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恋を描けない伯爵令嬢 ーその絵は嘘をつかない  作者: 夏つばき


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45 三つ目の貸し


(・・・・・・今よ!)

これが最後のチャンスだ。

地窓に走り寄り、鉄格子を掴んで力の限り揺すぶった。

きし、と嫌な音が鳴り、震える金属の感触が手のひらに食い込む。



ーーポキッ


腐食が最も進んでいた一本が、あっけないほど簡単に外れた。


でも、これだけでは外に出られない。

さらに力を込める。

錆びた鉄が手のひらを削り、じわりと滲んだ痛みが遅れて脳を刺した。

それでも構わず鉄格子にしがみつき、何度も、何度も激しく揺さぶる。


(早く、早く、早く!!!)

鉄格子はぐらぐら揺れるが、それ以上は外せない。

このままじゃ、ロドリックが戻ってきてしまう。


(・・・・・・何か、何かないの!?)

目についた燭台を、ほとんど掴み取るように抱えた。

真鍮製の重さが、確かな手応えとして掌に沈む。


(・・・・・これを叩きつければいける!)

そう思い、思いきり叩きつけようとした瞬間


パン!


破裂音が響き、思わず耳を押さえてうずくまる。


(・・・・・・銃声?)

立ちあがろうとすると、続けてもう一度破裂音が聞こえた。


二発だ。

ルーク様は、拳銃はそんなに続けて撃てないと言っていた。


ということは、撃ったのは二人。

助けが来たのだろうか。

耳を澄ますが、上階からはもう物音ひとつ聞こえてこない。


(・・・いや、考えている時間はないわ!)

誰かはわからないが、足音が近づいてくる。

このままでは、鉄格子を外す前に見つかってしまう。


扉の横に身を寄せ、ポケットから彫刻刀を取り出した。


(・・・・・・扉が開いた瞬間、刺すわよ)

彫刻刀を握り直し、息を殺して扉の前で待つ。

緊張で、手がブルブルと震える。


扉が開いた瞬間、渾身の力で体当たりを仕掛けた。


だが、ロドリックは紙一重で身を引く。

空を切った勢いのまま、前のめりに体勢を崩した。


「おおっと、本当に油断ならないお嬢さんだな」


ロドリックは私の腕をつかむと、そのまま部屋の隅へ投げ飛ばした。

床に激しく叩きつけられる。

近くにあったワイン樽が倒れ、転がった。


「そのまま動くなよ」


ロドリックは拳銃を私に向けたまま、机へ歩いていく。


「俺は、これを取りにきただけさ」


机の上の紙。

私が描いた紙幣の原画をつかみ、懐に入れた。

拳銃を向けたまま、じりじりと後ろへ下がる。


そして扉の前まで来ると、ロドリックはにやりと口元を歪めた。


「じゃあな、可愛いお嬢さん」


そう言って、引き金に指をかけた。


ーーその瞬間


ロドリックの体がいきなり横へ倒れた。

同時に、銃声が響く。

古いワイン樽に弾が当たったのか、零れた中身が、鼻を刺す酸の匂いになって部屋に広がった。


「ルーク様!?」


飛びかかった勢いのまま、ルーク様の拳が振り下ろされる。

叩きつけられるような一撃に、ロドリックが呻いた。


しかし、すぐにロドリックも拳を繰り出す。

鈍い衝突音が響き、ルーク様の顔が弾かれた。

首が横に流れ、体勢が崩れかけた。


「っ・・・!」


喉の奥で息が潰れる音が漏れる。

それでもルーク様は、掴んだ襟元に指を食い込ませたまま無理やり体を引き戻し、渾身の拳を叩き込んだ。


ロドリックの頭がわずかに揺れる。

だがすぐさま返ってくる拳が、今度はルーク様の腹を抉った。


(なにか、なにか、なにか、なにか・・・!)

必死に視線を巡らせると、先ほどの燭台が床に転がっていた。

縋るように駆け寄り、それを掴む。


「ルーク様、避けてください!」


取り柄は、この思いきりのよさだけ。

全力で振りかぶり、ロドリックの頭へ叩きつけた。


ーーゴンッ!


