13
「もうそろそろ準備いたしましょう。」
リンダに声を掛けられた私は本を閉じテーブルの上に置いた。
少し背伸びをして凝り固まった体をほぐす。
着替えを済ませ食卓へと向かっていると、廊下の先に旦那様を見つけた。
このままでは旦那様を待たせることになってしまう。
私は上品さを失わない程度に歩く速度を上げた。
食卓のある部屋の前に旦那様と同時に着いた私は、間に合って良かったと肩の力を抜いた。
「急がずとも良かったのだぞ。」
少し息が上がった私に旦那様はそう声を掛けてくれた。
「いえ、お待たせするわけにはいきませんから。」
私はそう返事をしながら席に着く。
「授業の進捗はどうだ?」
夕食が始まってしばらくしてから旦那様が口を開いた。
「順調でございますよ。吸収が早く、驚かされるばかりです。」
どう答えたものかと困っていると、傍に控えていたリンダが答えてくれた。
「そうか。ルーカスからも同じように聞いている。思ったより早く教育が進んでいるようだな。」
リンダの言葉に満足したようにうなずく旦那様。
そんな風に評価されていたのか。
褒められた嬉しさと恥ずかしさで顔が熱くなってくる。
「教育の進捗を見る限りではそろそろ専属の侍女とメイドが必要だな。明日、候補たちの中から侍女を一名とメイドを数名選んでくれるか。」
夕食が終盤に差し掛かった頃、旦那様から侍女とメイド選びを命じられる。
まだまだリンダと二人の生活が続くと、どこかで思っていた私は驚きのあまり食事の手が止まってしまった。
「無理そうか?だが、もう決めてもいい頃合いだと思うが…」
「いえ、大丈夫です。かしこまりました。」
旦那様の言葉に固まってしまっていた私は慌てて返事をする。
「人選はリンダに任せてある。安心すると良い。」
「ご配慮に感謝いたします、ダグラス様。」
旦那様の気づかいが嬉しい。
新しい侍女やメイドと言われて身構えていたが少し安心した。
そのあとも朗らかに会話をしながら夕食を終えた。
―――――
次の日、私は朝から三名の侍女と十人のメイドと対峙していた。
こんなに大勢の目にさらされるのは、伯爵家で見世物にされていた時以来かもしれない。
緊張で心臓がおかしくなりそうだ。
きっと私の貧相な翼はしおれてさらに小さくなっているだろう。
私の様子を察してくれたのか、リンダが一人ずつ紹介してくれる。
リンダの声に耳を傾けながら、一人ひとりをよく観察した。
すると、以前に洗濯場で困っていた少女の姿が目に入った。
彼女はアンヌというのね。
その隣にはアンヌに洗濯を教えていたメイドの女性、サリー。
一方的にだが知っている顔を見つけて、私はいつの間にか落ち着きを取り戻していた。
それなら子猫にミルクをあげていた侍女もいるかもしれない。
見渡してみると、部屋の端に探していた侍女を見つけた。
最後に紹介された彼女はレーヌという名であった。
紹介が一通り終わるとリンダがこちらを振り向いた。
「奥様、この中から最低でも侍女を一名、メイドを二名選んでいただくことになります。気になる方はいらっしゃいましたか?」
最低限選ばなければならない人数を聞かされる。
それならばサリーとアンヌ、そしてレーヌがいい、私はそう思った。
「では、侍女はレーヌを、メイドはサリーとアンヌにいたします。」
私の言葉に名前を呼ばれた三人はそれぞれ別の反応を返した。
アンヌは驚いた表情で胸に手を当て落ち着かない様子だった。
サリーはアンヌの肩に手を置き、「大丈夫よ。」と声を掛けている。
この二人は普段から仲が良いのかもしれない。
レーヌは無表情で感情こそ読み取りにくいが、
「よろしくお願いいたします。」
と言って、上品なお辞儀をしてくれた。
その拍子にちらりと見えた白い羽根は美しく、いつまでも眺めていたいと思わせるものだった。
