49 真実の行き着く先
「メアリー様、失礼します」
「あら、今日はいつもの男性じゃないのね」
「ええ。女性同士のほうが分かり合えると思いまして」
扉を開けて入ってきたのは、美しく儚げな若い女だった。
整えられた髪。丁寧に施された化粧。
その隙のない美しさに、思わず息が詰まる。
視線を落とすと、彼女の手には盆があった。
そこには、香りのよい化粧石鹸やいくつかの化粧品が並べられている。
ーー久しく、目にしていなかったものだ。
「もしかして、それ・・・私への差し入れかしら?」
自分でも驚くほど、声が柔らかくなる。
貴族という身分への配慮か、それとも「参考人」としての扱いか。
私は牢ではなく、小さいながらも部屋の一室を与えられていた。
けれど、化粧品も香油もない生活は、思っていた以上に心を削る。
窓に映る私の姿は醜くて、目を逸らしたくなる。
「ありがとう」
そう言って手を伸ばすと、すっと、盆が遠ざけられた。
「・・・・・・え?」
「差し上げるのは、お話を聞かせていただいてからです」
思わず顔を上げると、女は柔らかな笑みを浮かべていた。
(・・・嫌な女ね)
私も同類だからわかる。
一見柔らかに見える女ほど、腹は黒い。
「・・・・・・ずいぶん意地悪なのね」
「これは私が個人的に用意したものですから。あなたに非難される覚えはありませんよ」
その『個人的に』という一言が、胸を刺す。
脳裏に浮かぶのは、一人の顔。
亡くなった姉の代わりに可愛がっていた甥、ジュリアン。
幼い頃から慈しんできたジュリアンから、一切連絡はなかった。
「それなら要らないわ。何を貰おうと、私は一切話しませんから」
「そうですか」
女は拍子抜けするほど、あっけなく頷いた。
その反応に安堵するはずなのに、なぜか視線を外せない。
目元にある小さなほくろが、不思議なほど強く印象に残ったからだろうか。
名残を惜しむように、思わず彼女を見つめてしまう。
「お話を聞かせてもらえなくても構いませんよ。ただ、そうなると貴女は素顔のままで裁判に臨み、そのまま処刑場へ向かうことになりますけどね」
「・・・・・・え?」
思わず声が漏れた。
一体どういうことだろう。
「万が一の際は、証拠隠滅のため屋敷を燃やせ。・・・そう指示されていたそうですね」
「さぁ、私に言われてもわからないわ。何のことかしら?」
「証拠があるんですよ」
(・・・・・・ちっ!)
思わず、歯の奥で音が鳴る。
ロドリックには、万が一のときには石炭庫に火をつけろと念を押していた。
その程度のことすらできなかったのかと思うと、苛立ちが胸の奥で燻ぶる。
「火をつけたのは、マイクという若い男性ですけどね。従属的な立場にあった者のようですが、ご存知ですか?」
(・・・・・・あの大男、マイクという名だったのね)
「エリス」の正体を探らせるため、画廊に張り込ませていた男だ。
絵を抱えたアリスに見惚れ、ぼんやりと立ち尽くしていた。
ハンカチを差し出すふりをしながら足を踏んでやると、ようやく自分の役割を思い出していた。
やはり、使えない人間だった。
「アリス様を助けに来た者に昏倒されたんです。でも、気づいたあと、屋敷に火を放って逃げたそうです」
「・・・へぇ、そうなの」
(・・・大丈夫。このまま口をつぐんでいればいいわ)
決定的な証拠など、あるはずがない。
知らぬ存ぜぬを貫けば、証拠不十分で釈放される。
「もう捕まりましたけどね」
「・・・そう。でも、私には関係ないことだわ」
そのマイクという男と私は面識がない。
私を罪に問うことなどできないはずだ。
私は「エリス」という名の画家が、アリスだと知っていただけだ。
言い訳は、なんとでもできる。
別荘についても同じ。
悪党どもが勝手に使っていただけ。
私は、何も知らない。
それで通る。
通してみせる。
女は、ふっと目を細めた。
その笑みは、まるでこちらの考えをすべて見透かしているかのようで、ぞっとした。
「火事の中、アリス様は助け出されて無事です。偽札作りをさせられていたと証言しています」
(・・・・・・無事)
華奢で可愛らしいアリスの顔が目に浮かび、胸の奥に黒い感情が広がる。
ロドリックは、アリスを殺す余裕すらなかったのだろうか。
せめて屋敷と一緒に燃え落ちてしまえばよかったのに。
「そう。助かってよかったわね」
「それから、貴女が雇っていた偽札作りの実行犯、ロドリックは捕まりました」
「・・・・・・っ」
一瞬、息が詰まる。
「あなたからの指示だったと、詳細に語っています」
「・・・・・・そんな、まさか」
驚きのあまり、声がわずかに漏れてしまった。
ロドリックとは長い付き合いだ。
裏切らないよう、金も十分すぎるほど渡していた。
あれだけ与えていれば、口を割る口実などないはずだ。
「ずいぶんと驚いていらっしゃいますね。お金で人の気持ちを繋ぎとめるのは、無意味ですよ」
その言葉に、胸が軋む。
若く美しいこの女にはわからないのだろう。
金で繋ぎとめられるものも、この世には確かにあるのだ。
美貌という武器を持たぬ者にとって、金を使うことは決して無意味ではない。
「お金があっても、命は買えませんから」
「・・・・・・命?」
「偽札作りは国家に対する犯罪です。当然、死刑です」
思ってもいなかった言葉に、背筋が凍る。
私は、処刑されてしまうのだろうか。
「どうして・・・私を巻き添えにするの?」
思わず言葉がこぼれた。
ロドリックは、今まで散々美味しい蜜を吸ってきたはずだ。
どうせ死ぬなら、罪くらい一人で抱えて死ねばいい。
「司法取引って、ご存じですか?」
「・・・何、それは?」
「証言と引き換えに、刑を軽くする制度です。だからロドリックは、実に素直にすべてを語っていますよ」
軽い調子で、刃のような言葉が差し込まれる。
何が楽しいのか、女はにっこりと笑ってみせた。
「・・・まあ、口約束ですけどね」
小さく付け加えられた言葉。
だが、そんなことはどうでもいい。
問題はそこではない。
ロドリックが私のことを話したということは、もう私の運命は決まったようなものだ。
胸の奥が、どくどくと不快に脈打つ。
あいつには、私のことは話すなと厳命していたのに。
知らずに、握りしめた拳がぶるぶると震える。
「そう残念がらないでください。あなたに忠実な部下もいましたよ」
「え?」
「メイドのホリーです。あなたがいつまでも帰ってこないから、わざわざノースヘイブンまで出向いて、あなたの現状を伝えたそうです」
(・・・そんなことホリーに頼んでないわよ!?)
