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「奥様、おはようございます。」
翌日、私はレーヌの声で起こされた。
「おはよう、レーヌ…」
昨日なかなか眠れなかったからか、頭がぼうっとする。
部屋にはレーヌとサリーがいた。
「奥様、もう少しお休みになりますか?」
「いえ、大丈夫。ありがとう。」
私の様子を見て、もう少し休むかというレーヌの問いかけに心が揺れた。
だが、そんな怠惰なことはできないと誘惑を振り切り、起き上がる。
サリーがさりげなく背を支えてくれるのがありがたい。
「おはようございます、奥様。」
起き上がった私にサリーがすっと盥を差し出してくれた。
「おはよう、サリー。ありがとう。」
そう言って顔を洗い、タオルで拭う。
「本日は午後にダンスレッスンがございます。午前中は特に予定は入っておりませんが、どうなさいますか?」
サリーに着替えを手伝ってもらいながら、レーヌの言葉に耳を傾けた。
「午前中は本が読みたいわ。この間ルーカスに借りた歴史書を読もうと思うの。」
そう答えながら、先ほどのレーヌの言葉を思い返す。
「ねぇ、先ほどダンスレッスンと言ったかしら?まさかダグラス様と…?」
「はい。当初の予定通り旦那様を相手役にダンスの練習をしていただきます。講師はリンダ様とルーカス様だと聞いております。」
私が聞き返すと、何でもないことのように返されてしまった。
ダグラス様はお忙しいのではなかったかしら?
それよりもダグラス様とダンスなんて、私にできるのだろうか。
だんだんと不安になってきた。
「奥様、どうなさいましたか?朝食のご用意ができましたよ。」
レーヌに声を掛けられ、テーブルに視線を移すと、ちょうどアンヌが朝食を並べ終えたところだった。
「何でもないわ。ごめんなさい。」
私はそうごまかして朝食をいただいた。
―――――
その日の午後、私はリンダと共にダンスレッスンのための部屋へとやって来ていた。
その部屋は家具など何もなく、ただただ広い部屋だった。
壁の一面だけが鏡張りになっているのも気になるところだ。
まだ、ダグラス様とルーカスは来ていなかった。
しばし、ダグラス様たちの到着を待つ。
「奥様はダンスのご経験はございますか?」
ふとリンダが私に問いかけた。
「いえ、ないわ。初めてよ。」
「そうでございましたか。ダンスで一番大切なことはパートナーに身を任せることでございます。旦那様のリードを信じてついていけば、そんなに難しいことはありませんよ。」
ダグラス様に身を任せるとはどういうことだろうか?
あまりにもなじみがなさすぎて、安心できなかった。
しばらくリンダからダンスの心得について教えてもらっていると、ダグラス様とルーカスが部屋に入ってきた。
「待たせてすまない。」
「いえ、待っておりませんのでお気になさらないでください。それよりもお忙しい中お時間を作っていただきありがとうございます。」
ダグラス様が謝罪してくれるが、来てくれただけでも感謝すべきことだろう。
「では早速始めましょうか。」
「そうですね。まずは、我々でお手本をお見せしますね。その後、旦那様と奥様にも踊っていただきましょう。」
リンダの言葉にルーカスが続けて言った。
ダグラス様と私は壁際に立ち、部屋の中央へ移動したリンダとルーカスを見る。
二人が手を取り合って姿勢を整えた瞬間、空気がピンと張りつめたような気がした。
リンダとルーカスが踊り出す。
二人の足音と息遣いがぴったり合っていた。
まるで空を優雅に飛んでいるみたい…
私はしばし二人の様子を夢中で見つめた。
しばらくすると、二人がピタッと止まり体を離した。
もう終わりなのだろうか?
まだまだ見ていたかった。
「次は旦那様と奥様の番ですよ。」
いつの間にか近づいていたリンダに声を掛けられた。
「つい見惚れてしまっていたわ。二人は息がぴったりなのね。」
「それはそうだろう。二人は夫婦だからな。」
「――え!?そうだったのですか?」
私の言葉にダグラス様が答えをくれた。
そして一拍置いて、その意味を理解した。
私は驚きで開いた口が塞がらない。
確かに言われてみれば、最初から親しげな関係だった気がする。
それに翼の色も形もそっくりだ。
「奥様、お伝えしておらず申し訳ありませんでした。お気づきかと思っておりました。」
「気が付かなかったわ。でも言われてみれば納得だわ。」
二人を交互に見比べながら目を白黒させる私を見て、リンダが苦笑する。
「まあまあ、私どものことはお気になさらず。旦那様と奥様の練習にうつりましょう。」
ルーカスに背を押されダグラス様と向かい合う。
「旦那様の左手に右手を上からそっと乗せて、左手は旦那様の右腕に軽く当ててください。」
リンダに手を取られながら最初の立ち方を教えてもらう。
ダグラス様はすっと体勢を整え、私の準備が整うのを待ってくれている。
「奥様、背筋を伸ばして、もう半歩前へ出ましょうか。」
リンダからそう指示され、素直に応じるが近すぎないだろうか?
