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もう飛ぶ気力も歩く気力も残っていない私は、ダグラス様に横抱きにされて砦へと戻された。
アシペトル侯爵はダグラス様の代わりに副司令官として陣に残ってくださった。
砦へ着くと、女性兵士が部屋へと案内してくれた。
どうやらルーカスの部屋の隣に、私のための部屋を準備してくれたようだ。
部屋には数名の女性兵士が待機しており、私の着替えも用意してくれていた。
「ダグラス様、もう大丈夫ですから。お戻りください。」
「いや、しかし、軍医が到着するまでは…」
なかなか部屋から出ようとしないダグラス様に、私は首をかしげる。
「もう手配していただきましたし、私もこれ以上無理をするつもりはありません。」
「だが…」
不自然に言葉を切るダグラス様にますます困惑してしまう。
「閣下、奥様の安全は私どもにお任せください。」
女性兵士の一人がダグラス様にそう言ってくれた。
「うむ…それならば。くれぐれもよろしく頼む。ラナ、公爵家の馬車はもう到着している。人員の手配ができ次第、すぐに出発するのだぞ。」
「わかりました。ルーカスを連れて戻ります。」
女性兵士の言葉を受けてようやくダグラス様は部屋の外へ続く扉へ向かってゆっくりと歩き出す。
部屋を出る直前にもう一度振り返り、私の姿をじっと見つめた後、部屋を出て行った。
「お召し替えいたしましょうか。」
ダグラス様に声を掛けていた女性兵士がそう言うと、周囲の女性兵士たちが動き出した。
服を脱ぐついでに、体や顔の汚れを水で濡らした布で拭ってくれた。
用意されていた簡素なシャツとスカートに着替え、椅子に座って一息つく。
―――――
しばらく待つと、部屋に軍医が訪ねてきた。
翼の損傷具合の確認や手足の擦り傷の手当てを丁寧にしてくれた。
「聞き及んでいた状況からは想像もつかないほどの奇跡的な損傷の少なさです。この様子ですと、公爵邸への馬車移動も問題ありません。」
軍医の言葉にほっと息を吐く。
「ルーカスの様子はどうでしょうか?」
「ルーカスさんの容体ですが、経過は良好です。屋敷を出る前に受けた応急処置が的確だったおかげで、予想よりも早く回復に向かっています。ですが…」
言葉を切る軍医に不安がつのった。
「何か懸念があるのでしょうか?」
「はい。回復してきているとはいえ、まだ毒の影響が残っております。また無理を押して飛んだことで翼の損傷も激しく、まだまだ安静が必要な状態です。現在の戦況を鑑みると、致し方ないところではありますが…馬車での移動は相当苦しいものになるでしょう。」
想像以上にルーカスの状態は良くないようだ。
「私に何かできることはありますか?」
「そうですね…馬車の中で横になっているように見張っていただけますか?奥方様の前では無理をしてしまうかもしれません。」
軍医の言葉に、私がルーカスの負担になる可能性があることに気がついた。
「わかりました。私が責任をもって、ルーカスを休ませます。横になっていれば、公爵邸まで馬車に乗り続けても大丈夫でしょうか?」
「ええ。それであれば移動は可能でしょう。ですが、公爵邸に到着したらもう一度医師の診察を受けるのをお忘れなく。」
「はい。必ず。」
いつの間にか硬く握りしめていた手のひらに爪が食い込んでいた。
その後、ルーカスへの面会の許可を出してくれた軍医は部屋から去っていった。
軍医が去ったあと、私は女性兵士を伴ってルーカスのもとへ移動した。
部屋へ入ると薬の匂いが充満していた。
寝台にはルーカスが横になっており、傍には兵士の姿があった。
ルーカスは私を信じられないものを見るような目で見つめていた。
「ルーカス…ごめんなさい。私は無事よ。」
「お、奥様!」
「ルーカス!お願いだから寝ていて!」
私が声を掛けると、ルーカスが上体を起こそうとするので慌てて制する。
「奥様…申し訳ありません。私がいながら、奥様を危険な目に遭わせてしまった…!この責任は私にあります。」
「そんなことを言わないで!あなたのせいではないわ。私が皆にこの翼のことを黙っていたせいでもあるの。それに、私のためにかなり無理をしてここまで飛んでくれたのでしょう?感謝以外の気持ちはないわ。」
