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ダグラス様が帰還してから一週間ほどが経った。
今朝は厨房の片隅を借りてクッキー作りに励んでいた。
このあと、ダグラス様とお茶を共にする予定なのだ。
炉から漂う甘い匂いを胸いっぱいに吸い込む。
もうそろそろ焼き上がる頃だろう。
炉の中から慎重にクッキーを取り出し、様子を確認する。
今日は乾燥した果実を練り込んだクッキーを作ってみた。
「今回もうまく焼けたわ。」
「美味しそうですね。」
私が取り出したクッキーをレーヌが覗き込んだ。
「一つ食べてもいいわよ。」
私はクッキーが乗った天板を差し出す。
「いえ、旦那様のために作られた物を食べるわけには…」
たくさん焼いたから一枚くらい問題ないのに。
「味見よ。私も料理長も食べるわ。さ、レーヌも受け取って。」
傍らで見守ってくれていた料理長にクッキーを一枚渡すと、レーヌにもクッキーを差し出した。
「ありがとうございます。それでは…」
なんとか受け取ってもらえてほっとした。
二人が口にするのを、固唾を飲んで見守った。
「これは…!甘酸っぱい風味に食欲を刺激されますな。しっとりした生地と乾燥果実の食感とがとてもよく合っております。」
今回も料理長は褒めてくれた。
ダグラス様に出すものとして及第点をいただけたのだろう。
「本当ですね。このクッキーでしたら、さわやかな喉越しのハーブティーが合うかもしれません。」
どうやらレーヌも気に入ってくれたようだ。
いつかレーヌ、サリー、アンヌにもクッキーを作ってあげたい。
私はひそかに心の中で思った。
二人の反応に満足した私はクッキーをバスケットに詰めていく。
「本日も厨房を貸してくれてありがとう。」
「いつでも使ってください。奥様のクッキーを食べるのを密かに楽しみにしておりますので。」
「嬉しいわ。では、庭園へ向かいましょうか。」
私は料理長に挨拶した後、本日の茶会の会場である庭園の東屋へ向かって歩き出した。
「バスケット、お持ちしましょうか?」
「いえ、自分で運びたいの。ありがとう。」
途中、レーヌがバスケットを持とうとしてくれたが断った。
ダグラス様へ自分の手で届けたかった。
しばらく歩いて庭園に出る。
少し湿った風が肌を撫でた。
日差しも強くなってきたような気がした。
もうすぐ嫁いで一年になる。
実は先月、誕生日を迎え十七になったばかりだが、まだ誰にも言えていない。
自分から言うのは祝ってほしいみたいで、恥ずかしかった。
そんなことを考えているうちに東屋へ到着した。
東屋には茶会の準備が整えられていた。
ダグラス様はまだ到着していないようだ。
私は先に椅子に腰を下ろした。
しばらくするとダグラス様の足音が聞こえた。
私は立ち上がってダグラス様を待つ。
「座らず待っていたのか?」
私の姿を見たダグラス様は、驚いた様子でそう言った。
「いえ、足音が聞こえましたので。」
「ああ。そうだったな。ラナは聞こえるのだな。」
私の言葉に納得したようだ。
ダグラス様が着席されるのを待って、私も着席した。
すると、二人の前にお茶が出される。
今日は私が菓子を用意するからと言っておいたので、菓子は出てこない。
「ダグラス様、菓子を用意してまいりました。今回もうまくできたと思います。」
「菓子を…?この間作ってくれた菓子か。また作ってくれたのだな。嬉しいよ。」
バスケットを差し出すとダグラス様は丁寧な手つきで受け取ってくれた。
そして、バスケットの中から一枚クッキーを取り出して食べた。
「美味いな…」
しばらく味わった後、ダグラス様がぽつりと呟く。
その言葉にふと幸せだなと思った。
嬉しい気持ちはもちろんあるが、それよりもこの状況が幸せでたまらなかった。
夕食や晩酌の時にもたくさん話しているのに、話題が尽きない。
私の話を何でも楽しそうに聞いてくれるので、ついつい話し過ぎてしまう。
「そういえば、フェリクスはどうした?」
話が途切れたタイミングでふいにダグラス様からフェリクスの話題を振られた。
「今は動物の専門医のもとで経過観察中だそうです。私の部屋へ戻るまで、あと二週間ほどかかるとか。」
「そうか、フェリクスも勇敢に戦ったのだな。ラナを守ろうとした褒美をやらねばな。」
私もフェリクスには何かせねばと思っていた。
「そうですね!フェリクスは食べることが好きなので、美味しいお魚でも用意しましょうか。」
「ラナに似たのだな。」
ダグラス様が肩を震わせて笑いだす。
「そんなに笑わないでくださいよ!」
私も思わず笑ってしまった。
「すまない、すまない。許してくれ。」
ダグラス様が何とか笑うのを我慢して謝罪してくれる。
「楽しかったので許します。」
「そうか。ありがとう。」
私の返答にダグラス様がまた小さく笑った。
「この間、リンダから聞いたのですが、ルーカスが歩行訓練を始めたようですね。」
「あ、ああ。そうだな。ようやく治療に専念するようになったようだ。ルーカスは身体能力が高いからな。訓練を始めたのなら復帰も近いだろう。」
無理やり話題を変えたことに驚いた様子のダグラス様だったが、ちゃんと話題に乗ってくれたようだ。
「そうなのですね。でも、あまりに早い復帰は心配してしまいます。」
「そうだな。医師の許可が出るまでは仕事はさせない方針だから安心してほしい。」
ダグラス様の言葉にほっと息を吐いた。
