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私のお披露目の夜会からひと月ほどが経っていた。
もう冬も終盤に差し掛かり、僅かに寒さが和らいできている。
社交デビューを果たした私のもとにはたくさんの茶会や夜会への招待状が届けられた。
しかしダグラス様の意向もあり、二人で一緒に参加できるもの以外はすべてお断りの手紙を書いていた。
母との再会やお披露目の夜会など、色々な出来事を経るごとにダグラス様との心の距離が縮まっているように感じる。
それなのに最近の私はダグラス様を見かけると避けてしまうようになっていた。
目が合うと恥ずかしく、姿を見るだけでも鼓動が速くなってしまうのだ。
夕食は相変わらず一緒に食べているが、会話をうまく続けることさえできない。
ダグラス様とどう接すればいいのかわからなくなり、迷子になったような気分だった。
現在、私は屋敷の家政にまつわる報告をリンダから受けている。
使用人の働きぶりや出入りの業者からの購入品の確認など様々な報告書が私に手渡された。
「奥様、いつもと様子が違いますが旦那様と何かございましたか?」
「リンダ…私はそんなに変な態度をとっているかしら?」
報告書を確認している最中に投げかけられた問いに、戸惑いを隠すことができない。
「先月の夜会の後から徐々に旦那様と距離を取られているように見えて、心配しております。」
「距離を取りたいわけではないの、ただ…」
リンダの言葉に思い当たるふしがある。
私は言い訳を探すが言葉が見つからない。
「私がお力になれることはありますか?」
言葉を詰まらせる私にリンダが優しく問いかけた。
リンダなら、リンダにだけなら今の気持ちを相談してみてもいいかもしれない。
「レーヌ、少し席を外してくれるかしら?」
「かしこまりました。」
私の言葉を受けて部屋を出ていくレーヌの姿を見送り、リンダに向き直る。
この部屋にはリンダと私しかいない。
「リンダ、誰にも言わないと約束してくれる?」
「はい、ご安心ください。ですが、危険と判断すれば旦那様へご報告いたします。」
リンダはいつになく真剣な表情をしていた。
「そんな大げさな話ではないのよ。安心して。」
「そうでございますか。では何があったか聞かせていただけますか?」
私の言葉に少しリンダは表情を緩めたようだった。
「ダグラス様を見るとなぜか逃げたくなってしまうの。会話もうまく続けられなくなってしまったし、自分でも自分のことがよく分からないの。」
「そうだったのですね。逃げたくなる時の奥様の気持ちをお聞きしてもいいですか?」
「苦しいほど鼓動が速くなってしまったり、恥ずかしいと感じてしまったりするわ。」
私がそう答えるとリンダはわずかに目を見開いて息をのんだ。
そんなに驚くようなことを言っただろうか。
もしかしたら何かの病気なのかもしれない。
私はだんだんと不安になってきた。
「私は病気なのかしら?」
救いを求めるようにリンダを見上げた。
「――奥様、非常に言い難いことなのですが…初恋のご経験は?」
神妙な顔で少し間を空けたあと、リンダが口を開く。
初恋…?
今の話に何の関係があるのだろうか。
「経験はないけれど、それとこれと何の関係があるの?」
「旦那様を見ると鼓動が速まる。うまく話せない。恥ずかしい。この話を総合して考えますと…奥様は旦那様をお慕いしているように見受けられます。」
リンダの言葉にますます訳が分からなくなった。
「ダグラス様のことはお慕いしているわ。あの方のように私もなりたいと思うもの。」
「奥様、そのお慕いしているというのは尊敬しているという意味ではございませんか?私がお伝えしたのは恋をしているということでございます。」
リンダの言葉に思考が追い付かなかった。
ダグラス様をお慕いしているというのは尊敬の意味で間違いない。
だが今、恋と言っただろうか?
そんなつもりではない、そう思うのに体中が赤く染まるのを止めることができなかった。
「私も、若いころはルーカスを見て鼓動が速まったり、恥ずかしいと思って避けてしまったりした経験がございますよ。今思えば、それが恋の始まりだったのだと思います。もう当時のような気持ちになることはありませんが、夫婦としての愛は今でも持っております。奥様も同じではないでしょうか?」
「リンダも同じような経験があるの?」
「ええ。似た経験をしたからこそ、今の奥様の気持ちが分かるのですよ。」
私はリンダの言葉を聞いて深く考え込んだ。
これが恋というものなの…?
