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恋を描けない伯爵令嬢 ーその絵は嘘をつかない  作者: 夏つばき


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53 絵に宿る心


「良かったなぁ。アリスが幸せになって」

「ええ、そうですね。でも・・・アリスちゃんがいなくなると、やっぱり寂しいですわ」

「そう言うな。あんなに幸せそうだったじゃないか」

「それはもちろんです。でも、寂しいものは寂しいです」

「・・・私も寂しいよ」


アリスの結婚式を終え家に戻った両親は、しきりにそうこぼしていた。


「父上、母上も、そこまで寂しがらなくてもいいではありませんか。アリスのことです。すぐに顔を見せに来ますよ」

「そうだろうか・・・」

「ええ。あの子は、父上たちの寂しい気持ちもちゃんとわかっていますから」


「・・・そうだな。本当に気遣いのあるいい子だ」

「ええ、だからこそ、幸せになってほしいですよね」

「大丈夫ですよ。アリスは、必ず幸せになります。父上たちも、そろそろ子離れしてください」


そう言いながらも、胸の奥が少しだけ締めつけられる。

俺だって、本音は寂しい。


だが、表には出さなかった。

それなのに父たちときたらーー


『アリス。部屋もアトリエも、そのままにしておくからな。いつでも戻ってきていいんだぞ』

『そうよ。嫌になったら、すぐに帰ってきていいからね』


ウィンダム公爵の前で堂々と離婚を勧めるような両親に、さすがの公爵も苦笑いしていた。

けれどそこまで言われたら、実家に帰したくないがために、あの人は全力でアリスを大切にするだろう。

一見軽やかに見えるあの公爵が、どれほどアリスを想っているかを俺は知っている。


(・・・・・・あんなに焦る公爵を、初めて見た)

いつも飄々としているウィンダム公爵。

物事をどこか遠くから、冷めた目で眺めているような人だった。


そんな彼がアリスが行方不明になったときは、血眼になって探していた。

自分の身も顧みず、怪我を負いながらもアリスを救い出した。


あの姿を見て、この人にならアリスを任せられると信じることができた。

何より、アリスが初めて俺たち以外に目を向けていた。

きっと、父も母も同じように感じていたはずだ。


それでも、気持ちは別なのだろう。

大事に慈しんできたアリスが嫁にいくというのは、やはり寂しいものだ。


「お二人とも、疲れたでしょう?今夜は早くお休みください」

「ああ、わかったよ」


どこか力が抜けた返事を背に、俺はその場を後にした。

もしこれがアリスだったら、両親の気持ちを察して、くだらない話にでも付き合っていただろう。

だからこそ、あの二人はアリスが可愛くて仕方がなかったのだ。


そっとアトリエの扉を開ける。

独特の油の匂いが、ふわりと鼻をついた。

換気をしても、この匂いだけは部屋に染みついて離れない。


けれど、この匂いこそがアリスがここにいた証明のような気がした。

俺はゆっくりと椅子に腰を下ろす。


(・・・・・・よかったな、アリス)

