20
ルーカスに出立の日を告げられたあの日から一週間、私はこの日が来るのを指折り数えて待っていた。
今回の旅に持っていく荷物が客間から次々と運び出されていく。
伯爵邸から公爵邸に来たあの日、大切なものは母のハンカチただ一枚だけだったのに…
「奥様、玄関ホールへ向かいましょう。旦那様もそろそろお越しになるそうです。」
「わかったわ。すぐに向かいます。」
レーヌに声を掛けられて、私は荷物から視線を外す。
手荷物の中にダグラス様への贈り物と母のハンカチが入っていることを、すばやく確認して客間を出た。
今回の旅にはレーヌが同行してくれるが、馴染みのない使用人も多数同行すると聞いている。
少し不安はあるが、リンダやルーカスの人選なら間違いはないだろう。
そんなことを考えているうちに玄関ホールへ到着した。
玄関ホールに先に到着されていたダグラス様がこちらを見る。
普段とは違う少しシンプルな装いのダグラス様と目が合った瞬間、胸がドキッとした。
なぜドキッとしたのだろう…緊張しているのかしら?
「どうした?出発するぞ。」
固まる私をダグラス様が不思議そうに見つめる。
「い、いえ、何でもありません。」
「そうか、では行こう。」
ダグラス様がすっと左腕を曲げ、私がその腕に右手をそっと添える。
馬車に乗り込んだ私たちは向かい合って座った。
開いてしまった距離が少し寂しい。
うっすらと積もった雪の上をゆっくりと馬車が進んでいく。
馬車の中は少しひんやりしていたが、ひざ掛けやストールがあればつらくはない程度だった。
「本日から道中で二泊し、三日目にオリエの街へ入る予定だ。オリエでは到着日と出発日を合わせて三日滞在する。」
「では一日は母と過ごせるのですね…そんなに長い間、家を空けても大丈夫なのですか?」
旅程を聞いてそんなにゆっくりとできるのかと驚いた。
「あぁ、母君とゆっくりするといいだろう。」
ダグラス様の言葉に胸が高鳴る。
感謝を伝えるなら今だろう。
「あの、ダグラス様、私は公爵家へ嫁いで本当に幸せを感じることができています。今回のために、かなりご無理をなさったとか…本当にありがとうございます。ずっと直接、感謝を伝えたいと思っておりました。」
一気にそう言い切ると、私はダグラス様へ用意していた贈り物を渡した。
「君が気にすることではない。私がそうしたかっただけなのだから。だが感謝は受け取ろう。今、開けてもいいだろうか?」
「そう思ってくださったことが嬉しいのです。開けて見ていただけますでしょうか。」
私がそう言うとダグラス様は包装紙を丁寧に開け、中身を取り出した。
気に入っていただけるだろうか…私は緊張で指先が震える。
「これは…デルフィニウムの刺繍か。」
「はい。私が感じた幸せな気持ちをダグラス様にもお返ししたいと願いを込めました。」
「そうか…想いのこもった贈り物を嬉しく思う。ありがとう、大切に使わせてもらうよ。」
ダグラス様は嬉しそうに目尻を下げてそう言うと、丁寧にハンカチを上着の内ポケットにしまった。
気に入っていただけたようでよかった。
私は胸を撫でおろした。
その後も外の風景を眺めたり、車窓から見える街について教えてもらったりと穏やかな時間が続いた。
これから始まるダグラス様との約一週間の長旅に初めは緊張もあった。
でも気付けば、その緊張はどこかへ消えてしまっていた。
―――――
「もうすぐ最初の街に到着いたします。」
御者の声にもうそんなに時間が経っていたのかと驚いた。
馬車が街の中へと進む。
「ここは工業都市ファベルだ。優秀な職人が多く集まる場所で、軍の武器防具もここの職人が作っている。」
「名前は知っておりましたが、こんなに活気のある街とは思っておりませんでした。」
外はもう暗くなっているにもかかわらず、街には明かりが煌々と灯っており人通りも多い。
「職人たちは陽気な者が多いからな。昼間は静かなものだが、夜になるとこうやって外で騒いでいることが多いらしい。」
「そうなのですね。本当に楽しそう。」
私は肩を組みお酒を飲んだり歌を歌って踊ったりする賑やかな人々の様子を眺めた。
こちらまで踊りだしたくなるような気分になってくる。
「本日の宿に到着いたしました。」
気付けば馬車は止まっており、外からレーヌの声がする。
先に降りたダグラス様のエスコートで私も馬車を降りた。
この宿で一晩休息をとって、また明日の朝に出発するらしい。
宿屋のカウンターで受付をするレーヌの後ろ姿を眺めながら待っていると、レーヌが慌てたようにこちらへ駆け寄ってきた。
「旦那様、奥様、申し訳ありません。手違いで一部屋しか確保できておりませんでした。ファベルは観光客が少なく、貴族用の宿屋はこの一軒しかございません。すでに他の客室も埋まってしまっているようで…使用人用の部屋に泊まっていただくわけにもまいりませんし、本日は同室でもよろしいでしょうか?」
同室…?!