こんなに鼓動が速くなるのを繰り返していたら、心臓がいくつあっても足りないわ。
でもダグラス様を避け続けるのも、会話できないのも嫌だ。
それだけは分かる。
私もリンダとルーカスのような愛し合える関係をダグラス様と築いていけるのかしら?
自信はないけれど、そうなればいいと思う。
「とてもいい変化だと思います。今は逃げたくなってしまうかもしれませんが、少しずつ慣れていけばいいのです。もう夫婦なのですから、時間はたっぷりあります。旦那様は少し寂しい思いをするでしょうが。」
リンダは笑みを浮かべながらそう話してくれた。
だが私はダグラス様が寂しい思いをするという言葉が引っ掛かった。
「ダグラス様は寂しく思ってくれていると思う?」
「もちろんでございます。ルーカスからも旦那様が奥様の様子を気にされていると聞き及んでおりますよ。」
ダグラス様に気にされている。
それが申し訳なくもあり、嬉しくもある。
「リンダ、私はどうしたらいいのかしら?ダグラス様に寂しい思いはしてほしくないわ。それにリンダとルーカスのような夫婦になりたいって思うの。」
「私たちのような夫婦になりたいと思っていただけるなんて光栄なことです。今すぐには難しいかもしれませんが、自分の気持ちを素直に伝えるのがよろしいかと思いますよ。」
リンダは終始にこにこしている。
だがその助言を実行するには、自信が足りない。
「素直に…私にできるかしら?ダグラス様に迷惑に思われない?」
「迷惑だなんて思われるわけがありません!きっと喜ばれますよ。それに、チョコレートケーキが食べたいと教えてくださった日から、奥様はきちんと自分の気持ちを言葉にすることができるようになったではありませんか。」
リンダの言葉に、背中を押された気がした。
「奥様、大丈夫ですよ。」
リンダが微笑みながら、念を押すように大丈夫と言ってくれた。
やはりリンダは母のようだ。
「引き留めてしまってごめんなさい。話を聞いてくれてありがとう。機会があれば伝えてみるわ。」
私がそう言うとリンダは深く頷いて見せた。
「では、これで失礼いたします。」
「ええ。ありがとう。」
私の言葉を合図にリンダが部屋から下がった。
入れ替わりにレーヌが部屋に入ってくる。
私は気持ちを切り替えて、リンダが持ってきた報告書に再び目を通し始めた。
――――――
リンダに相談してから数日が経った。
私はまだ自分の気持ちをダグラス様へ伝えることができないでいる。
それでも恋心を自覚してからは、恥ずかしくてもダグラス様から逃げずにいられるようになっていた。
そんなある日のこと、就寝前の私の部屋にノックの音が響いた。
「こんな時間にすまない。私だ。」
扉の向こうからダグラス様の声が聞こえる。
私は夜着の上から厚手のガウンを羽織り、レーヌが扉を開けようとするのを制して自分で扉を開けた。
「どうされたのですか?」
「いや、何かあったわけではないのだが…少し晩酌に付き合ってもらえないかと思ってな。」
少し驚いた顔をしたダグラス様は、そう言って手に持ったワインとグラスを私に見せた。
「はい。もちろんお付き合いいたします。」
私はそう言うと自室にダグラス様を招き入れた。
レーヌは私に温かい飲み物を準備するために、一度部屋を出る。
夜も更けてきた時間帯に自室で二人きり。
恋心を自覚したばかりの私にはかなり心臓に悪い状況だった。
でも、私の気持ちを伝えるいい機会かもしれない。
「最近様子がおかしいが、私が何かしてしまったのだろうか?」
ダグラス様がワインをグラスに注ぎながら私に問う。
「そんなことはありません!ダグラス様は何も悪くありません。」
私は慌てて否定する。
「そうか。だが…」
ダグラス様がそう言いかけて言葉を止めた。
私たちの間に沈黙が流れる。
その時レーヌが部屋に戻ってきた。
差し出されたハーブティーに口を付ける。
ハーブの風味に少し落ち着きを取り戻せたような気がした。
「レーヌ、本日はもう下がっても大丈夫。後片付けは明日お願いするわ。」
私がそう言うとレーヌは少し心配そうな目で私を見た後、
「かしこまりました。」
と言って、下がっていった。
「いいのか?」
レーヌを下がらせた私をダグラス様が不思議そうに見つめる。
「いいのです。レーヌにはまだ聞かれたくありませんから。」
私の言葉を聞いたダグラス様は表情が硬くなったような気がした。
一度深呼吸して、心を落ち着かせる。
「避けてしまったり、会話をうまく続けられなかったり、変な態度をとって申し訳ありませんでした。」
ダグラス様は突然話し出した私の言葉をじっと待っていた。
「私はルーカスとリンダのような夫婦になりたいと、そう思っております。」
私が続けた言葉にダグラス様の目が見開かれていく。
何度も頭の中で繰り返した言葉がなかなか出てこない。
支離滅裂な話にきっと呆れられているだろう。
「そうだな。私もルーカスとリンダは理想の夫婦だと思う。」
ダグラス様のその言葉にきちんと自分の気持ちが伝わっているか不安になった。
「えっと、あの、私がお伝えしたいのは…」
続く言葉がなかなか出てこない。
赤くなっていく顔を見られたくなくて足元に視線を落とした。
「――私からも良いだろうか?」
何も言わない私にダグラス様が話し始める。
「私はラナのことを好ましく思っている。オリエからの帰路でラナが言ってくれた言葉に私は救われた。ルーカスたちのような夫婦になりたいと言ってくれたこともとても嬉しい。ラナも同じ気持ちということでいいだろうか?」
ダグラス様も私と同じ気持ちなの…?
