47 迎え
(・・・・・・今まで、あの中にいたの?)
そう思った途端、今さらのように全身が震え始めた。
自分の体を抱きしめようとして、ふと隣にあるはずのルーク様の気配がないことに気づく。
「ルーク様!」
はっと振り向けば、ルーク様は腹部をかばうようにして地面に倒れ込んでいた。
「しっかりしてください、ルーク様!」
駆け寄って呼びかけてるが、返事はない。
一気に血の気が引いていく。
ぞわりと冷たいものが背中を走った。
「ルーク様!!」
思わず肩を揺さぶろうと手を伸ばしたそのときだった。
ーーぐっと、手首を掴まれる。
驚いて息を呑む。
そんなにも傷は深いのだろうか。
ルーク様の濡れたような瞳に見つめられ、胸の奥がざわつく。
「・・・・・・アリスちゃん、見直した?」
「え?」
「俺のこと、少しは格好いいと思ってくれた?」
「はぁ?」
にやりと笑うその胸を、思わず叩く。
「痛っ!」
「冗談言ってる場合ですか!」
「いやいや。俺、結構頑張ったよ?すごくない?」
ルーク様はそう言いながら、ゆっくりと上体を起こそうとする。
だが途中で顔を顰め、そのまま力が抜けるように再び倒れ込む。
「あー、やっぱり痛い」
「当たり前です!撃たれたんですよ!!早く医者に診せないと!!!」
思わず声が大きくなる。
ルーク様はそんな私を見上げ、くすくすと悪戯っぽく笑った。
「ははっ。大丈夫だよ。びっくりさせてごめんね。ちょっと揶揄いたくなったんだよね」
地面に寝転んだまま、いつもの調子で軽口を叩く。
だけど笑っている唇は白く、呼吸もどこか浅い。
(・・・・・・本当に、大丈夫なのかしら?)
もう血は止まったのだろうか。
そっと腹部へ視線を落とすと、それに気づいたのか、ルーク様は何でもないふうに上着のボタンを留めた。
「アリスちゃんが引っ張ってくれたおかげで、命拾いしたな」
そう言って、燃え上がる屋敷へと視線を送る。
炎は黒煙を吐き上げながら、夜空までも焦がしていた。
もう、何もかも灰になってしまうだろう。
ーーあの中にいたことが信じられない。
「・・・よく、ロドリックを担いでこようなんて思いましたね」
「そう?アリスちゃんに比べれば、こんなの無茶なうちに入らないよ」
(・・・いや、ルーク様のほうが無茶してるわよね!?)
言い返そうとして、言葉が止まる。
燃え盛る音に混じって、何か別の音が聞こえた気がした。
砂利を踏みしめる音。
怒号。
誰かが指示を飛ばす声。
振り向くと、炎に照らされた中を警官たちがせわしなく駆け回っていた。
「早く消火を!」
「住民に避難を呼びかけろ!」
火の粉が舞い、熱気が押し寄せる中で、短い怒号が飛び、誰かが走り出している。
ある者は革のバケツに入った水を持ち、ある者は隣家の塀を斧で壊し始めていた。
誰もが真剣に、自分の役割を果たそうとしていた。
その中に、見覚えのある姿があった。
「ルーク、無事か!」
ーーアーサー様だ。
「アリス、どこにいる!?」
「アリスちゃん、お願いだから出てきて!」
ーー義父と義母の声。
「アリス、返事をしろ!」
ーー義兄の声も重なる。
「お兄様!アリス様!」
ーーエレノア様もいる。
懐かしい声が、一度に押し寄せた。
その瞬間、視界が滲んできた。
帰ってきた。
本当にーーようやく帰れたのだ。
目元を乱暴に拭って立ち上がり、思いきり手を振った。
「ここです!」
煙を吸ったせいか、声が掠れて思うように出ない。
それでも、精一杯大きな声で叫ぶ。
こんなに声を張り上げて叫んだのは、いつぶりだろう。
「ここにいます!私もルーク様も無事です!」
ちぎれんばかりに手を振る。
ーー最初に気づいたのは義父だ。
私の名前を叫びながら、すごい勢いで駆け寄ってくる。
それに気づいたアーサー様たちが、一斉にこちらに向かって走り出した。
「ははっ。すごいや。みんなで迎えにきたね」
ルーク様が小さく笑い、立ち上がる。
そして、アーサー様たちに呼びかけるように手を振った。
必死で走っているのに、すぐにアーサー様に抜かされる義父。
足がもつれ、倒れそうになる義母を支えながら向かってくる義兄。
涙で顔がくしゃくしゃになっているエレノア様。
ーー大事な、大事な、私のかけがえのない人たち。
「アリス!」
涙で前が滲み、視界が完全にぼやけた瞬間に、義父に駆けてきた勢いのまま強く抱きしめられる。
あまりの衝撃に、一瞬くらりと眩暈がした。
「・・・・・・・!」
