30
初めてのダンスレッスンの日から二日に一度のペースでレッスンを受けていた。
ダグラス様の都合がつかないときは、ルーカスが相手役を務めてくれた。
今日はいよいよ夜会が開催される日だ。
早朝から使用人たちが忙しそうに準備に追われていた。
そんな中、私はサリーとアンヌに全身を磨かれている。
朝から湯浴みをし、全身に香油を塗り込まれながらマッサージされていた。
こんな贅沢をしていいのだろうかと思いながらも、二人の手の温かさに眠気が襲ってくる。
レーヌは今日着るドレスとアクセサリーの最終確認をしている。
今日は公爵夫人に代々受け継がれているというアクセサリーを身につけるそうだ。
それに合わせて、ドレスも新調した。
「奥様、今よろしいでしょうか。」
ふいに自室の扉が叩かれ、リンダの声が聞こえた。
「レーヌ、入っていただいて。」
私はレーヌにお願いしてリンダを室内に招き入れる。
「突然の訪問申し訳ありません。急ぎ、お伝えしたいことがございます。」
「何か問題でもあったの?」
リンダの言葉に急に不安に襲われる。
「実は、王太子殿下が今宵の夜会に合わせてお越しになると、王宮より連絡が入りまして…」
「それは大変!王族の方への接し方なんてわからないわ。どうしましょう?」
サリーとアンヌの手を止めさせて、慌てて起き上がる。
「旦那様は、勝手に来るやつのことなど気にしなくていいと仰っておいででしたので、おそらく問題ないかと。」
「そんな、王太子殿下に失礼じゃないかしら?」
リンダがダグラス様の言葉を伝えてくれるが、全く安心できない。
「旦那様と陛下は旧知の仲ですし、王太子殿下とは叔父と甥のような関係です。なので、私も心配は不要かと思います。ですが念のため王族の方への挨拶の仕方を練習しましょうか。」
「わかったわ。ありがとう。」
リンダが気を遣って練習しようと言ってくれるが、不安はぬぐえない。
「さぁ、まずは準備からですよ。マッサージを再開しましょう。」
リンダの言葉と共に、私へのマッサージが再開された。
「ではまたお支度が整った頃に参ります。」
リンダはそう言うと部屋から下がった。
どれくらい時間が経っただろうか、サリーとアンヌのおかげで全身がポカポカしている。
「お次は着替えと髪を整えます。」
レーヌの指示で、サリーとアンヌが動く。
私は言われるがままに体を動かすことしかできなかった。
準備を整えた私は、リンダにカーテシーの一連の流れを再度確認してもらう。
「美しいカーテシーでございますよ。これならば王族の方への挨拶も大丈夫でしょう。本日は奥様のお披露目ですから、旦那様から紹介されるまでは口を開かないように注意してください。」
「ご挨拶はなんといえばいいのかしら?」
「『栄光あるアウルム王国の王太子殿下にご挨拶申し上げます。』といえば大丈夫ですよ。」
私はリンダの言葉を心の中で繰り返した。
「わかったわ。忘れてしまわないように練習しておくわね。」
「忘れてしまったら、隣にいる旦那様を見上げていただければ助けてくださいますよ。」
不安を隠しきれない私にリンダが微笑みかけてくれる。
ダグラス様と一緒なら大丈夫よね。
リンダもダグラス様も大丈夫とおっしゃっているのだもの。
不安な心を何とか押し込めて、自分に言い聞かせた。
―――――
今宵の会場は公爵邸の一室だ。
主催者として先に入場した私たちは、招待客を迎え入れた。
煌びやかなこの部屋を堪能する間もなく、貴族たちが次々と挨拶にやってくる。
その間、ダグラス様は私の腰に手を回し、隣から離れることはなかった。
ダグラス様のぬくもりがそこにある。
それだけで少し緊張が和らいでくる。
ダグラス様が親しい者だけ招待すると言っていた通り、友人同士のような挨拶を交わす者が多かった。
中にはダグラス様に妻ができたことを涙して喜ぶ人もいた。
皆に共通していたのは、私を歓迎してくれていること。
誰も翼を嘲笑ったり、陰口を言ったりはしなかった。
挨拶が一段落するとダグラス様が開会を宣言し、今宵の夜会が本格的に始まった。
私たちはファーストダンスを踊るために中央へ向かう。
ワルツだけだがこの日に向けてたくさん練習してきた。
ダグラス様と体を寄せ合い、ほっと息を吐く。
「安心すると良い。いつも通り身を任せていればすぐ終わる。」
ダグラス様の囁く声に、ドキッとしたがいつも通りを意識して気持ちを立て直す。
楽団が演奏を始めた。
ダグラス様に身を任せ、習ってきたステップを踏む。
「お似合いですな。」
「美しい舞だ。」
といった声が周囲から聞こえてくる。
ちゃんと踊れているようで良かった。
ふとダグラス様を見上げると目線が合った。
ふわっと微笑むダグラス様にしばし見とれてしまう。
それでも足を踏むような失敗はせず、ダンスを終えることができた。
ダンスを終えた私たちは中央から端へ移動する。
ここからは招待客の皆様が踊る時間だ。
色とりどりのドレスや翼が舞い踊る様はとても美しい光景だった。
「それにしても、レオは遅すぎる。」
ダグラス様が不機嫌そうに呟いた。
「レオとは誰のことですか?」
「レオナルド王太子殿下だ。来ると言っていたのにまだ到着していないらしい。」
王太子殿下の名前を初めて聞いたし、レオと気安く呼んでいることに驚いた。
「王太子殿下が来られると伺っておりましたものね。挨拶と緊張で忘れておりました。申し訳ありません。」
なぜこんな大事なことを忘れていたのかと落ち込む私の背をダグラス様が優しく撫でる。
「気にすることはない。殿下が幼いころからの付き合いだ。」
「そ、そうなのですね。」
凄く親しい間柄なのはよく分かった。
「旦那様、奥様、王太子殿下が到着されたようです。別室でお待ちのようですのでご移動をお願いできますか?」
私たちのもとにルーカスが近付き、小声で王太子殿下の到着を告げた。
「わかった。」
ダグラス様はそれに短く返事をすると、私を伴って会場を退席した。
王太子殿下がいるという応接室までやってきた私たちは、ノックをして入室の許可を待つ。
すると中から、帯剣した男性が扉を開けてくれた。
殿下の護衛の騎士だろうか?