鈍い音が響く。


ロドリックは白目を剥き、そのまま動かなくなった。


力が抜け、体ががくがくと震える。

その場に崩れ落ちるように、座り込んだ。


「し、死んだのかしら・・・?」


ルーク様はロドリックの喉元に目を落とし、荒い呼吸のまま息を整えた。

喉のわずかな動きを確かめるようにしてから、ゆっくりと顔を上げる。

そして気遣うように、私へ視線を向けた。


「・・・・・・いや、死んでないよ。それよりアリスちゃん、怪我はない?」

「は、はい。大丈夫で・・・」


言いかけて、私は思わず声を上げた。


「ルーク様、怪我してるじゃないですか!」


上着の隙間から覗くシャツの腹部が、赤黒く滲んでいる。

その色はじわじわと広がり、決して見過ごせないほど濃くなっていた。


さっきの弾は外れていたはずだ。

ということは一階で格闘していたときに、すでに撃たれていたのだろうか。


「ああ、これ?ちょっとヘマしちゃったみたい」

「ヘマって・・・」

「大丈夫。かすっただけだから」


慌ててハンカチを当てるが、すぐに布は重く湿り、赤黒く染まっていく。


(・・・こんなものじゃだめだわ!)

ドレスの縫い目に指をかけると、勢いよく引き裂いた。

布地が裂ける鋭い音が、やけに大きく響く。


「え、アリスちゃん。それ、君の大事なドレス・・・」

「何を言っているんですか。ルーク様以上に大事なものなんてありません!」


驚いて目を見開くルーク様の腹に、裂いた布を素早く折り重ねるように当て、そのまま強く縛りつける。

まさか、読み込んでいた医学書がこんな形で役に立つなんて、思いもしなかった。


「すみません。私のせいで」

「これくらい大丈夫さ。アリスちゃんが気にすることはないよ」


柔らかく微笑むルーク様だが、顔色が悪い。


「でも・・・」

「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」

「本当にごめんなさい。本当に、本当に・・・」

「気にしないでいいから」


気持ちを伝えたいのに、どう言葉を紡げばいいのかわからない。

自分のせいでルーク様に怪我をさせたという事実が、重くのしかかる。


「でも、これで『貸し三つ』だね。何でも言うことを聞いてもらうよ」


悪戯っぽく笑うその顔は、きっとわざとだ。

私に罪悪感を抱かせないための、ルーク様なりの優しさ。

その気遣いが、胸に沁みる。


「それより・・・俺のほうこそ、アリスちゃんを傷つけて、ごめん」


不意に、ルーク様の視線が落ちた。

これまで見たことのない沈痛な表情に、胸が鋭く痛む。


「俺、許してほしくて・・・絵を買ったんだ」


ルーク様の言葉に、唇を噛みしめながら首を振る。

悪いのは、話も聞かずに飛び出した私だ。


「・・・最低だよね」

「いいえ・・・私こそ、ひどい態度を取ってしまって・・・ごめんなさい」


ルーク様は微笑みを浮かべかけたが、次の瞬間にはふいっと顔を背けた。

そして、何かに耐えるように両手で顔を覆ったまま動かない。

肩が小さく震え、傷を庇うように息を整えている。


(・・・・・・だ、大丈夫かしら?)

かすかな嗚咽が漏れ聞こえ、胸騒ぎが広がっていく。

怪我が、思っている以上にひどいのかもしれない。


「あ、あの、ルーク様、怪我が・・・」

「ああ、ごめん、ごめん。そんな大したもんじゃないから、大丈夫」


そう言ってルーク様は目の端を指でこすり、柔らかく微笑んだ。

殴られたせいか、目元がわずかに赤くなっている。


「そうですか・・・?」

「うん。さあ、みんな心配してるし、帰ろう」


「帰ろう」という言葉に、胸の奥が温かくなる。

早く帰って、義父たちに会いたい。


でも、その前にルーク様だ。

医者に診てもらって、きちんと治療を受けてもらわなければならない。


「・・・・・・動けますか?」

「大丈夫だよ。アリスちゃんが手当してくれたからね」


そう言って、ルーク様は軽くウィンクをした。

いつもの軽い調子が戻ってきて、少しだけほっとする。


「でも、手を貸してくれたら嬉しいかな」

「わかりました」


ルーク様の腕を取り、肩に回してもらう。

思ったより重いが、支えきれないほどではない。


「一階にいた大男は気絶させたから。このまま上に上がろう」


扉を押し開け、階段へと足をかける。


一段、また一段と上がるたびに、ルーク様の体重がじわりと腕にのしかかってきた。

吐く息は荒く、間隔も短い。

傷が浅くないのだと思うと、心臓が嫌な音を立てて騒ぎ出した。


そのとき、鼻をつく焦げた匂いが漂ってきた。

子どもの頃に、よく嗅いだ。

春先の野焼きーー湿原を焼いたときの匂いに似ている。


背筋に、じわりと嫌な汗が滲む。


「・・・・・・何か燃えていませんか?」



お読みいただきありがとうございます。


拳銃自体は18世紀にも存在していましたが、当時はまだ単発式が主流でした。

現代のように何発も連続で撃てるわけではなく、一発撃つたびに火薬と弾を詰め直さなければなりません。

そのため、この時代の銃は「切り札」や「最後の一撃」のような扱いだったそうです。

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