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母に会いに行くという話が出てから一週間が経過した。
あの日からダグラス様と会えていない。
夕食でさえも、今では一人きりでとっていた。
ルーカスから伝え聞いた話では、オリエへ行く時間を捻出するために執務を前倒しで進めているらしい。
夕食をゆっくりとることができないほどなのかしら?
ダグラス様のことが心配だ。
私は空き時間を利用して庭園に出ていた。
執務室の窓の向こうにダグラス様の姿がちらりと見える。
少しやつれたように見えるのは気のせいだろうか?
「奥様、そろそろ部屋に戻りましょう。体が冷えてしまいます。」
傍で控えてくれていたレーヌに声を掛けられる。
そんなに長い時間、外に居たつもりはないが確かに指先が冷えていた。
「ねぇ、レーヌ。ダグラス様がなんだかお疲れのように見えるわ。大丈夫なのかしら?」
レーヌなら何か知っているかもしれないと、私は尋ねた。
「どこかでお見かけしたのですか?」
「執務室の窓の向こうに見えるダグラス様がお疲れのように見えたから…」
「今見えるのですか?奥様は本当に遠くまでよく見えるのですね。」
レーヌにもダグラス様の姿が見えていないらしい。
「それよりも、ダグラス様の最近のご様子が知りたいわ。」
「失礼いたしました。最近は遅くまで執務室にこもっておられると聞いています。お食事はきちんととられているようですよ。」
私の言葉に、レーヌが答えてくれる。
「そうなのね。私のため…よね?申し訳ないわ。」
「もちろん奥様のためだと思います。ですが、申し訳ないよりも感謝をお伝えした方が喜ばれると思います。奥様が心配していたことをお伝えしておきますね。」
『謝罪よりも感謝を』という言葉が胸に刺さる。
自分の立場だったら、感謝される方が嬉しいかもしれない。
「…そうね、ご無理をなさらないでくださいと伝えてもらえるかしら。感謝は私から直接お伝えしたいわ。」
「かしこまりました。では、そろそろお部屋に戻りましょう。」
レーヌに促され、私は庭園をあとにする。
最後にちらりと執務室の窓を見るとダグラス様と目が合ったような気がした。
しかし、一瞬のことだったのでただの自意識過剰かもしれないと思いなおした。
客間へ戻り、温かいお茶で暖をとりながら作業机に視線を移す。
机の上には何度も書き直して、いまだ完成していない母への手紙。
今日こそは完成させないと…!
そう決意して作業机に向かった。
私は筆を取り、手紙の続きを書き始める。
別れの日の怪我はもう大丈夫なのか。
今はどんな暮らしをしているのか。
聞きたいことが山ほどある。
これまでのこと。
現在のこと。
そして、会いに行くこと。
伝えたいことも山ほどある。
でも、伯爵家での日々のことだけは書きたくなかった。
母には心配を掛けたくない。
そんなことを考えながら筆を走らせる。
母に手紙を出せるなんて夢のようだ。
しかも、会いに行くこともできる。
「奥様、そろそろ午後のティータイムでございますが…。」
レーヌが声を掛けてくれる。
「あと少しで完成しそうなの。本日のティータイムはなしにできないかしら?」
「それでは書きながら食べられるように片手でつまめる軽食とお茶をこちらにお持ちします。」
その提案はとても魅力的に思えた。
「では、そのようにお願いできるかしら?」
私はレーヌにお茶の準備をお願いすると、また手紙に向き直った。
軽食をつまみながら、手紙を完成させるため再び筆を走らせる。
数時間ほど経っただろうか、ようやく手紙が完成した。
ふと窓の外を見ると、もう完全に日が沈んでいた。
いつの間にか部屋の灯りが付けられていたことにも気が付かなかった。
「奥様、ご夕食をお持ちしました。」
レーヌが見計らったかのようなタイミングで声を掛けてきた。
「集中させてくれていたのね。ありがとう。この手紙を母に届けてくれるかしら?」
「かしこまりました。では、お食事の支度はアンヌとサリーに任せます。」
手紙を託すとレーヌはそう言って部屋を出て行った。
それと入れ替わるようにサリーとアンヌが部屋に入ってくる。
アンヌが押しているワゴンから鼻腔をくすぐるいい匂いが漂ってきた。
二人は手早く準備を終わらせる。
「奥様、ご夕食の準備が整いました。」
サリーの声に促され、食事が並べられたテーブルへ移動する。
ダグラス様も今頃お食事をとっていらっしゃるかしら?
