レイヤー96 後始末
最後の出向先から
無事に帰還して数日が経った。
研究は
まだ再開していない。
今は
これまでの調査結果をまとめ
報告書を仕上げていた。
改めて読み返してみる。
色欲で人の弱さにつけ込んだ貧民街。
暴食で日常まで食い尽くされた市場。
傲慢を具現化した建築物がそびえ立つ街。
死を怠慢と嘆き死を否定した冒涜の墓地。
強欲な信者達が破滅させた宗教団体。
嫉妬に狂い禁忌を冒して異常気象を利用した村。
憤怒を纏い集団恐慌を自演し秩序が失われた国。
どの事案も
後味の悪いものばかりだった。
これも仕事だ。
そう割り切っていた。
だが、思い出すだけで
胸糞が悪くなる。
「よくもまあ……」
こんな仕事を
押し付けてくれたものだ。
いくつもの禁呪。
いくつもの厄災。
そして、そのほとんどが
人間によって引き起こされた。
自作自演の事件。
もちろん
調査の序盤では
そんなことには気づかなかった。
だが、元研究員が関わっていた時点で
その可能性はあった。
中には
厄災が発生する以前から
使用されていた禁呪もある。
それでも、どの事案も
研究内容を知らなければ
成立しないものばかりだった。
禁呪をどう使うのか。
どこまでなら因果律に干渉するのか。
何をすれば厄災になるのか。
そして、どう対処すれば
封じることができるのか。
まるで、最初から
そこまで織り込まれていたようだった。
「……検証実験」
誰かが
禁呪を使った。
そして、誰かが
それを観測した。
発生した厄災を
我々が調査し
原因を突き止め
対処法を確立する。
そこまで含めて
ひとつの実験だったのではないか。
誰がそんなことを考えたのか。
顔は見えない。
だが、おそらく
もっと上だ。
研究員を管理する者。
研究所を管理する者。
そのさらに上。
つまり
偉い人たち。
「……趣味が悪すぎる」
洋蔵は
報告書に視線を戻す。
そして、もう一つ
気になっていたことがある。
研究員の中に
同郷の者がいる。
転移者。
この世界では
知り得ないはずの情報。
こちらの世界には存在しない名称。
それを
いくつか口にした時
知っているような反応をした者がいた。
あの時、
言ってくれればよかったのに…
そう思わないでもない。
だが、
責めるつもりもなかった。
こちらの世界に来たことを
隠さなければならない事情が
あったのだろう。
ならば、それ以上は聞かない。
仕事は仕事だ。
だから報告書は、
きちんと仕上げる。
事案ごとの経緯。
禁呪の性質。
被害状況。
対処方法。
そして
今後の危険性を
すべて記録した。
最後のページまで
書き終える。
「……これで終わり」
報告書を閉じる。
業務終了。
退勤する。
研究所を出る。
いつもの帰り道。
その途中
ふと、違和感を覚えた。
誰かいる。
気配。
距離。
歩調。
こちらに合わせている。
「尾行か」
洋蔵は
振り返らない。
そのまま
人通りの少ない路地へ入る。
そして、
隠蔽の術式を展開した。
気配を消す。
存在を
周囲の認識からずらす。
しばらくして。
追跡者の気配が消えた。
「……やっぱり」
報告書を提出した直後に
これだ。
偶然とは思えない。
洋蔵は、
そのまま研究所へ戻ることも
自宅へ帰ることもしなかった。
街道へ向かう。
ちょうど
行商人の馬車が
出発しようとしていた。
荷台へ忍び込む。
行き先は
どこでもよかった。
少なくとも
ここではない場所へ。
馬車が走り出す。
遠ざかっていく街を
荷台の隙間から眺める。
責任を
放棄したわけではない。
やるべきことはやった。
報告書も提出した。
そして、
最後のページには
一枚
紙を挟んである。
辞表
自主退職の意思を
正式に記したものだ。
「……これでいい」
誰かに押し付けられた仕事なら
最後くらい
自分の意思で終わらせる。
研究は
いつか再開するかもしれない。
魔法の設計も
まだやりたい。
この世界で
やりたいことは
残っている。
だから
逃げたわけではない。
ただ、自分の人生まで
誰かの実験材料にするつもりはなかった。
馬車は街道を進んでいく。
洋蔵は、
報告書の写しを眺めながら
小さく息を吐いた。
厄災の後始末は
終わった。
だが、本当の後始末が
これから始まるのかもしれない。