アリスと出会ったのは、十年前のことだ。

父に、駆け落ちをして行方のわからなくなった妹がいることは知っていた。

けれど、それはもう昔の話で、自分には関係ないことだと思っていた。


ーーあの日に手紙が届くまでは。


よれよれの封筒を握りしめ、父が歓喜に震えたのは12月半ばの頃だった。

外では、雪が舞っていた。


『マヤから連絡が来た!』


そう言って泣いて喜ぶ父を、俺はどこか冷めた目で見ていたことは覚えている。

母は父の気持ちがわかるのか、涙を滲ませながら父に寄り添っていた。


『今すぐに!・・・いや、折角だから、みんなで会いに行こうか!?』

『そうですね。でもチャールズは、まだ学校がありますよ』

『ああ、そうだな。じゃあクリスマスに会いに行こう!』

『いいですね!みんなで楽しくクリスマスを過ごしましょう!』


『よし、じゃあ準備をしないとな!』

『ええ!マヤ様は、お子様がいらっしゃるのでしょう?プレゼントを用意しますね』


母はそう言って、子どもが喜びそうな物をすぐに買いに行った。

ついでに、きっと暮らし向きも大変だろうからと、あれこれ買い揃えていた。

喜びの再会を信じて、俺たちは遠くの村まで向かった。


朝早く家を出たのに、着いたときはもう夕方近くになっていた。

正直疲れていたが、妹との再会に胸を高鳴らせている父を見れば、何も言えなかった。


そしてーー


『メリークリスマス!』


扉を開けてくれた少女に、サンタクロースのように大きな袋を掲げて、父は満面の笑みでそう告げた。

嬉しさを隠しきれない父に、母と顔を見合わせて微笑んだ。


『君がアリスだね?マヤによく似ているね』

『あの・・・』

『ああ。おじさんは、君のお母様のお兄さんなんだよ。今日来るって聞いていないかい?』


そのとき、アリスは少しだけ困ったよう眉を下げた。

まるで大人のようだと、妙に記憶に残った。


『・・・・・・申し訳ありません。母は、亡くなりました』


あのときの、父の顔。

天国から地獄へと突き落とされる、とは、ああいうことを言うのだろう。

案内されるままに奥へ進み、父は、棺を前に崩れるようにその場に座り込んだ。


そして、声を上げて泣いた。

ただひたすらに、男泣きに泣き続けた。

その日、父は妹を二度失ったのだ。


『私が縁談を勧めたから・・・』

『もっと早く会いに来ていれば』

『無理にでも探していれば』

『もっと、もっと、もっと・・・!』


父の口から、後悔の言葉が次々とこぼれ落ちる。

葬儀のために集まった村の大人たちも、そんな父の様子を沈痛な面持ちで見つめていた。

俺も、父が可哀想でならなかった。


だから、気づいていなかったのだ。

この場で一番深い悲しみの中にいたのが、誰だったのか。


『ごめんなさい。・・・私のせいで』


か細い声だった。

父が振り向くと、まだ8歳のアリスがそっとハンカチを差し出していた。

多分悲しみが深すぎて、泣くことさえできなかったのだろう。


その姿に、父もはっとしたように顔を上げた。

そして、慌ててアリスを抱きしめた。


『君のせいじゃないよ』

『ううん、私のせいなの。ごめんなさい』


小さな手は父の服を掴むことなく、ただぶらりと垂れていた。

なぜだか、それが死人のように見えて怖かった。


『ごめんなさい』


アリスは、ただひたすらに自分を責め続けていた。

叔母たちが亡くなったのは、暖炉の火を焚きすぎたことによる不幸な事故だった。


そのとき、アリスは外に出ていた。

ほんの少しの間、家を離れていただけで助かったのだ。


だからこそ、アリスは思い込んでしまったのだろう。

自分が家に残っていれば、両親は死ななかったのではないか、と。


ーーそれに、周りの大人たちの反応。


『みんながアリスに聞いたんだ。「何か見ていなかったか」って』


アリスの仲良しだという子どもが、俺にぽつりと漏らした。

不審な死。

事故か事件かわからなければ、当たり前に聞く質問。


だが、きっとそれもアリスの心を追い詰めたのかしれない。

自分が見ていれば、気づいていれば、結果は違ったのかもしれないと思ったのだろう。

誰のせいでもないはずなのに、彼女だけが自分を責め続けていた。



(・・・・・・アリスの心の動きは、絵に現れるよな)

アトリエの隅に置かれた、昔の絵に目を遣る。


引き取られた当初から、アリスはずっと絵を描いていた。

父親の才能を受け継いだのか、あるいは手ほどきを受けていたのかはわからない。

ただ、子どもとは思えないほど、驚くほど上手かった。


けれど絵はどれも暗く、寂しく、どこか胸を締めつけるようなものだった。


霧に覆われた中に立つ教会。

草の枯れた丘に佇む古びた小屋。

地平線に沈む夕暮れの中に、ぽつんと立つ一本の木。


どの絵にも人の姿はない。

あったとしても、遠くに小さく描かれているだけだ。


(・・・・・・アリスは、手のかからない子どもだったな)

我儘ひとつ言わず、いつも穏やかに微笑んでいた。

母親から教育を受けていたのか、貴族の子女としての素養もすでに身についていた。


ただ一つ。


本人も気づいていないだろうが、時折、不意に眠りに落ちることがあった。

医師によれば、精神的なものだという。

心に負担がかかると、脳がそれ以上を拒む防御反応のようなものだと。

治すことはできない、とも言われた。


だからこそ母たちは、そんなアリスをいっそう不憫に思い、可愛がった。

そして可愛がれば可愛がるほど、アリスが突然眠り込むことは、少なくなっていった。

それが何より嬉しかった。


このまま、この家でずっと暮らせばいい。

誰もがそう思っていた。


だが、適齢期を迎えた頃から、アリスは焦り始めた。

このまま世話になり続けるわけにはいかないーーそう思ったのだろう。


積極的に外の仕事を引き受け、何とか自立しようとしていた。

父たちはそんなアリスを嬉しさ半分、心配半分で見守っていた。


そして俺は、そんなアリスの背中を押すために、社交の場へと連れ出した。


(・・・・・・連れて行って、良かったな)

ウィンダム公爵と出会ってから、アリスの絵は目に見えて変わっていった。


暗かった色彩は、柔らかく、明るいものへと移ろい始めた。

鈍い青は、透き通る水色へ。

濁っていた緑は、春の息吹を感じる若草色へ。

雲が流れ出し、空を渡る鳥が描かれるようになった。


何より、絵の中の人物が動き出した。

これまで小さく背を向けていた人物は、やがてこちらを向き、柔らかな眼差しを宿すようになった。

光を纏い、輝き始めた。


アリスが描いたウィンダム公爵の肖像画を見つめる。


一度は死の影をまとっていたその姿を、アリスは一晩で書き換えた。


口元に笑みを浮かべているウィンダム公爵。

その澄んだ灰青色の瞳はまっすぐでありながら、決して鋭すぎない。

決して力んでいないのに、揺るがない芯があるのがわかる。


どこか軽やかさのあった彼の面影は、この絵にはない。

強い対比は用いられていないのに、画面には溶け合うような光が満ちていた。


アリスの目は確かだ。

きっとこの絵にこそ、彼の本質が描かれているのだろう。


「いつか、ウィンダム公爵にもこの絵を見せよう」


彼はどんな顔をするのか。

そして、その隣にいるアリスがどんな表情を浮かべるかと思うと、自然と笑みがこぼれた。



お読みいただきありがとうございます。


次話はアリスとルーク視点になります。

ラストまであと2話になりました。

よかったら最後までお付き合いください。

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