ダグラス様のぬくもりが伝わる距離にドキドキしてしまう。
手にかいた汗がとてつもなく恥ずかしかった。
「そう緊張するな。体の力を抜いて私に身を任せてくれれば大丈夫だ。」
ダグラス様に頭の上からそう声を掛けられるが、顔を上げることができない。
「わ、わかりました。」
言葉に詰まりながらもそう返すのが精いっぱいだ。
「まずはワルツの基本的なステップからにいたしましょうか。」
ルーカスはそう言うと、リンダと再び体を寄せステップを踏んだ。
先ほど見たダンスよりも簡単そうで少し安心した。
「では手拍子に合わせてやってみましょう。旦那様の足の動きに合わせることだけに集中してください。」
リンダがそう言うとゆっくりとワルツの三拍子を刻み始めた。
「動くぞ。」
ダグラス様がそう言うと一拍置いてからゆっくりと動き始めた。
私は必死にダグラス様に合わせて足を動かす。
「上手いじゃないか。才能があるのではないか?」
必死にステップを踏む私の耳元でダグラス様が囁く。
「あ!」
次の瞬間、私はダグラス様の足を踏んで止まってしまった。
「申し訳ありません。」
「気にするな。初めてでこれだけできたら上出来だろう。」
慌てて体を離して謝る私に、ダグラス様が慰めてくれる。
「そうでございますよ。お上手でしたよ。」
ルーカスも褒めてくれた。
「奥様は悪くありませんよ。奥様の集中を途切れさせた旦那様のせいですから。」
リンダの笑顔にダグラス様が気まずそうに視線を逸らして頬を掻いた。
「さ、もう一回やってみましょう。」
リンダの声に私たちはまた体を寄せ、手拍子に合わせてステップを確認していく。
その後、何度もダグラス様は練習に付き合ってくれた。
レッスンが終了するころには基本のステップに加えてターンもできるようになっていた。
「そろそろおしまいにしましょうか。」
ルーカスにそう声を掛けられ、ダグラス様から離れる。
二人の間に流れる空気が冷たく感じた。
最初は緊張していたのに、もう離れがたくなるだなんて…
私は不思議な感覚に戸惑った。
「本日はありがとうございました。」
「構わない。これからはダンスレッスンの時間を多くとれるようにする予定だ。ラナのお披露目のための夜会を開くからな。」
お礼を言った私にダグラス様から爆弾が落とされた。
「夜会ですか?それは…」
驚きすぎて言葉が出てこない。
「軍に関わる貴族たちから、花嫁の顔見せはまだかと声が上がっていてな。無視してもいいのだが、ラナの教育も随分進んでいるし、ちょうどいい頃合いかと思ったのだ。嫌だったか?」
ダグラス様の言葉に理解が追い付かない。
「高位貴族を招いての社交ということでしょうか?嫌ではないですが、うまくこなせるか不安です。」
私は何とか自分の気持ちを伝える。
がっかりされただろうか、私の視線は自然と下を向く。
「高位貴族もいるが、軍では私の指揮下に入る者たちだ。ラナのマナーはだいぶ様になってきたと聞いているし、我が家と親しい貴族の名前や家族構成もだいぶ覚えてきているらしいではないか。招待客は親しい者に限定するから、必要以上に社交の心配をしなくてもいいだろう。」
ダグラス様にそこまで言われては断る理由が思いつかない。
「承知いたしました。」
私は不安を抱えたまま了承を返す。
「ラナには伯爵家での心の傷が残っているだろうが、今回の夜会ではそんな愚かなことをする者を招くつもりはない。絶対にラナの傍を離れないから安心してほしい。」
「ご配慮くださりありがとうございます。それであれば、頑張ってみます。」
「無理を強いてしまって申し訳ない。少しでも安心できるよう努力することを約束するよ。」
ダグラス様はそう言いながら私の頭を優しくなでた。
単純かもしれないが、それだけで少し安心できた。
ダグラス様の妻として恥ずかしくないように、他家の情報を復習しておこう。
それにダンスやマナーも。
私は不安な気持ちを抱えながら、その日を終えた。
最後までお読みいただきありがとうございます。




