15
旦那様と別れ客間へ戻ると、リンダのほかにレーヌ、サリー、アンヌが待っていた。
「おかえりなさいませ、奥様。本日は楽しめましたか?」
「とても楽しかったわ!聞いてほしい話がたくさんあるの!」
楽しかったかと尋ねるリンダに私は興奮気味に答えていた。
「それはようございました。これからお着替えですが、サリーとアンヌに任せてよろしいでしょうか?」
「えぇ、もちろんよ。よろしくね、サリー、アンヌ。」
リンダからそう聞かれて、二人に向き直る。
「「よろしくお願いいたします。精一杯務めさせていただきます。」」
サリーとアンヌの声が重なる。
この二人は息がぴったりで姉妹のようだ。
私は二人に手伝ってもらい、着替えを済ませた。
ソファへ腰かけると足の先がジーンとする。
でも、この疲労感は嫌いではない。
私のもとへレーヌが一歩近づく。
「本日より、奥様付きの侍女となりましたレーヌと申します。」
「これより侍女としての務めの大半はレーヌに任せる予定です。」
レーヌの挨拶にリンダが補足する。
「そうなのね。これからよろしく。…ところで、庭の隅に居た子猫は元気にしているかしら?」
「お、奥様、なぜそれを…」
レーヌはわずかに目を見開いた後、続けて、
「申し訳ありません。逃がしても逃がしても私のもとへ帰ってきてしまうのです。」
と、申し訳なさそうに身をすくめた。
「怒っているわけではないの。以前レーヌが子猫にミルクをあげようとしているところを見て気になっただけなのよ。きっとレーヌに懐いたのね。」
「そうだったのですか、見られていたのですね。子猫は元気にしておりますが、独身寮で飼うこともできず、今は引き取り手を探している状況でございます。」
私が怒っていないことにほっとしたのかレーヌが子猫について教えてくれる。
「そうなのね…」
子猫を飼えたらいいのだけれど…
まだ公爵夫人としてほとんど何もできていない私が、そんなお願いをするのは何か違う気がした。
「いい飼い主が見つかるといいわね。」
しばらく思案してみたが、私には何もできないことに気が付いた。
「ありがとうございます。」
苦し紛れの私の言葉に、レーヌは微笑み返してくれる。
なんとも申し訳ない。
「そういえば、みんなにお土産があるの。」
少し気まずい空気を変えるように、努めて明るくお土産の話題を口に出した。
全員にお土産を配ると皆、嬉しそうに受け取ってくれた。
「お土産ありがとうございます。奥様、お出かけの話をお聞かせください。」
リンダに促されるまま、私は今日の出来事を話した。
旦那様が宝飾品店でたくさん買い物をして眩暈がしたこと。
旦那様が街の人たちに声を掛けられ、丁寧に対応されていたこと。
そして、最後に気になっていた露店のペンダントをプレゼントしてもらったこと。
「奥様、素敵なお出かけだったのですね。」
リンダが嬉しそうに話す私にそう声を掛けてくれた。
サリーとアンヌは頬を赤らめて何やら興奮した様子だった。
レーヌも微笑みながらこちらを見て、うんうんと頷いてくれている。
私の話をこんなに楽しそうに聞いてくれるなんて…
三人を選んで本当に良かったと、心からそう思った。
―――――
ペンダントをプレゼントしてもらった日から私は、それを毎日のように身に着けていた。
服の中に隠せば目立つこともなく、私のお守りのようになっている。
「本日も旦那様より夕食をご一緒にと承っております。」
レーヌから夕食の予定が告げられた。
お出かけのあの日からほぼ毎日夕食を共にしている。
覚えることは山ほどあるが、毎日が充実していた。
少しずつだけれど、夫人としての仕事も任せてもらえるようになってきていた。
そんな私を認めてもらえているようで、私のために時間を作って夕食を共にしてくれる旦那様の心遣いが本当に嬉しい。
私は身支度を整えると食卓がある部屋へと向かった。
夕食の席に着くと早速、授業の進捗や体調について確認される。
私はそれにいつも通り返事をした。
今日も穏やかな時間が過ぎていく。
「そういえば気になっていたのだが…」
旦那様の次の言葉に集中すべく、グラスをテーブルに戻す。
少しの沈黙の後、
「リンダから、遠くまで見える目を持っていると聞いたが、それはどれくらい先まで見えるのだ?」
旦那様からそんなことを聞かれた。
「え…、あの、いつも散策している庭園で一度目が合ったことがありましたよね。あの窓の中はくっきり見えます。見晴らしの良い場所であれば数キロ先まで見えるかと…。」
何か重大なことを聞かれるのかと身構えていたが大した質問ではなかったようだ。
私は肩の力を抜いた。
「あの場所から執務室が見えるのか?」
旦那様が驚いた様子でこちらを見ている。
それよりも、あの窓は執務室の窓だったのか。
毎日見かけるのも無理はない。
旦那様が何に驚いているのかはわからないが、あの場所が分かってすっきりとした気分だった。
「それでは、足音で来訪者がわかるというのは…本当か?」
「はい。少し耳がよいのです。客間のある階でしたら、話し声もかすかに聞き取れます。」
私の言葉にガタッと音を立てて席を立つ旦那様。
そんなに珍しいことなのだろうか?
私は驚く旦那様が不思議でしょうがなかった。
「君は、コルビダエ伯爵の娘で間違いないな?」
「はい。そう聞いております。」
「――では母君のことを聞いても?」
席に座りなおした旦那様が、少し言いにくそうに母について尋ねた。
「母は平民で、コルビダエ伯爵家のメイドとして働いていたそうです。そこで伯爵のお手付きとなり、私を身ごもったと聞いています。その後は、メイドを辞して王都から少し離れた地方都市オリエに移住しました。そこで私を女手一つで十四歳まで育ててくれました。」
「十四歳まで…?」
旦那様の疑問に私は言葉を続ける。
「はい。理由は分かりませんが、十四歳の誕生日に伯爵が母と私の住む家を訪れました。母は必死に抵抗してくれましたが、抵抗むなしく私は伯爵邸へ連れて行かれました。」
「それは…あまりにも酷い話だ。」
私が話し終えると旦那様は眉間にしわを寄せ何かを考えるそぶりを見せた。
酷い話と旦那様が言ってくれたことで少し救われたような気がした。
お母さんは元気にしているだろうか。
まだあの街に居るだろうか。
誰かにここまで詳しく話すのはこれが初めてだ。
私は強い郷愁の念に駆られた。
「君のルーツが知りたい。調べさせてもらってもよいか?」
「もちろんでございます。」
重たい沈黙の後、旦那様からそう確認された私は二つ返事で了承する。
その後、旦那様と別れるまでの間、旦那様の眉間からしわが消えることはなかった。
旦那様はずっと難しい顔をしていた。
心当たりはないが、何かしてしまった可能性もある。
私は何か失礼がなかったか考えながら、客間へ戻った。
客間へ戻った私は母のハンカチを無意識に探していた。
見つけたそれを手に取り、そっと胸に抱く。
お母さん…元気で暮らしているかな?
今どうしているかがわかれば…
ハンカチを抱いたまま、母への想いを巡らせる。
でも、わかったとして何ができるというのだろう。
浮かびかけた願いをすぐに自分で打ち消した。
最後までお読みいただきありがとうございます。




