48 星降る夜に、恋を知る
(・・・ルーク様は、大丈夫かしら)
薄暗い病院の廊下で、つい自分の手を握りしめてしまう。
担架に乗せられたルーク様は、そのまま気を失っていた。
安心して気が緩んだからだとアーサー様は言うが、医者の判断を聞くまでは、とても気を抜く気にはなれなかった。
義母が、労わるように包帯を巻かれた私の手をそっと包み込む。
「アリスちゃん、手は痛くない?」
「はい、大丈夫です」
「喉の調子はどうだ?」
「お義兄様、先ほどお医者様にも大丈夫だと言われたし、心配ないですよ」
本当は手は傷だらけだったし、喉も痛かった。
でも、それよりもルーク様が心配で、彼のいる部屋の扉ばかり見つめてしまう。
不意に部屋の扉が開き、アーサー様が顔を出した。
彼の顔は穏やかだったが、心配で気がおかしくなりそうだった。
「アリス嬢、ルークが目を覚ましたよ」
義兄が「行っておいで」と優しく背中を押してくれる。
不安になって振り返れば、大丈夫だと言うように義父と義母が頷いた。
扉を開けると、ベッドにはルーク様が横たわっていた。
シャツは脱がされ、腹部に布を押し当てられている。
消毒でもしているのだろうか。
布が触れるたびに、ルーク様の体がびくりと跳ねた。
「・・・・・っ!」
「我慢してください。化膿すると、もっと面倒ですからね」
医者は淡々と告げるが、その様子を見ているだけで痛みが伝わってくる。
歯を食いしばりながら痛みに耐えるルーク様に、思わず目をそらしてしまう。
絵を描くためなら死体を見ることさえ厭わないと思っていたのに、なぜだか見ていられなかった。
「・・・ルーク様は、大丈夫ですか?」
自分でも、驚くほどか細い声だった。
喉がうまく開かない。
自分が誘拐されたときよりも、今の方がずっと怖い。
「大丈夫ですよ」
医者は包帯を巻きながら、落ち着いた声で言った。
「弾はかすっただけです。出血は多いですが、命に別状はありません」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に張り詰めていたものが一気に崩れた。
思わずよろけそうになり、エレノア様が支えてくれた。
「本当に・・・?」
「ええ、ただし、しばらく安静ですね」
「しばらくとは?」
「最低でも三日は絶対安静です。動けば、すぐに傷が開きます」
(・・・・・・三日)
短いようで、長い。
あれだけの出血だったのだ。
当然だと頭ではわかっているが、ルーク様の痛みを想像すると胸が痛んだ。
ーー代われるものなら、私が代わってあげたい。
「では、お大事に」
医者が一礼して扉を閉めるのと同時に、ルーク様はゆっくりと上体を起こした。
眉を顰めながら、うんざりした声を出す。
「三日だなんて、長すぎるだろ」
「ルーク様・・・」
「俺、寝てるだけって、退屈だから嫌なんだよね」
「黙れ」
アーサー様の低く、鋭い声が落ちた。
今まで聞いたことのない怒りを押し殺したような声に、思わず背筋が震える。
「三日どころか、完治するまでずっと寝てろ」
「ずっと!?」
「当たり前だ。どれだけ心配かけたと思っている」
ルーク様が、露骨に顔を顰める。
だが、アーサー様は腕を組んだまま一歩も引かない。
「そうですよ、お兄様。それに傷が開いては元も子もありませんよ」
「でもさぁ、早くあいつらを処刑台送りにしないと・・・」
「動いても構いませんけど、お兄様の『聞かれたくない話』をアリス様に全部お話ししますよ」
ぎょっとしたようにルーク様が顔を向けると、エレノア様がにやりと笑った。
「婚約者のアリス様に、幻滅されたくないですよね?」
「ちょ、ちょっと待て。エレノア!」
「ああ、それはいいな。私もルークの恥ずかしい話なら山ほど知っている」
「アーサーまで、何を言ってるんだ!」
慌てふためくルーク様をよそに、私は「婚約者」の方が気になって仕方がない。
気づけば周囲は、私が了承した前提で話を進めている気がする。
「あの・・・」
「アリスちゃん、俺、格好悪いとこなんて何もないからね?」
「いえ、別に気にしませんが」
格好悪くても構わない。
むしろ格好よくあろうと必死になっているルーク様が、私は好きなのだ。
だが、その言葉をどう受け取ったのか、ルーク様はこの世の終わりみたいな顔をした。
その途端、エレノア様とアーサー様が顔を見合わせ、吹き出す。
「ふふっ、お兄様ったら!」
「安心しろ、ルーク。お前はちゃんと好かれている」
「本当にそう思う?」
「ああ。私の見立てに間違いはない」
ぽん、と肩を叩かれたルーク様が、確認するように私に目を向けた。
目が合った瞬間、急に恥ずかしくなってぱっと視線を逸らした。
「あら、アリス様。もしかして照れてます?」
「て、照れてません!」
「しかし驚いたな。アリス嬢もそんな顔をするんだな」