それは心の準備が…。
そう思ったが、困り果てたレーヌが気の毒で仕方ない。
なんと返事をすればいいか迷った私はダグラス様を見上げた。
ダグラス様は顎に手を当て何か考え込んでいるようであった。
「そういった手違いもあるだろう。仕方のないことだ。君は問題ないだろうか?」
やっと口を開いたダグラス様はそう言って私を見る。
「はい。私は大丈夫です。」
何が大丈夫か分からなかったが、レーヌのためと思って頷いた。
「そうか…。では部屋まで案内してもらおう。」
「この度は申し訳ありませんでした。ではご案内いたします。」
もう一度謝罪したレーヌは、案内のために歩き出す。
私たちはレーヌの後に続いて部屋へと向かった。
部屋に入ると、まず広々とした居間が広がっていた。
居間には二つの扉があり、それぞれ寝室とバスルームの扉だそうだ。
宿屋には初めて泊まったが想像以上の広さに圧倒される。
だが、寝台は一台だけ。
今夜はどこで寝るべきか、私は真剣に悩んだ。
夕食後、寝支度を済ませた私たちはどちらがソファで眠るかで静かな攻防を繰り広げていた。
「君は体が弱いのだから、ソファで寝るべきではない。」
「ダグラス様の方が体が大きいので、寝台で寝るのはダグラス様がいいと思います。」
私たちの話し合いは平行線をたどっていた。
ダグラス様の体に対してソファは小さすぎる気がした。
これでは疲れが取れないだろう。
ここ最近無理していたと聞いているし、なんとかダグラス様を寝台で寝かせたい。
そこで、私はふと妙案を思いついた。
「では、一緒に寝台を使えばいいではありませんか。」
「いや、それは…」
ダグラス様が口ごもる。
ダグラス様の反応を見て、先日の後継者の話を思い出す。
大胆なことを言ってしまった…と思ったが、口に出した手前もう後には引き返せない。
「私は端っこで小さくなって眠りますから邪魔にはなりません。翼もこの通り小さいですし。」
邪魔にはならないことを必死にアピールするが、ダグラス様は眉間にしわを寄せるだけだった。
困らせてしまっただろうか?と不安がつのる。
「そういうことではない…だが、君がいいのであれば一緒に寝台を使わせてもらおうか。」
少しの沈黙の後、ダグラス様がそう言った。
「そ、それでは、もう夜も遅いですし寝ましょうか。」
私が声を掛けると、困ったような表情のダグラス様と寝室へ向かう。
寝台に横たわってみると思ったより狭く、ダグラス様の体温が分かるほどであった。
私はできる限り端に寄り体を縮こまらせる。
ダグラス様も翼を小さくたたみ、私に背を向けていた。
一緒に眠るなんて、なんであんなことを言ってしまったのだろうか。
あの時はダグラス様に寝台を使っていただきたくて必死だった。
でも我に返ると、この状況はかなり恥ずかしかった。
今日は眠れないかもしれない。
そんなことを考えていた私だったが、旅の疲れもあってかすぐに意識を手放していた。
―――――
次の日の朝、何か温かいものに包まれている気がして目が覚めた。
朝はいつも寒いはずなのに…
私は寝ぼけながらも、ぬくもりを求めて手を伸ばす。
あら…?寝具ではない?
「…っ!?」
ふと目を開けると、胸板が目に飛び込んできた。
私はゆっくりと視線をあげる。
そこにはダグラス様の美しい寝顔があった。
ど、どういう状況なのかしら!?
私は気が動転しながらもダグラス様から離れようと試みる。
すると、ダグラス様の腕が私をギュッと引き寄せ捕まえた。
腕の力が強くどうすることもできなくなってしまった…
鼓動が早くなりすぎて心臓が壊れてしまいそうだ。
それに体も熱い。
「だ、ダグラス様。朝でございますよ。」
私が声を掛けても深く眠っているようで起きる様子がない。
私は必死にダグラス様の体を揺する。
「起きてください!ダグラス様!」
少し大きな声を出すと、ようやくダグラス様の瞼が開いた。
だがダグラス様から何も反応が返ってこない。
「あの、腕、腕を離してください。」
「?…あ!す、すまない!」
私の声に飛び起きたダグラス様が身を引き、寝台の端から落ちそうになっていた。
「いえ、お気になさらないでください。」
私もゆっくりと起き上がり、寝台の上で正座する。
ダグラス様も顔が少し赤い。
真っ赤な顔で固まる私とダグラス様。
傍から見れば滑稽に見えるかもしれない。
「旦那様、奥様、おはようございます。起きていらっしゃいますでしょうか?」
扉の外からレーヌの声が聞こえる。
その声に我に返った私たちは、ぎこちない動きでレーヌを迎え入れた。
「旦那様と何かございましたか?」
私の着替えを手伝いながらレーヌが声を掛けてくれる。
ちなみに、ダグラス様は別室で着替えている。
「何でもないの!本当に何でもないの。」
「そうでございますか?」
レーヌは不思議そうにしながらも何でもないという私の言葉を飲み込んでくれた。
支度が終わった私たちは朝食を食べ、早速馬車に乗る。
今朝のことを思い出すとなんだか気まずい。
私は外を眺めながら時間をつぶす。
遠くに見える北の山脈は真っ白な雪化粧をまとい、荘厳な姿を見せていた。
ダグラス様をちらりと見やると、腕を組んで目を瞑っていた。
昨日よりもお疲れのように見える。
今はそっとしておいてあげたほうがよさそうだ。
私は外の景色に視線を戻した。
しばらくするとダグラス様の方から寝息が聞こえてきた。
もしかしたら私の寝相が悪かったせいで、よく眠れなかったのかもしれない。
今朝のことも私が転がっていってしまったせいだったのかも…
ダグラス様には朝から申し訳ないことをしてしまった。
起こさないように細心の注意を払いながら、ダグラス様に自分のストールをそっと掛けた。
最後までお読みいただきありがとうございます。