「よかった」
義父の腕は、小刻みに震えている。
もう離すまいとするように強く抱きしめられ、痛いほどだった。
「本当によかった・・・」
胸の奥で張り詰めていたものが、一気に崩れ落ちる。
義父の背中に手を回し、服をぎゅっと握った。
涙が、止まらなかった。
「・・・・・・・・・ただいま」
ようやく絞り出した声に、父が何度も頷く。
肩に、はらはらと熱い雫が落ちてくる。
「もうどこにも行くな」
低く震える声に、大きく頷く。
私の居場所。大切な居場所。
命に代えても守りたい、大切な人たちがいる場所。
「アリスちゃん!」
「アリス!」
顔を上げれば、遅れて駆けつけてきた義母と義兄の姿があった。
次の瞬間、三人にぎゅっと抱きしめられる。
苦しいくらいに強い力だったが、その痛みさえも愛おしかった。
「無事で・・・無事でいてくれて、本当によかった・・・!」
「心配したんだぞ・・・!」
「うっ、お義母様、お義兄様・・・!」
涙と鼻水が、止まらない。
声にならない声が、喉の奥から溢れ出る。
自分でも制御できないまま、ただ途切れ途切れにこぼれていく。
「よかったね、アリスちゃん」
「アリス様、本当に・・・」
柔らかなルーク様の声と、涙混じりのエレノア様の声が届いたーーその時だった。
隣で、ぐらりと影が揺れた。
「・・・・・・あ」
ルーク様の体が、前のめりに傾く。
慌ててアーサー様が、ルーク様の腕を掴む。
「ルーク!」
「おっと・・・」
いつもの軽い声だったが、力が抜けたようにアーサー様の腕の中に倒れ込む。
「ルーク様!?」
顔色が真っ青だ。
さっきは無理して立っていただけだったのだろう。
「誰か、医者を!」
アーサー様の怒鳴り声が響き、警官たちが一斉に動く。
そっと地面に寝かされたルーク様の上着を開げ、アーサー様が思いきり顔を顰めた。
「無茶ばかりしやがって。先にケガを申告しろ」
「だって、感動の再会を邪魔しちゃ悪いし」
「馬鹿か、お前は」
「いやいや、ここは格好つけないとね」
「あとで説教だからな。覚えておけ」
「えー・・・、だって、婚約者の前では格好つけたかったんだよ」
「・・・婚約者?」
思わず眉を顰めたアーサー様に、ルーク様は嬉しそうに微笑んだ。
「俺、アリスちゃんと結婚するんだ」
「え?」
「この場を脱出できたら、結婚するって言ったよね?」
ルーク様が悪戯っぽく私を見た瞬間、周りの視線が一斉に突き刺さった。
エレノア様とアーサー様が、瞬きひとつせずに私を凝視している。
義父たちに至っては、まるで目の前に雷でも落ちたのかという顔だ。
どう反応すればいいかわからず、額から汗が流れ出してくる。
「あ、あれは、その、勢いと言いますか・・・!」
「ひどいなぁ。俺、本気だったんだけど」
「ほ、ほ、ほ、本気って・・・」
顔に一気に熱が集まってくる。
だがしっかり承諾したし、なんなら結婚前提で励ましていたような気がする。
「どこにも行かないって言ったのに・・・」
義父の小さな呟きを吹き飛ばす勢いで、警官たちが担架と医者らしき人物を連れて駆け込んできた。
「お待たせしました!」
「ありがとう。でも俺もだけど、隣で転がっているのも結構重症だよ」
ルーク様が、軽く指先でロドリックを示す。
それを見て、アーサー様は腕を組み忌々しげに頷いた。
「わかっている。だが、お前が先だ」
「はいはい。アーサーも怖いことだし、素直に従うよ」
そう言いながら、ルーク様は担架に乗せられる。
そのまま、こちらを気遣うように微笑んだ。
「アリスちゃんも、一緒に診てもらって」
「はい。・・・でも、私は大丈夫です。怪我はありませんから」
「・・・そう。よかった」
安堵したように、ルーク様は目をそっと閉じた。
胸がひやりと冷え、思わずその手を取った。
冷たいわけではない。
けれど力の抜けたその手は、ひどく頼りなかった。
「・・・・・・そばにいます」
小さく呟き、励ますようにその手を握りしめた。
そのまま担架の傍らに寄り添い、ついていく。
背後では、燃え上がる屋敷の崩れ落ちる音が響いた。
けれど、そんなものはどうでもよかった。
ただひたすらに繋いだ手と、血の気を失ったルーク様の顔だけを見つめていた。
お読みいただきありがとうございました。
火事の際は、煙は上に溜まりやすいため、姿勢を低くして移動すると良いそうです。
また、一度逃げたら無理に戻らないことも重要だと言われています。




