54 愛の言葉
初夜である。
小説では、愛を囁き合っているうちに朝になっているものだ。
具体的なことはわからないが、何とかなるだろう。
なにせ相手は、いかにも遊び慣れていそうなルーク様である。
そう思ってベッドに腰を下ろしているのに、私たちの間では妙な沈黙が流れていた。
余裕たっぷりにリードしてくれるはずのルーク様は、なぜかベッドの端に腰を掛けたまま、近づいてくる気配さえない。
「・・・・・・ルーク様、どうかされましたか?」
「ああ・・いや。その、いいのかな、と思って」
「『いいのかな』とは?」
思わず首を傾げる。
「いや。だって・・・これ、初夜だよね」
「そうですよ。結婚後、最初の夜ですよ」
本日、豪華な結婚式を挙げたばかりだ。
本当は身内だけのささやかな式がよかったのだが、公爵家の立場上、そうもいかなかった。
「いや、そういう意味じゃなくて・・・」
「何を、奥歯に物が挟まったような言い方しているんですか。はっきり言ってください」
はっきり言うか、隠し通すかどちらかにしてほしい。
こんな訳の分からない状況が一番困る。
つい苛立ってきつい言い方をすると、ルーク様は観念したように息をついた。
「・・・・・・アリスちゃん、嫌じゃない?」
「え?」
「こういうことしても・・・俺、いいの?」
「は?」
「あのさ。・・・言いにくいんだけど、アリスちゃん、意味わかってる?」
その言葉に、ようやく理解が追いついて一気に顔が熱くなる。
わかっていなかったら、ベッドに座ってなんかいない。
「大丈夫ですよ!ちゃんと知ってます!」
「え?知ってるの?」
心底驚いたようにルーク様がこちらを見るが、私をなんだと思っているのだろう。
「医学書で確認しました!」
叫んだ瞬間、ルーク様はがくりと床に崩れ落ちた。
「いや。・・・多分、アリスちゃんの想像しているのと違うと思う」
「え?」
「・・・ごめん、ちょっと待って」
そう言うと、ルーク様は両手で顔を覆ったまま、部屋の中をうろうろと歩き回り始めた。
私が読んだのはきちんとした医学書だったのに、何か問題があるのだろうか。
もう寝てしまおうかと考え始めた頃、ルーク様がようやく足を止め、私の方へ向き直った。
「アリスちゃん」
「はい」
「俺のこと好き?」
「そうでなければ、結婚しませんよね?」
当たり前のことである。
なのにルーク様は、困ったように眉を八の字に下げて見せた。
「だって前にさ、絵を描かせてくれれば誰でもいい、みたいなこと言ってたし」
「・・・・・・そうじゃなくなったんです」
ジュリアン様とお見合いをしたときは、どこか他人事だった。
でも、今は違う。
私はルーク様が好きだから結婚したのだ。
「えっと、ジュリアンはもういいんだよね?」
「今さら何を言ってるんですか?ジュリアン様とのお話は、ルーク様のプロポーズを受ける前に、すでにお断りしています」
「そうだったの!?」
まるで雷に打たれたかのように、ルーク様が驚愕の表情を浮かべている。
そういえば、ルーク様に言っていなかった。
というか、わざわざ言うことでもないと思っていた。
「はい。友人としてはよくても、恋人としては合わないことがわかりましたので」
そう答えながらも、ジュリアン様のことを思うと、胸の奥が少しだけ痛んだ。
体調も万全ではなかったはずなのに。
それでも彼は、メアリー様のことを謝りに来たのだ。
『謝ってすむことではありませんが』
そう言って、何度も頭を下げていた姿が思い出される。
ジュリアン様のせいではないと伝えたが、彼の顔が晴れることはなかった。
「・・・・・そっか」
でも、これでもうルーク様の憂いは晴れただろう。
そう思って向き合ったのに、ルーク様はなお不安そうににこちらを見つめていた。
「・・・じゃあ、ロビンは?」
「ロビン?」
「前に倒れたとき、名前を呼んでいたよね」
呼んだかもしれないが、よく覚えていない。
ルーク様は、記憶力が良すぎではないだろうか。
「子どもの頃の幼馴染です。しかも女性ですよ」
「え、そうなの?」
悪政に苦しむ民を助けたロビン・フッドの物語。
その影響で男性名と思われがちだが、女性の名としても使われることもある。
「・・・よかった」
心底ほっとしたような声に驚く。
今さら私の気持ちを確認するなんて、どう考えても間違っているだろう。
「あのですね。不安に思っているのなら、結婚式の前に聞くのが普通ではありませんか?」
ぐっと詰め寄ると、ルーク様は気まずそうに目を逸らした。
「俺もそう思ったんだけど。今さら聞けなくて、そのままずるずると・・・」
「一番大事なことですよね?」
「・・・・・・ごめん、どうしても聞けなかったんだ」
「どうしてですか?」
「だって、下手に聞いて撤回されたら困るし」
「・・・つまり、私の気持ちを疑いながら結婚の話を進めた、ということですか?」
「いや、そんなことはないんだけど」
「そうですよね?」
「・・・アリスちゃんが『結婚式はいつですか?』って言ったから、つい舞い上がっちゃって」
(・・・・・・・・そうだったわ)
あの日。
ルーク様が来ることも忘れて、徹夜で絵を仕上げた翌朝に、義兄に『いつ結婚するのか』と聞かれたのだ。
回らない頭のまま、私はルーク様に日取りを尋ねた。
そのとき、ルーク様はひどく驚いた顔をしていた気がする。
『アリスちゃん、俺と結婚していいの!?』
『えっ?あ、ああ、はい』
『わかった。すぐに準備する』
そこから先は、あっという間だった。
両家の顔合わせ、短い婚約期間、そして結婚式。
ルーク様と結婚することに、異存はなかった。
そのまま流されるように、ここまで来たのだ。
「・・・じゃあ、私の気持ちはわかっているじゃないですか」
「あ、うん。・・・そうなんだけど」
(・・・何をそんなに悩んでいるの?)