「明日、改めて三人から挨拶していただきます。その後、奥様の身の回りのお世話を担当することになります。」
侍女やメイドたちを下がらせた後、リンダが予定を告げた。
「リンダは離れてしまうの?」
今まで一緒にいてくれたリンダが離れてしまう不安から思わずそう口にしていた。
「いえ。これまで通りとはいきませんが、奥様のサポート役として共に過ごす時間は長くなると思います。毎日会うのですから何も心配はいりませんよ。」
不安そうにしていたのがわかったのか私の手を両手で握りながら微笑んでくれるリンダ。
包まれた手のぬくもりが、私に安心感を与えてくれた。
侍女やメイドが決まったため、私は客間へ戻った。
今日は午前中の授業がないため、昼のティータイムまで自由時間だ。
私はテーブルの上に置かれた本に指を掛けた。
その時、普段この辺りで聞くことのない足音が聞こえた。
旦那様の足音だわ。
私は慌てて指を本から離した。
なぜかこちらへ近づいているような…
「リンダ、旦那様が来られるかもしれないわ。」
私はそう言いながら姿勢を正して旦那様の来訪を待つ。
「旦那様でございますか?そのような予定は聞いておりませんが…」
リンダが困惑した声で首をかしげる。
しばらくすると客間の前で旦那様の足音がぴたりと止まった。
…どうしたのかしら?
足音が止まって数秒、無音の時間が過ぎた。
コンコンッ…
「私だ。入ってもよいか?」
一拍置いて入室を求める声が聞こえた。
「はい。もちろんでございます。」
私はリンダに扉を開けてもらい旦那様を室内へ通す。
「そちらに座っても?」
旦那様がソファを指さした。
「はい。どうぞお座りください。」
私は慌ててそう言うと旦那様の向かいへ着席した。
「こんなところまでご足労いただいて申し訳ありません。いつものように呼んでいただければ、すぐに伺いましたのに…」
「いや、たまたま近くを通りかかったから気にせずとも良い。迷惑だっただろうか…?」
申し訳ないと謝る私に旦那様から予想外の答えが返ってきた。
「そんなことはございません!旦那様がいらしてくださって嬉しいです。」
先ほどの謝罪を嫌味と受け取られたのだろうか。
私は必死に言葉を探して、迷惑ではないことを伝えた。
「そうか。それならよかった。」
私の気持ちが今度こそきちんと通じたようで、旦那様はわずかに口角を上げる。
「急ではあるが、明日一緒に街へ行ってみないか?」
「ぜひ行ってみたいです!」
公爵邸へ来る道中に見た活気あふれる街を思い出した私は、わくわくした気持ちが抑えられず身を乗り出してしまっていた。
「そんなに行きたかったのか?言えばもう少し早く連れて行ってやれたものを。」
「申し訳ありません。はしたない真似をしてしまいました。」
あまりにも前のめり過ぎたかもしれない。
私は急に恥ずかしくなって姿勢を正し、表情を引き締めた。
「いや、もう少し感情を出しても問題ないくらいだ。」
そんな優しい言葉をかけてもらえるとは思っておらず、思わず目を見開いて旦那様を見つめてしまう。
「変なことを言ったか?」
そんな私を旦那様が不思議そうに見つめる。
「いえ、ありがとうございます。」
私は旦那様から感じる優しさに体がポカポカとするのを感じた。
「用件は済んだ。もう戻る。明日は、朝から出かけるから準備しておいてほしい。」
旦那様は最後にそう言うと客間を去っていった。
「奥様、旦那様とお出かけ楽しみですね!」
リンダから声を掛けられ、ふと気づく。
旦那様とお出かけという一大イベントに普通なら緊張するはず。
それなのに、明日どんなものが見られるのだろうと楽しみに思う気持ちで私の心はいっぱいだった。
どうして緊張しなくなったのかしら…?
小首をかしげながら、自分の変化について考えた。
最後までお読みいただきありがとうございます。




