22
私たちを乗せた馬車はオリエに到着した。
空はもう茜色に染まっていた。
母に会えるのは明日だろうか。
ひと目だけでも様子を見ることはできないだろうか。
そんなことを考えながら馬車の外を見た。
懐かしい街並みの中に母の姿を必死に探す。
確かあの通りの先に母と住んでいた家があったはずだ。
しかし、母の人影を見つけることはできなかった。
「明日の朝食後に母君に会いに行こう。」
馬車を降りた私に、ダグラス様が予定を告げる。
「ひと目だけでも見に行ってはいけないでしょうか…?」
私は逸る気持ちを抑えきれなかった。
「焦る気持ちは分かる…だが、本日はもう遅い。先触れを出す時間も必要だ。明日は朝から夜までゆっくり時間をとるから、今しばらく辛抱してほしい。」
眉を下げたダグラス様の言葉に納得できる気持ちとそうでない気持ちが同時に湧き上がる。
「わがままを言ってしまい申し訳ありません。」
それでも明日には母に会えると、ぐっと気持ちを飲み込んだ。
「君が悪いわけではない。我慢を強いて申し訳ない。」
ダグラス様の言葉に胸が苦しくなる。
謝ってほしいわけではないのに言葉が出てこない。
私たちはそれ以上会話を続けられずにそれぞれの部屋に分かれた。
その後、夕食はそれぞれの部屋でとり、その日は就寝することとなった。
明日は何を話そうか。
母は今までどんな生活をしていたのだろうか。
私のように寂しく思ってくれているだろうか。
寝台に横になったものの、次々と浮かぶ疑問に目が冴える。
今日は眠れそうにないわ…
一度寝台から起き上がった私は、枕元に置かれた母のハンカチを手に取った。
「お母さん…」
ポツリとつぶやいた声は夜の静寂に消える。
膝を抱えて、顔を埋める。
次の瞬間、静かなノックの音が部屋に響いた。
「奥様、起きていらっしゃいますか?」
レーヌの囁くような声が扉の向こうから聞こえる。
「レーヌ…」
「失礼いたします。」
私の声を確認すると、レーヌが静かに部屋に入ってきた。
「眠れませんか?」
そう聞くレーヌに頷いて返す。
レーヌが来てくれてほっとした。
一人では寂しさに押しつぶされそうだった。
「ホットミルクをお持ちしましょうか?よく眠れますよ。」
「ありがとう。お願いするわ。」
私の返事を聞いたレーヌは、
「では準備してまいります。」
と言って部屋を出て行った。
早く帰ってきてほしい。
そんなことを思いながらレーヌを待つ。
しばらくするとまたノックの音が鳴る。
私が返事をすると、レーヌが入ってきた。
「奥様、ホットミルクをご用意いたしました。」
「ありがとう。」
レーヌが差し出したカップを受け取り、一口飲む。
温かくて優しい甘さのホットミルクに体の緊張が解けていくのを感じた。
「明日が不安で…。今日は眠れるまで傍にいてくれないかしら?」
ホットミルクをちびちびと飲みながらレーヌを見上げる。
「もちろんでございます。旦那様から奥様の様子を見に行くようにと申し付けられて参りましたが、起きていらして驚きました。」
「ダグラス様が?」
レーヌの言葉にびっくりして、ホットミルクを飲む手が止まる。
「はい。別れ際に奥様が不安げにしていらっしゃったのを心配しておられましたよ。」
「そうなのね。ダグラス様はよく見ていらっしゃるのね。」
レーヌの言葉に心が温かくなる。
「明日、ダグラス様にありがとうとお伝えしなくてはね。」
「そうでございますね。」
私の言葉にレーヌが微笑みを返してくれた。
ホットミルクを飲み終える頃には、先ほどまで感じていた寂しさも少し和らいだような気がした。
「お眠りになるまで傍におりますから、安心してください。」
「レーヌ、ありがとう。」
私はそう言うと、再び寝台に横たわった。
ちらりとレーヌを見ると、レーヌは寝台脇に椅子を持ってこようとしていた。
本当に眠れるまで傍にいてくれるらしい。
私はそのことに安心して、いつしか眠りについていた。
―――――
次の日の朝、朝食を済ませた私たちは母に会うために宿屋を出た。
「昨夜はありがとうございました。」
「何のことだ?」
ダグラス様は何のことかわからない様子だった。
「昨夜、レーヌに私の様子を見に行くよう言ってくださったではないですか。おかげで安心して眠ることができました。」
「ああ、そのことか。気にする必要はない。眠れたようでよかったよ。」
ダグラス様はそう言うと私の頭に優しく触れた。
大きな心地よい手はすぐに離れてしまったが、冷えた体がポカポカと温かくなるのを感じた。
しばらく歩くと、母と二人暮らしをしていた家が見えてくる。
鼓動が少しずつ早まってくるのを感じた。
「まずは一人で訪ねるか?」
「一人で、ですか…?」
ダグラス様の意図がよく分からず聞き返す。
「二人きりで話したいこともあるだろう。私は少し離れた場所で待機しているから落ち着いたら呼んでくれたらいい。」
「ダグラス様を待たせるようなことをしても良いのですか?」
提案は正直嬉しいが、待ってもらうのは申し訳ない。
「二年…いや、それ以上会えていなかったのだろう?遠慮することはない。本当に大丈夫だから時間を気にせず話してくるといい。」
「お気遣いありがとうございます。ではなるべく早くダグラス様をお呼びしますね。」
ダグラス様の優しさに少し泣きそうだ。
私はぐっと涙を堪え、母の待つ家へと一人歩き出す。
扉の前に立ち、深呼吸をする。
覚悟を決めてノックしようとしたその時、
「ラナ!ラナなのね!」
お母さんが扉を内側から開けて飛び出し、私を強く抱きしめた。
「お、お母さん、なんで!?」
「ラナの足音を忘れるわけないわ!また会えるなんて…あの手紙は本当だったのね。」
お母さんの声が震えている。
「お母さん…!」
お母さんの懐かしいぬくもりに包まれ、涙があふれて止まらない。
「さ、中に入って。せっかく会いに来てくれたのだからゆっくりお話を聞かせてちょうだい。」
「うん。うん。わ、私…!たくさん話したいことがあるのっ。」
息が詰まってうまく話せない私をお母さんが家の中へ入れてくれた。
懐かしい我が家の匂い。
あの頃と何一つ変わらない景色。
私はこみ上げる涙を抑えることができず、声をあげて泣いてしまった。
そんな私を再び抱きしめ、お母さんも静かに涙を流していた。
お互いの肩を濡らし合い、再会の喜びを分かち合った。
お母さんは私の足音さえも覚えてくれていた。
ずっと待ち続けてくれていたのだ。
それがたまらなく嬉しい。
最後までお読みいただきありがとうございます。