入室すると、応接室のソファに一人座る少年とその後ろに控える護衛が二人いるのが目に入った。
「やあ。ダグラス、まずは座りなよ。早く奥方を紹介して!」
そう言って目を輝かせた少年が王太子殿下なのだろう。
薄い金の髪に、濃い紫の瞳で、私よりも少し年下に見える。
「いきなり来てどういうつもりだ。」
ダグラス様はそう言いながら殿下の向かいに座る。
腰に手を回したままなので私も必然的に座ることになってしまった。
ご挨拶もしてないのに大丈夫かしら?
私はダグラス様を見上げた。
そんな私を見たダグラス様は大丈夫だというように腰に回した手に力を込めた。
「奥方をお披露目するというのに、父にも私にも紹介してくれないなんてつれないじゃないか。」
「妻はまだ体調が万全ではない。いきなり王族と面会したら倒れてしまうかもしれないではないか。それなのに一方的にやってくるなんて。」
ダグラス様の言葉に、王太子殿下は肩をすくめて見せる。
「まあいい。妻のラナだ。」
ダグラス様はため息を吐いた後、私を王太子殿下へ紹介した。
続けて、
「こちらはレオナルド王太子殿下だ。」
と私にも紹介してくれる。
「ラナ殿、レオナルド・フォン・アウルムだ。ダグラスに嫁いでくれて感謝する。」
レオナルド王太子殿下の言葉にようやく挨拶ができると思った私は立ち上がりカーテシーをした。
「栄光あるアウルム王国の王太子殿下にご挨拶申し上げます。ラナ・アクイラでございます。」
「挨拶ありがとう。でも、私たちの間にそんな堅苦しい挨拶は不要だ。これから共に国を支えていく者としてよろしく頼む。」
レオナルド王太子殿下が手を差し出してきた。
「よろしくお願いいたします。」
そう言って手を差し出そうとしたとき、ダグラス様に抱き寄せられ体勢を崩す。
何事かとダグラス様を見上げると眉間にしわを寄せ、レオナルド王太子殿下を見据えていた。
「よろしくする必要はない。レオ、妻を誘惑しないでいただきたい。」
ダグラス様は何を言っているのだろうか?
私は疑問に思いながらダグラス様を見つめる。
「ふはは。ダグラスはこんな子供にまで嫉妬するの?」
レオナルド王太子殿下は笑いがこらえられない様子だった。
その反応にますます表情が険しくなるダグラス様。
「面白いものを見せてもらったからもうそろそろ帰るよ。父も会いたがっていたから、王都にも遊びに来てくれよ。」
レオナルド王太子殿下はそう言うと席を立つ。
「会場には顔を出されないのですか?」
思わずレオナルド王太子殿下に問いかけた。
「私が顔を出しては混乱するだろう?どんな奥方か見たかっただけだから、本日はもう帰るよ。」
レオナルド王太子殿下はそう言って、にこりと笑った。
「国王陛下にはよろしく伝えておいてくれ。隣国との緊張状態が落ち着いたら改めて挨拶に伺う。」
「わかっているよ。では息災で。」
ダグラス様の言葉にそう返したレオナルド王太子殿下は本当に帰って行ってしまった。
残された私たちは会場へ戻り、招待客の相手や見送りなどをこなした。
――――――
その日の夜、寝台へ横たわり一日を振り返る。
約束通りダグラス様は最初から最後までずっと一緒にいてくれた。
ずっとくっついていたせいか、今一人でいるのが少し寂しい。
それにしても、レオナルド王太子殿下は嵐のような人だったな…
殿下は、ダグラス様が嫉妬していると言っていたが本当だろうか?
私を大切に思ってくれているのだとしたら嬉しい。
最後までお読みいただきありがとうございます。