ルーク様のことが、よくわからない。
普段は余裕を崩さないのに、こんなふうにぐずぐずと思い悩むなんて。
エレノア様がルーク様を「決断が遅い」と言ったのは、このことだったのだろうか。
「でも、よく考えたらさ。俺、『貸し三回で何でも言うこときいてもらう』って、言ったし」
「へ?」
「だからさ、それで仕方なくプロポーズを受けてくれたのかな、とか思って」
そういえば、そんなこともあった。
「アリスちゃん、律儀だから、そういうの守りそうだし」
「さすがに人生を賭けてまで守りませんよ!そもそも、その約束自体、完全に忘れていました」
「忘れてたの!?」
「はい」
悪いが、今ルーク様に言われるまで思い出しもしなかった。
どうやらルーク様は、物事をしっかり覚えているタイプだったらしい。
「でも、アリスちゃんって、俺に好きだとか言わないし」
「・・・ルーク様も、言いませんよね」
「え?」
「私、聞いたことありませんけど」
どれだけ記憶を手繰り寄せても、ルーク様から愛の言葉を聞いた覚えはない。
結婚しようとは言われた。
けれど「愛している」とは、一度も言われていない。
「・・・・・・・・・・・・・あ」
「人を責める前に、ご自分を振り返ってください」
「ごめん・・・」
素直に謝られるが、別に言葉が欲しいわけではない。
真摯な態度さえあれば、それで十分だ。
「じゃ、じゃあ、改めて言わせて」
「結構です」
「なんで!?」
「必要ありません」
「要らないの!?どうしてさ!?まさか、もう俺たち離婚の危機!?」
慌てたように、ルーク様が私の肩をがっちりと掴んだ。
そんなに力を入れなくても、逃げたりはしない。
「そんなわけないでしょう。過剰な愛の言葉は要らない、と言っただけです」
「で、で、でも・・・」
「態度で示していただけたら、それで十分です」
「・・・それ、一番難しいやつじゃない?」
「簡単なことなら、誰でもできますから。ルーク様は、難しいことをやってください」
「えっ」
「ルーク様ならできるでしょう?」
その瞬間、ルーク様の瞳の色が、ふっと変わった気がした。
蝋燭の明かりが揺れたせいだろうか。
「うん、そうだね。ありがとう、アリスちゃん」
「・・・・・・・・・どういたしまして」
ルーク様は、わずかに微笑んだ。
大きく笑うわけではなかったが、なぜだかその表情の方が、ずっと嬉しそうに見えた。
「アリスちゃん、俺、君のことが好きだ」
「ありがとうございます。私もです」
その言葉を嚙みしめるように、ルーク様はそっと目を閉じた。
やがて開かれた瞳にいつもとは違う熱を感じ、心臓が大きく跳ねる。
「・・・・・・触れてもいい?」
「お好きにどうぞ。いちいち聞かなくて結構ですよ」
「だって、アリスちゃんに嫌われたくないし」
(・・・悪かったわよ)
よほど「嫌い」という言葉は、ルーク様に深い傷を残したらしい。
「ルーク様を嫌うことなんて、ありませんよ」
「・・・・・・そう、ありがとう」
そっとルーク様の手が肩に触れ、ゆっくりと顔が近づいてくる。
視線の置き場に困り、咄嗟にルーク様の胸元を押す。
「その前に、灯りを消していただけますか?」
「・・・・・・もしかして、照れてるの?」
「一応」
「自分は、あんなにしっかり俺の裸を見たくせに!?」
「それとこれとは別です!さっきから何なんですか!話が長い!くどい!さっさとしてください!!」
思わず、大きな声を上げてしまう。
さっさと終わるものだと思っていたのに、なぜだかどんどん恥ずかしくなってくる。
「そんな情緒も何もない・・・」
「なくて結構です」
「男って、結構繊細なんだけど?」
「男性の生理についてまでは知りません」
申し訳ないが、私は初心者なのである。
そこまで求められても困る。
「ははっ、ホントにアリスちゃんにはまいるよ」