きちんと休めているといいけれど…
夕食をいただきながらダグラス様に想いを馳せる。
ダグラス様はどうしてこんなに私たち母娘のために心を砕いてくださるのだろうか。
公爵家に益があるわけではないのに…
今度会ったらどうお礼を伝えようか。
言葉だけでは足りない気がする。
最近習っている刺繍をハンカチに施して渡したら喜んでくださるだろうか?
以前手紙を渡したときは嬉しいと微笑んでくださっていたから、きっと喜んでもらえそうな気がする。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか夕食の時間は終わってしまっていた。
―――――
翌日、私は早速リンダにダグラス様への贈り物について相談していた。
「ダグラス様へ感謝の気持ちを伝えたいの。刺繍入りのハンカチを贈ろうと思うのだけれど、喜んでもらえるかしら?」
「とてもいい考えですね。もちろん喜ばれますとも!」
リンダが胸を張って宣言した。
「それでモチーフはどんなものになさるのですか?」
「季節外れなのだけれど、青いデルフィニウムにしようと思うの。」
『あなたを幸せにします』だなんて大げさな花言葉が少し恥ずかしいけれど。
ダグラス様と初めて目が合った日に見たあの花が私は好きだった。
それに、私が幸せになれた分をお返ししたい。
そういう気持ちもこもっていた。
「まぁ、とても素敵だと思いますわ。」
リンダが頬を赤く染めながら言った。
「そんな深い意味はないの。でも幸せをおすそ分けしたくて。」
何か勘違いされているかもしれないと慌てて言い訳をしたが、自分でも何を言っているのかわからなかった。
「素晴らしい考えだと思いますよ。すぐに道具と材料をお持ちしますね。」
嬉しそうに微笑んで、リンダが部屋を去っていった。
―――――
それから二週間経ったが、母からの返事はまだ届かない。
配達が遅れているだけかもしれない。
私はそう自分に言い聞かせていた。
ダグラス様もお忙しいようで、ずっと会えないままだった。
母のことを考えたりダグラス様のことを考えたり、うわの空で刺繍をしたせいで指にはいくつもの包帯が巻かれている。
今日も空き時間に刺繍に取り組んでいた。
そんな時、客間にノックの音が響く。
「ルーカスでございます。今お時間よろしいでしょうか?」
扉の向こうからルーカスの声が聞こえた。
「はい。お入りください。」
私がそう声を掛けると、部屋で控えていたレーヌが扉を開けてくれる。
「失礼いたします。オリエへの出立の日が決まりましたので、お知らせに上がりました。」
「嬉しいわ!それでいつ出発するのかしら?」
ルーカスの言葉に心が躍った。
「出立はちょうど一週間後でございます。待たせて申し訳ないと旦那様がおっしゃっておりました。」
「そんな!このために執務を前倒しで進めてくださっていると聞いております。感謝の気持ちしかございません。」
必死に首を横に振って、そんなことはないと伝える。
「旦那様には奥様のお言葉をお伝えしておきます。」
「お願いします。ダグラス様が倒れてしまっては大変ですから、くれぐれもご無理はなさらないでくださいと伝えていただけるでしょうか。」
「承知いたしました。」
そう言って頭を下げるルーカスに、ほっと息を吐く。
「もう一つ。奥様の部屋とご夫婦の寝室でございますが、オリエから帰還される頃には完成している予定でございます。奥様が不在の間に荷物の移動などは済ませておきますね。」
ルーカスの言葉に鼓動が早まるのを感じた。
ダグラス様と後継者のことについて話したあの日から、あまり意識しすぎないようにしていた。
だが、部屋の完成を知ると一気に現実味が増してくる。
「そうなのね…もう完成するのね。」
私は努めて冷静に返事をする。
「それではこれで失礼いたします。」
そう言うとルーカスは部屋を辞していった。
動揺する私に気が付いていないようで安心した。
ふと気が付くと子猫が膝に乗ってきた。
私のことを落ち着けようとしているのかしら…?
そんな考えが浮かんだが、まさかね。
子猫は先週迎え入れたばかりだった。
ダグラス様から許可をいただいてから医師の手配までは早かったのだが、診察や処置に少し時間がかかったらしい。
子猫の名前はまだ決めていない。
ダグラス様と一緒に決めたいと思っていた。
オリエへの旅の途中にダグラス様に相談してもいいかもしれない。
私は子猫を撫でながら、鼓動が落ち着いていくのを感じた。
最後までお読みいただきありがとうございます。




