、そっと俺の背に手を添えた。そのまま、そっとさすり始める。
「……あんま近づくなよ。不運に巻き込まれるぞ」
「……いいんすよ。」
彼女は小さくそれだけ言った。
二人の間に沈黙が流れる。ただ彼女の手だけがゆっくりと俺の背中に触れている。
俺は俯いたまま言葉をこぼした。
「……なあ。お前は……お前は、俺を置いていかないよな?」
「……センパイ、不安なんすね。無理もないっす、あんなことがあって……」
彼女は肯定も否定もしなかった。千夏のどこまでも献身的な姿勢にじんわりと胸が温かくなっていく。
「……これから、どうしたらいいんだろうな」
部長も岩センも、そしてスイもいなくなってしまった。俺の周りに残っているのはもう千夏だけだ。その千夏もいつかいなくなるのかもしれない。大切なものは壊れるし、人は裏切るのだ。
「悪いこと考えてた久遠センパイはいなくなったし……きっともう大丈夫っす。」
「ああ。でも……」
失ったものはもう戻らない。
心に大きな穴が空いて冷たい風が吹いている。この穴をこれからも抱えて生きていかないといけないのだ。その道のりはどれだけ長く、辛いだろうか。
その時、千夏がポケットから何かを取り出した。
「……センパイ。これ……岩井センセーの死体の内ポケットにあった文庫本っす。さっき警察の方に死体移動の話とかした時、借りてきたんす。」
「え……?どうしてそんなものを持ってるんだ?」
俺は顔を上げてその本を見つめた。少し血に濡れた、シンプルで美しい装丁の本。
「……岩井センセー、前にセンパイにおすすめの本があるって言ってたじゃないっすか。もしかしたらこれがそうなんじゃないかと思って……。」
そう言って千夏は本を俺に手渡す。俺は何気なく本を開いた。
すると、栞が挟まっていたページが開かれる。栞の横に、誰かの台詞が書かれていた。
『もしも君を失ったら——私は存分に悲しんで、そしてまた前を向くさ』
「……!」
俺は目を見開いた。隣から覗き込む千夏も目を丸くしている。
息子を失った岩センだからこそ、失う辛さを知る主人公に何かを感じていたのだろう。そしてそれは今の俺も同じことだった。
「岩セン……これを、俺に伝えたかったのか」
今はただ悲しんでいていいのだろうか。いつかは前を向けるだろうか。
いつか千夏もいなくなるかもしれない。それでも、彼女は今ここにいてくれる。
胸の奥に悲しみがすとんと落ちて広がっていく。ああ、俺は今悲しいんだ。当たり前のことをようやく実感して、また涙がこぼれた。何かから静かに解放されていくようだった。