信じられない気持ちで、視線を上げた。
ダグラス様は穏やかに微笑み、私を見つめている。
「わ、私もダグラス様をお慕いしております。」
ダグラス様の言葉と視線に、自然と言葉がこぼれ落ちた。
「そうか。嬉しいよ。」
そう言って私の頭をダグラス様が優しく撫でた。
優しいその手の感触に胸が温かくなる。
「ファベルの夜を覚えているか?あの日から隣にラナがいない夜を寂しいと感じるようになっていた。」
ダグラス様がそう言いながら私の頭から手を離す。
私はその手を目で追ってしまう。
あの夜のことは忘れたことがない。
私と同じようにダグラス様も寂しく思ってくれていたなど、思いもよらなかった。
「私も…寂しいと思っておりました。」
なんとか絞り出した声は少し震えていた。
「そうか。今日から同じ寝台で眠りたいと言ったら…嫌だろうか?」
ダグラス様は眉尻を下げ、私の言葉を待っている。
ダグラス様の言葉に、後継者について話をしていた時のことを思い出す。
あのとき、考えてほしいと言われていたが、それについて考えることを後回しにしてしまっていた。
共に眠るのであれば、この件について誠実に答えを出す必要があるだろう。
考え込む私をダグラス様は根気強く待ち続けてくれていた。
正直、まだ怖いと思う。
最近恋を自覚したばかりの私には早すぎるとも思う。
待ってほしい。
そう言ったら落胆されるだろうか。
でも、あのとき私の意思を優先してくれると言ってくれていた。
それにダグラス様は私を否定したりしないはず。
そこまで考えて、私はダグラス様の目を見つめ返した。
「共に眠ることは嬉しく思います。ですが、後継者については心の準備ができていません。もう少しお時間をいただいてもいいでしょうか?」
「もちろん、ラナの心の準備ができるまで待とう。後継者についても真面目に考えてくれてありがとう。今日は手をつないで眠る。それなら怖くないだろうか?」
ダグラス様はそう言って微笑みながら手を差し出してきた。
「はい!それなら怖くありません。嬉しいです。」
そう言ってダグラス様の手を取る。
ダグラス様に手を引かれ、夫婦の寝室へつながる扉へと向かう。
以前は扉の向こう側を意識して眠れない夜もあった。
でも、今は不思議と落ち着いていられた。
夫婦の寝室に入ると、ファベルの宿で見たものより一回り大きい寝台が目に入った。
ここなら、私の寝相が悪くてもダグラス様を起こしてしまうようなことはなさそうだ。
私たちは手をつないだまま寝台に横になる。
つないだ手は熱いくらいだった。
「おやすみ。」
「おやすみなさい。」
お互い顔を見合わせ、微笑み合う。
隣にいるダグラス様のぬくもりが安心感を与えてくれる。
今日はいい夢が見られそう。
私はそう思いながら目を閉じた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
第三部はここで完結とします。
ストックがなくなりましたので、2週間ほどお休みします。
8/8 21時より投稿を再開する予定です。
お待たせして申し訳ありませんが、ブックマークなどをしてお待ちいただけますと幸いです。
引き続きラナとダグラスの物語をよろしくお願いいたします。