「そうですか」
「俺、アリスちゃんといると、一生退屈しなさそう」
「それは良かったです」
ルーク様が、もう一度私の肩に手を回す。
それだけで、心臓が妙に大きく跳ねた。
ただただシーツの皺を見るしかない。
「・・・灯り、早く消してください」
「えっ?だめ?俺、アリスちゃんのこと、ちゃんと見たいのに」
耳元に、悪戯っぽい声が落ちてくる。
これ以上耐えきれず、思いきりルーク様の顎を押し上げた。
「それ以上ぐちゃぐちゃ言うなら、このまま家に帰らせていただきます!」
「ごめん、ごめん。アリスちゃんが、あんまりにも可愛いからさ」
やけに楽しそうに笑って、ルーク様はそっと蝋燭を吹き消した。
◇◇◇
(・・・・・・なんでこんなに惹かれるのかな)
柔らかな朝の光が、まだ夢の中にいるアリスちゃんを包んでいる。
無防備に俺の隣で眠るその姿が愛しくて、つい見つめてしまう。
フィリップの元へ自首を勧めに行ったときも。
ジュリアンの鞄を守ろうとしたときも。
そして、炎の中でその場に踏みとどまったときも。
アリスちゃんの行動は、きっと理屈じゃないのだ。
効率も、合理性も、欠片ほども考えていないに違いない。
勝ち目なんて考えずに突っ込んでいくその姿は、傍から見れば、馬鹿に見えるのかもしれない。
けれど彼女にとっては、理屈や損得で動くことの方がよほど愚かなのだろう。
確固たる自分を持っていて、決してぶれない。
だからこそ、どうしようもなく惹かれるのだろう。
(・・・・・・それに比べて、俺はどうかな)
胸に掲げた理想を実現するには現実は厳しく、ついつい簡単に流されそうになる。
『ルーク様ならできるでしょう?』
でも、アリスちゃんの疑いようもない、まっすぐな信頼の言葉。
あんなふうに信頼を寄せられてしまえば、俺だって理想を叶えるために突き進むしかない。
嘘偽りのない彼女には、こちらも誠実に向き合わなければ、男が廃る。
そっと手を伸ばし、彼女の乱れた髪を整える。
起こさないよう触れたつもりだったが、アリスちゃんはうっすらと目を開けた。
「・・・・・・おはようございます」
「おはよう。よく眠れた?」
「ええ」
「身体は、大丈夫?」
「はい」
まだ寝ぼけているのだろう。
ゆっくりと瞬きを繰り返しながら、ぼんやりと問いに答えるだけだ。
今なら言ってもらえるかもと、ほんの少し期待を込めて聞いてみる。
「アリスちゃん、俺のこと好き?」
「ええ」
「できればさ、アリスちゃんの言葉で『好き』って、言ってほしいんだけど」
「・・・・・・・・・・」
「えっ、そこ、黙るの?昨夜の可愛いアリスちゃんは、どこに消えたの!?」
「もう言いました」
「・・・・・・それって、まさか理性が飛んでるときのやつ?」
あれをカウントしていいのだろうか。
新婚らしく甘い雰囲気を期待したというのに、アリスちゃんは不機嫌そうに眉を顰めている。
「眠いので、もう一度寝ます」
「えっ、ちょっ、ちょっと、待って!」
「おやすみなさい」
「嘘、本当に!?」
アリスちゃんはくるりと顔を背け、布団を被り直すと、そのまま狸寝入りを決め込んだ。
けれど毛布からのぞく耳は、ほんのりと赤く染まっている。
(・・・そこがまた、可愛いんだけど)
俺の思い通りには、絶対動いてくれないのがアリスちゃんだ。
もどかしいのに、どうしてだか彼女が愛しくて仕方がない
朝の光を浴びながら、いつまでも彼女の赤くなった耳を見つめていた。
お読みいただきありがとうございます。
「火事のときは雰囲気に流されただけでは?」と後から不安になり、距離を詰められなかったルーク様です。アリスからの逆プロポーズで再び舞い上がったものの、また不安になるという・・・(笑)
最終話はロビン視点となります。
よかったら最後までお付き合いください。