「ラナが前に提案してくれた使用人への褒章の件だが、ルーカスが復帰してからになりそうだ。やはりルーカスがいないと仕事が思うように回らなくてな。」
「考えてくださっているだけで十分です。ダグラス様がいない間、使用人たちにはたくさん助けてもらいましたから。」
実は先日、執務室で話した時に戦時中支えてくれた使用人たちに報いたいと相談していたのだ。
その時、貢献度に合わせて特別手当を出すことを提案してもらっていた。
「そういえば、母から先日手紙が届きまして、こちらに一度遊びに来たいと言っているのですが滞在してもいいでしょうか?」
「もちろんだ。一番日当たりのいい客間を用意しよう。何日でも滞在して大丈夫だと伝えておいてくれ。戦争が終わったばかりで、治安が悪化しているかもしれないから迎えも用意する。日程は決まっているのか?」
母について尋ねると、想定以上の返事が返ってきて驚いた。
「い、いえ。まだ決まっておりません。そこまでしてもらっていいのでしょうか?」
「良いに決まっているだろう。日程が決まっていないのなら、こちらから提案させてもらってもいいだろうか?」
「ありがとうございます。日程についてはいつでも大丈夫だと思いますが…準備に時間がかかるからでしょうか?」
大ごとになってきたのを感じて、少し気まずい。
「いや、相談したいことがあるのだ。」
「相談したいことですか…?」
どんなことだろうかと首を傾げた。
「ラナの翼について王宮から説明を求められているのだ。どこまで報告するかを事前にレイラ殿を交えて相談したいと考えている。日程の候補は急ぎ執事に届けさせよう。」
「そうなのですね。ご配慮いただきありがとうございます。」
ダグラス様の心遣いがとても嬉しい。
ダグラス様は私の翼について軍や使用人たちに箝口令を敷いてくれていた。
そのおかげか、私は以前と変わらぬ生活が送れている。
―――――
茶会を終えて自室に戻ると、早速母へ手紙を書く。
先日届けられた母からの手紙には私を心配する言葉が並んでいた。
会いたいと書かれていたのも、私を案じてのことかもしれない。
翼の封印を解いたことは母に知られていないはずだ。
それでも、何か嫌な予感がしたのかもしれない。
誘拐されたことなど手紙に書けないことが多い。
それでも、母を安心させるために言葉を尽くした。
そして先ほどダグラス様と話した内容も書いていく。
執事が届けてくれた日程の候補も漏らさず書き記した。
公爵家から迎えが来ると知ったら、母は慌てるだろうか。
手紙を書き終え、封をする。
母への手紙をレーヌに託し、一息ついた。
そういえば、前に母が言っていた商家の跡取り息子とはその後どうなったのだろうか。
そのことについても書いておけばよかったと思ったが、もうすでに手紙は私の手元を離れてしまっていた。
今度会った時に聞けばいいか。
私はそう思い直して、午後の予定に向かった。
―――――
夕食後、私はダグラス様の晩酌に付き合っていた。
いつもはワインを飲んでいるのに、今日はなぜか私と同じお茶を飲んでいた。
「お酒は飲まれないのですか?」
「ああ。今日は茶の気分なのだ。」
「そうですか。」
二人の間に沈黙が落ちる。
いつもならもう少し会話が続くはずなのに…
違和感を覚えるが、理由が分からず困惑してしまう。
「ラナに聞いてほしい話があるのだが…」
もうお茶を飲み終わってしまいそうな時になってようやくダグラス様が重い口を開いた。
「なんでしょうか。」
その重々しい口ぶりに、居住まいを正した。
「ラナと私は婚姻契約を結んだ。だが、ラナの意思をろくに確認せずに半ば無理やり結ばれたようなものだ…」
「それは…」
返す言葉が見つからない。
私たちの婚姻はただの契約といっても過言ではなかった。
だが、これまで心を通わせたことも嘘ではない。
「もう一度、契約をやり直したい。」
ダグラス様の言葉に頭が真っ白になった。
「言い方が悪かった。違うんだ。だから泣き止んで聞いてほしい。」
ダグラス様に抱き寄せられて、初めて自分が泣いていることに気がついた。
何が違うというのだろうか…
胸が張り裂けてしまいそうだ。
「婚姻契約時に提示した条件を白紙に戻したい。そういう意味で言ったんだ。」
「条件を白紙に…?」
離縁されるわけではなかった。
だが、条件を白紙にするとはどういう意味だろうか?
「ああ。最初からやり直したいんだ。」
そう言うとダグラス様は私から一歩離れ、その場に片膝をついた。
「私、ダグラス・アクイラは、ラナ・アクイラを生涯愛し抜くことをここに誓う。私と本物の夫婦としてこれからの人生を共に過ごしてほしい。」
ダグラス様の熱い視線に射抜かれて、体中が熱くなる。
「はい。わ、私もダグラス様を生涯愛すると誓います…よろしくお願いします…」
なんとか言葉をひねり出した。
次の瞬間、ダグラス様に抱き上げられ、そのまま一回転した。
そして、ダグラス様は私を強く抱きしめる。
「ありがとう!幸せにするよ。」
「私もダグラス様を幸せにします!」
幸せすぎて涙が止まらない。
今日、私たちは改めて夫婦となった。
これから一生をかけてダグラス様を幸せにしたい。
私はそう心に強く誓った。
最後までお読みいただきありがとうございます。
第四部はここで完結です。
引き続き第五部も毎日21時投稿を続けます。
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