私はルーカスの手を両手で包み込むように握り、微笑んで見せた。
「ありがとうございます。ですが、奥様の落ち度など微塵もありません。私の管理の甘さですので、何かしらの形で責任は取るつもりです。まずは、公爵邸へ奥様を無事に送り届けることを第一に考えねばなりませんね。」
「何を言っているの。今回限りは私がルーカスを無事に公爵邸へ送り届ける役目を負ったのよ。ルーカスは馬車内で安静に横になって過ごすこと!これをきちんと守ってもらうわ。」
私の言葉にルーカスが眉尻を下げた。
「いえ、奥様の前で横になって移動するなど…」
「異論は認めません!謝罪の気持ちがあるのなら、私の言うとおりにしてちょうだい!」
私が強くそう言うとルーカスは口を開閉させて言葉が出ないようだった。
ルーカスの謝罪の気持ちを利用するのは気が引けるが、今はとにかくルーカスを言いくるめなければいけない。
「わかったわね?」
「…奥様には負けました。承知いたしました。」
ルーカスは深く息を吐き出すとそう言って、黙ってしまった。
「――あの後、私がさらわれた後、屋敷の者たちはどうなったの?リンダは?」
しばしの沈黙の後、私が切り出す。
「…奥様がさらわれた直後、蛇たちは一斉に逃げ出しました。リンダを拘束していた蛇もすぐに部屋からいなくなり、リンダも無傷で解放されました。」
「リンダは無事だったのね。良かったわ。」
ルーカスの話に胸を撫でおろす。
「あの蛇たちはおそらく蛇族の者が使役していたと思われます。天井裏に潜んでいた蛇族の男を捕らえることができました。ですが、拘束時に口に仕込んであった毒を含み、詳しい話を聞くことは叶いませんでした。それ以外に捕らえた侵入者についても、同様に毒を隠し持っておりました。逃げた者たちに関しては、深追いさせていません。」
当時を思い出して、背筋に冷たいものが走る。
「屋敷のことはリンダに任せ、私はこの砦に飛びました。ですので、屋敷の被害状況などの詳細は分かっていません。」
「…そう、なのね。」
苦悶の表情を浮かべるルーカスになんと声を掛けていいか分からなかった。
しばらく沈黙が続いた後、私は部屋を辞した。
まだまだ聞きたいことはあったが、これ以上いては心労を掛けてしまう気がしたからだ。
―――――
自分に割り当てられた部屋で夕食を食べた後、部屋にアシペトル侯爵が訪ねてきた。
「夜分に申し訳ありません。公爵邸への帰還の手筈が整いましたので移動をお願いいたします。」
「わかったわ。すぐに移動します。」
アシペトル侯爵の案内で砦の外に準備された馬車に乗り込む。
ルーカスはすでに馬車の座席に横になるように上体を倒していた。
向かいの席には女性兵士が一人座っていた。
私はその女性の隣に腰を下ろす。
外側は何の変哲もない簡素な作りの馬車だったが、内装は上品な装飾が施されていた。
座席も以前乗ったものと同じくらい柔らかく、これならルーカスも安心して休めるだろうと思えるものだった。
「奥様、このような格好で申し訳ありません。」
「気にしないで。安静にしていて。」
ルーカスの額ににじんだ汗を近くに置いてあった布で拭う。
「上空の監視役として梟族の者を、そしていざというときの伝令役兼護衛役として隼族の者を一人ずつ付けます。そのほかは本日奥様の傍におりました女性兵士と、公爵家所属の兵士を数名付けます。どの兵も隊長格の実力者ですので安心してお戻りください。」
馬車の外からアシペトル侯爵の声が聞こえる。
「わかりました。ありがとう。」
私がそう返すと、馬車は静かに動き始めた。
―――――
朝日が昇り始めた頃、ようやく公爵邸付近の大きな街道までたどり着いた。
途中で馬の交換のために何度か止まったが、それ以外はずっと走り続けていた。
脂汗をかくルーカスの額を拭ってあげるしかできない自分が情けない。
外を見ると見慣れた光景が広がっていた。
何気ない風景だが、それが心を落ち着けてくれる。
早く…早く、帰りたい。
両手を組み、強くそう願った。
最後までお読みいただきありがとうございます。




