18
猫を飼いたいと願った日の翌日。
私はダグラス様と夕食の席に着いていた。
「猫が飼いたいそうだな。」
ダグラス様が前菜を食べる手を止めた。
「はい。侍女のレーヌから子猫を譲り受けたいと思いまして…ご迷惑でしたら諦めますので。」
恐るおそるダグラス様の表情をうかがったが、その表情は穏やかなものだった。
「迷惑などではない。飼いたいならそうすれば良い。もう何匹か飼うか?」
「いえ、レーヌから譲り受ける一匹で十分です。」
とんでもないことを言い始めたダグラス様の言葉を即座に否定した。
いつもダグラス様はスケールが大きい。
「そうか?君が願うなら、できる限り叶えよう。最近の変化は喜ばしいことだと思っている。」
「ダグラス様、ありがとうございます。」
最近のダグラス様は優しすぎないかしら?
そう思ったが、よくよく考えてみると最初から優しかったような気がした。
体調を崩した時を思い返すと、当時は怖い印象しかなかったが、その対応は思いやりのあるものだった。
私はダグラス様ではなく自分が変わったのかもしれないと思い直す。
ダグラス様が食事を再開したのを見て、私も食事を再開する。
最後のデザートを頂いているとき、またダグラス様が手を止めた。
「この後、談話室でワインでもどうだ?苦手ならお茶も用意する。」
「はい。わかりました。ワインは少し苦手なのでお茶を頂けますと嬉しいです。」
「わかった。準備させよう。」
ダグラス様はそう言うと、近くの使用人に指示を出す。
夕食後に誘われるのは初めてだ。
私のルーツについて何か進展があったのかもしれない。
高鳴る胸の鼓動を深呼吸で落ち着けた。
―――――
食後、談話室に移動した。
ダグラス様はくつろいだ様子でワインに口を付けた。
私も一口お茶を飲む。
「以前、君のルーツについて調べると言ったことを覚えているだろうか?」
「はい、もちろんでございます。」
予想通りの言葉に背筋を伸ばす。
もしかしたら母のことが分かるかもしれない。
「まずは、一番知りたいであろう母君についてだが、今もオリエの街で一人で暮らしているそうだ。」
その言葉に胸が張り裂けそうになる。
「母は、お母さんは、元気でしょうか?」
もっと聞きたいことがたくさんあるのに言葉にならない。
震える唇を手で隠しながら、何とか言葉を絞り出す。
「もちろん。元気に暮らしておられる。安心していい。」
「あ、ありがとうございます…!」
今まで心配していたけれど、決して知ることのできなかったお母さんの安否。
それをダグラス様は調べて教えてくれた。
それがこんなにも嬉しいなんて。
今なら空も飛べそうだ。
私は飛び上がりたくなる衝動を抑えるのに必死だった。
「それから…。」
ダグラス様の声が硬く低くなる。
先ほどの優しい表情から一変し、厳しい目つきになった。
母に何かあったのだろうか。
不安に思った次の瞬間、
「コルビダエ伯爵家が君たち母娘にしたことはあまりにも残忍だ。君がこの屋敷に来た当初から、私は虐待の可能性を疑っていた。それにもかかわらず、すぐに詳しい調査をしなかったことを謝罪したい。本当にすまなかった。」
私に向かって、ダグラス様が深々と頭を下げる。
「そんな!ダグラス様が謝るようなことでは…頭を上げてください。」
慌ててダグラス様に頭を上げるように言うと、ゆっくりと姿勢を戻してくれた。
「いや、もっと早くに動いていれば君の心情に寄り添うこともできただろう。君が望むなら伯爵家への処罰を王に進言することもできるが…。」
「そんなことは望みません。それにダグラス様にも、使用人たちにも親切にしてもらっています。私の方が恩返ししたいくらいなのに謝ってもらっては困ります。」
ダグラス様の気持ちは嬉しいが、謝罪が欲しいわけでも、復讐がしたいわけでもない。
伯爵家の辛い日々を忘れたことはないが、私にとってはもう過去のことになっている。
今の私にとっては、伯爵家のことよりも母の話の方がずっと大事だった。
「許すというのか?」
「いえ、もうどうでもよいのです。それよりも母の話をもっと聞きたいです。」
「どうでもいいか…君は案外大物なのかもしれないな。」
どうでもいいという私に、一瞬目を瞬かせたダグラス様は小さく笑った。
「母君のことだがこちらから接触していないので、住んでいる場所と元気でいることしか今のところ分かっていないのだ。」
情報がないという言葉に少しがっかりする気持ちになった。
しかし、ふと、手紙を書いてみたらどうだろうかと思いつく。
ここからオリエまではかなり遠いと思う。
会いに行くことはできなくても、手紙なら許してくれるのではないか。
私はそんな希望を見出していた。
「母に手紙を書いてもいいでしょうか…?」
「もちろんだ。手紙を書いたらすぐに届けさせよう。」
勇気を出してお願いしてよかった。
母と連絡が取れることが嬉しくて仕方ない。
「ありがとうございます!」
嬉しさのあまり思わず立ち上がってしまった。
「当然の権利だろう。私への感謝は不要だ。…それよりも会いたいとは思わないのか?」
ダグラス様の言葉が信じられず、思わず目を見開いて見つめてしまう。
「今なんと…?」
「母君に会いたくはないのかと聞いたのだ。」
聞き返すと先ほど聞いた言葉と同じ言葉が返ってきた。
母に会える?
そんなことあっていいのだろうか。
でもダグラス様が…。
「会いたいです!」
しばし思考が固まったあと、私は力いっぱい答えていた。
「では、準備ができ次第、出立しよう。一か月後を目途に、都合をつける。」
「本当にありがとうございます!」
今日は母の安否が知れたどころか、手紙を書く許可をもらうことができた。
それに一か月後にはお母さんに会える!
ダグラス様への感謝と嬉しさと、何だかよく分からない感情で胸がいっぱいだ。
夢を見ているようで現実味がない。
私はいつの間にか客間へ戻っていた。
ダグラス様とどう別れたかも覚えていない。
母のハンカチはいつもの寝台横の小さなテーブルに置いてあった。
もう母の香りが残っていないことは分かっている。
それでもハンカチを顔に押し当て、母の痕跡を探してしまう。
母の匂いはどんなものだっただろうか…
薄れた記憶を辿りながら、心が落ち着くのを待った。
最後までお読みいただきありがとうございます。