「そんな顔って、どんな顔ですか!?」
思わず両手で、隠すように頬を押さえてしまう。
いったい私は今、どんな顔をしているのだろう。
「あ、アーサー見るな!そんなアリスちゃんを見ていいのは、俺だけなんだよ!」
「お兄様、独占欲の強い男性は嫌われますよ?」
「そうなのか!?」
「アーサーは今、関係ないだろ」
「まあ、でも私は独占欲強めだけど、ちゃんと自由にさせてくれる男性が好みですけどね」
「なんだそれ!?矛盾してないか?」
「大事なのは、匙加減ですよ」
「エレノア嬢。できれば数値で説明してくれないか?」
それぞれが好き勝手に話し始め、部屋はもう収拾がつかなくなっていた。
気づけば、いつもの騒がしくて温かな空気が戻ってきていた。
そのとき、控えめなノックの音が、コンコン、と室内に響いた。
「失礼する」
遠慮がちに入ってきたのは、義兄だ。
きっと騒ぐ声が聞こえ、もう入っても大丈夫だと判断したのだろう。
ルーク様たちに会釈し、それから私に向き直る。
義兄の顔を見て、思わずはっと息をのむ。
(・・・・・・ごめんなさい、お義兄様)
先ほどまでルーク様のケガのことばかり頭にあり、気づかなかった。
落ち着いて明るい部屋で見ると、その顔はひどくやつれている。
ここ数日、ろくに眠っていなかったのだろう。
どれだけ心配をかけたのかと思うと、胸がずきりと痛んだ。
「アリス。ルーク様の状態もわかったことだし・・・今日はもう帰ろう」
「はい、お義兄様。お待たせしてすみません」
廊下で待っている義父たちも、きっと疲れていることだろう。
ルーク様たちに挨拶をして、部屋を出る。
扉が閉まる直前にもう一度だけ振り返ると、なぜか柔らかく微笑むルーク様と目が合った。
思わず頬が熱くなり、慌てて義父たちのもとへと駆け寄る。
「アリス。もう遅いし、今日は宿へ泊まろう」
「今から行って空いてるでしょうか?」
「大丈夫だ。私たちのために、アーサー様が近くの宿を取ってくれたそうだ」
「そうなんですね。ありがたいです」
「ああ。だから今日は、ゆっくり休みなさい」
義父たちと一緒に外へ出る。
夜も更けているというのに、病院の前にはアーサー様が手配してくれた馬車が待っていた。
早く馬車に乗り込めばいいのに、つい足を止めてしまう。
(・・・・・・夜風が気持ちいい)
大きく息を吸い込む。
こんなにも空気が美味しいと感じたのは、初めてかもしれない。
「寒くないか、アリス?」
「ありがとうございます、お義父様」
義父が肩に掛けてくれた上着を、胸元でそっと合わせる。
義兄が何気なく空を見上げ、それを合図にしたように皆も星空へ目を向けた。
見上げれば、夜空いっぱいに星が広がっていた。
零れ落ちそうなほどの光。
今まで見たどんな星空よりも美しく、瞬きするのさえ惜しいと感じた。
「・・・綺麗な空ですね」
「ああ、そうだな」
「子どもの頃は、こうやってよく夜空を眺めていたものだ」
義父が、懐かしそうに目を細める。
一緒に星を眺めていた相手は、母だったのだろうか。
(・・・お母様たちを殺した犯人が捕まりましたよ)
胸の中でそう母たちに語りかけても、心は晴れなかった。
たとえロドリックが死刑になろうとも、母たちはもう戻らない。
貧しくても、三人で笑い合ったあの日々はもう二度と帰ってこないのだ。
(・・・・・・お母様、ごめんなさい)
恋に生きた母のことを、ほんの少し軽蔑していた。
正直、今でも共感できない部分はたくさんある。
それでも、こんなにも誰かを大切に思えるこの感情は、決して馬鹿にしていいものではなかった。
胸に芽生えたこの想いを、母に聞いてもらいたかった。
ルーク様を想う気持ちが、こんなにも愛おしいものだとは思わなかった。
「アリス、そろそろ行こうか」
義兄が、気遣うようにそっと背中を押す。
その手の温もりが、自分は生きているのだと実感させてくれた。
生きていれば。
生きていればこそ、想いは伝えられる。
死を間近に感じた今なら、何も怖くないような気がした。
不思議と、新しい一歩を踏み出せる気がする。
馬車へと足を進めようとすると、義父がそっと呼び止める。
「チャールズ、もう少しだけ待ってくれ」
「え?」
「アリスが無事に戻ってくるよう、星に願いを託していたんだ。礼を言わせてくれ」
義父は胸の前で両手を組み、祈るように目を閉じて小さく言葉を紡いでいる。
もう一度夜空を見上げれば、まるで誰かの願いを乗せるように、一筋の流星が音もなく駆け抜けていった。
お読みいただきありがとうございます。
18世紀はまだ抗生物質がない時代だったため、感染症はとても恐ろしいものでした。
助かるかどうかは、感染や出血の状況次第だったそうです。
こうして調べるたびに、現代日本に生まれて本当によかったなぁと感じます。
次話はメアリー視点になります。




