8
次の日の朝、私はいつもより早く目が覚めた。
まだリンダの足音は聞こえない。
昨日はあまり気にしていなかったか、よく考えてみれば公爵様と対面でお話しする機会など滅多にないことだ。
しかもお茶を共にすると聞いたが、マナーなど何も知らない。
レジーナやその取り巻きたちの作法をもっと見ておけばよかったと後悔した。
朝特有の静けさの中に、かすかに足音や物音が混じり始める。
使用人たちが働き始めたのだろう。
リンダが来るまであと少し時間がありそうだ。
ベッドから降りて窓辺へ近づく。
遠くで使用人たちが洗濯しているのが見えた。
あら…?あの子…
ふと目に付いたのは、小ぶりな翼を体にピタッと密着させてフルフルと震える少女の姿。
洗濯かごを抱え、なにやら困っている様子に見えた。
どうしたのだろうか?
そう思って見ていると、その少女へ一人のメイドが近付いて行く。
どうやら洗濯の手順がわからず困っていたようだ。
先輩メイドに教えてもらいながら洗濯をするその少女の姿は初々しく、そして可愛らしくもあった。
伯爵邸ではメイド同士のいじめなどがあったようだが、公爵邸ではそんな場面を見たことも聞いたこともなかった。
この屋敷の雰囲気のおかげだろうか?
微笑ましい光景を眺めながら思考をめぐらせた。
「奥様、もう起きていらっしゃったのですね。」
不意にリンダの驚いた声が部屋に響いた。
もうそんなに時間が経っていたのね。
私はゆっくりと振り返った。
「奥様、本日の午前中に旦那様とのお茶の席が設けられます。朝食を召し上がってから、早速支度にとりかかりましょう。」
リンダはそう言うと袖をたくし上げながら、こちらへ向かってきた。
いつもより気合が入っているリンダに気圧されながら支度を開始した。
―――――
準備を終え、庭園へと向かう。
今日は天気も良く風も心地よいとのことで、庭園にある東屋でお茶を飲むそうだ。
東屋に到着すると、すでにテーブルにはテーブルクロスが敷かれ、食器も並べられていた。
着席するとメイドがすっとお茶を差し出してくれる。
先に飲んでもいいのだろうか…?
迷った私はリンダを見上げた。
「旦那様の到着までしばし時間がございますから、紅茶を飲みながらゆっくりと待ちましょう。」
リンダの言葉にほっとした私は紅茶に口を付ける。
「もしよろしければ、軽食も先に召し上がりますか?」
「いえ、公爵様と一緒に頂きたいので…」
公爵様が来る前に食べ始めるなんてさすがに不敬よね…?
リンダから軽食も先に食べるかと尋ねられたが、それは断ることにした。
しばらく紅茶を飲みながら待っていると、遠くの方からこちらへ向かう足音が聞こえた。
もしかしたら、この力強い足音は公爵様のものかもしれない。
私は自然と姿勢を正す。
しばらくすると公爵様が東屋に到着された。
私は立ち上がってお辞儀をする。
「堅苦しい挨拶は不要だ。席につけ。」
「かしこまりました。」
着席した私たちの間にしばしの沈黙が流れる。
何か話題を出さなければ…
そう思えば思うほど頭が真っ白になっていく。
「――体調はどうだ?医師からは順調に回復していると聞いたが…」
公爵様が重い口を開いた。
「はい。公爵様が配慮してくださったおかげで、少しずつ食事も増え、体力も戻ってきました。」
「そうか…」
私の返答に満足していないのか、また公爵様が押し黙る。
何かまずいことを言ってしまったのだろうか?
背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
「あの…公爵様…」
私は何か言おうと口を開いた。
それを遮るように公爵様が口を開く。
「まだ公爵様などと呼んでいるのか?ダグラスと呼べと言ってあっただろう。」
怒らせてしまったかもしれない…
私の心臓がドクンと跳ねた。
リンダにも何度も注意されていたのにと自責の念にとらわれる。
「申し訳ありません…」
私は俯いて、公爵様…ではなく旦那様の言葉を待つ。
「そこまで気にすることでもない。」
俯いていた顔を上げると、旦那様は穏やかな表情をしていた。
怒られたわけではなかった…
これからは心の中で呼ぶときも公爵様というのはやめよう。
私は気を引き締めた。
旦那様の様子を確認すると、私の言葉を待っているように見えた。
「ありがとうございます…だ…ダグラス様。」
消え入りそうになりながらも何とか名前を呼ぶ。
「それでいい。」
その言葉を聞いた旦那様は満足そうに頷いていた。
「それでは、軽食を頂こう。」
旦那様がそう言うと、テーブルに色とりどりのケーキや焼き菓子、オムレツのようなものまで、次々と並べられていく。
たくさん並ぶがそのどれもが一口サイズになっており、いろいろなものを食べられるように配慮されたものだった。
私はその光景にしばし見惚れていた。
「好きなものを好きなだけ食べるように。食べたい物があればリンダに取り分けてもらうといい。」
「ありがとうございます。いただきます!」
嬉しさのあまり言葉が弾む。
私はしばし夢中で軽食を食べた。
軽食を食べ終わり、お茶を飲んで一息ついた私たちは会話を再開した。
「本日呼び立てた理由だが…これを君に。」
そう言って差し出された箱を開くと、ティアラとネックレス、そしてイヤリングが並んでいた。
大粒の宝石があしらわれており、それらの意匠には統一感がある。
「これは…?」
あまりの豪華さに眩暈がした。
「これは代々公爵夫人に受け継がれてきた宝飾品だ。重要な夜会や王との謁見などの時に身に着けてもらいたい。」
困惑する私に旦那様が説明をしてくれる。
「わ、私はまだ公爵夫人としての責務を果たしてはおりません。今これを受け取るわけには…」
差し出された品の価値を理解し、今の自分には不釣り合いだと感じた。
「いや、君に持っていてほしい。すぐには使う場面はないが、いずれ社交界にも出てもらう予定だ。」
「私は社交界へ出てはいけないのではないでしょうか?」
旦那様の言葉に違和感を覚えた私は疑問を投げかける。
その言葉に眉をピクリとさせた旦那様は大きな翼を広げ、
「誰がそんなことを決めた?」
と、低い声でうなるように言った。
まずい。
何か言わなければ…!
「は、伯爵様が…」
私は言葉に詰まりながらも何とか伝えようと努めた。
「あぁ、その事なら気にしなくていい。伯爵の分際で公爵家の社交に口を出すなど…」
旦那様が苛立たしげに吐き捨てた後、
「伯爵のことは忘れなさい。」
と穏やかな声でそう言ってくださった。
大きく広がった翼をたたんだ旦那様を見て、ほっと息を吐く。
私に向けられた怒りではないようだ。
「それから。」
と旦那様の言葉が続く。
「専属の侍女とメイドについてだが、健康になってから選定することとしよう。君自身に選んでもらいたい。」
今度は何を言われるのかと少し身構えたが、そんなに驚くような話ではなかった。
むしろ、まだリンダについていてもらえる生活が続くのだと思うと安堵の気持ちでいっぱいになった。
お茶の席が終わるころには、いつの間にか最初の緊張は消えていた。
旦那様は怖いと思っていた。
でも、想像していたよりもずっと優しいのかもしれない。
胸に灯る不思議な温かさを感じながら、紅茶を最後まで飲み干した。
最後までお読みいただきありがとうございます。