思わず顔が強張る。
私が幼い頃から世話してくれたホリー。
控えめな態度が好ましく、結婚するときに一緒に連れてきたメイドだった。
「彼女、あなたのやっていることに、薄々気づいていたみたいですね」
「・・・・・・っ」
「証拠がなければあなたが釈放される、とでも思ったのでしょう。自分が後をつけられているとも知らずにね」
「余計なことを・・・!」
「そんなに怒らないであげてください。彼女は足が悪いのに、待合馬車を乗り継いで行ったんですよ」
女の余裕を持った笑みに腹が立ち、睨みつける。
この女は、明らかに私を追い詰めて楽しんでいる。
「でも、これでもう逃げられませんよ」
ゆっくりと距離を詰め、女は私の顔すれすれまで近づくと囁くように言った。
「あなたの行き着く未来は、ひとつです」
「未来って・・・」
「死刑」
その言葉が、胸に重く落ちた。
まさか自分がこんな立場になるとは、思いもしなかった。
(・・・・・・どこで間違えたのかしら)
どうして、あんな余計なことまで口にしてしまったのだろう。
公爵家の当主が私に気を遣い、阿るような態度を見せたことが嬉しかったからだろうか。
それとも、すべてが思い通りに進んでいることに浮足立っていたからか。
「ですが、選ぶことはできますよ」
「・・・・・・選ぶ?」
「群衆の前で見世物のように処刑されるか。それとも、監獄の中でひっそりと終わるか」
どちらにしても「死」だ。
ただ、その見せ方が違うだけ。
「伯爵夫人が、重罪で公開処刑。大衆は大喜びでしょうね。あなたがどんな顔で最期を迎えるのか、見に来るでしょう」
(・・・そんなの、絶対に嫌よ!)
想像しただけで、背筋が粟立った。
ざわめく群衆。
好奇の目。嘲笑。
そんなもの、耐えられるはずがない。
私は、選ばれた側の人間だ。
見下される側ではない。
どんなときでも、気高く、美しくあるべき存在なのだ。
醜態を晒すなどありえない。
「・・・・・・・・・条件は?」
気づけば、声に出していた。
その瞬間、女の笑みがはっきりと形を持った。
「私に、動機を教えてくれませんか?」
「・・・・・・もう、ロドリックがすべて話したのでしょう?必要ないじゃない」
「今回の件ではなく、もう一つの事件です」
胸が、鋭い刃物で刺されたように痛む。
もしかして、その件もわかっているのだろうか。
「十年前。偽札作りに協力した画家を、あなたは殺させましたね」
「・・・知らないわ」
「その件についても、ロドリックは自供しています。あなたに依頼された、と」
おそらく証拠も揃えているのだろう。
女の目は、確信を持って私を見つめていた。
「どうして画家を殺すだけじゃ飽き足らず、その家族まで殺すよう指示を出したのですか?」
「動機なんて、どうでもいいじゃない」
「だって気になるんですもの」
「え?」
「どうしたらそんな心理になるのか。興味深くて」
(・・・・・・なんて傲慢なの!)
人の人生を、罪を、すべて「興味」で測るなんて。
この女にとって、私の人生など娯楽の一部に過ぎないのだろうか。
思わず鋭く睨みつける。
けれど女はまるで気にも留めず、微笑んだまま視線を盆に落とした。
香り立つ石鹸。整えられた化粧品。
欲しければ、話せということだろうか。
(・・・くだらない)
けれど、他人に素顔を晒すのは死ぬより嫌だった。
私は、気高く美しい貴婦人であり続けたい。
「・・・・・・・・あなた『パリスの審判』に出てくる三女神は、誰がお好き?」
お読みいただきありがとうございます。
「42 選ぶ者は誰か」に登場するメイドの名前に誤りがあり、2026年5月1日にホリーへ修正いたしました。
下書きの段階の名前がそのまま残ってしまっていたようです。
今後はこのようなことがないよう気をつけてまいりますので、どうかご了承いただけますと幸いです。
日本でも2018年に、いわゆる司法取引にあたる制度が導入されました。
ただし、殺人や傷害などの暴力的な犯罪は対象外とされているそうです。(2026年4月現在)




