44 静寂を破る足音
(・・・もう、夜だわ)
午前中ずっと、ロドリックは私の後ろで拳銃を突きつけながら見張っていた。
午後からはマイクに代わったが、彼は話をするどころか、私と目も合わせない。
一度だけ話しかけてみた。
だが、返ってきたのは冷たい言葉だった。
「口を開くな」
ただ、それだけ。
それきりマイクは後ろで腕を組んだまま、私が描くのを見張っているだけだ。
私が義父たちを選ぶように、マイクもまた、自分の命と家族を選んだ。
大切なものを守るためには、時に残酷な選択を迫られる。
だから、彼を責める資格など、私にはない。
私が生きて帰れば、彼は処刑台に立つのだから。
(・・・・・・さっきの音は何だったのかしら)
先ほど、一度だけ呼び鈴の音がかすかに聞こえた。
誰か訪ねてきたのか。
ーーそれとも助けがきたのか。
様子を探ろうと、トイレに行きたいと言ってみた。
一階に連れて行かれたが、その頃にはもう訪問者の姿はなかった。
思わずため息が漏れる。
地窓に細工することもできない。
外へ助けを求めることもできない。
私の命は、風前の灯火である。
このままでは、使い捨てられて終わりだ。
(・・・・・・まあ、絵に細工はするけどね)
ロドリックの思い通りには、絶対にさせない。
偽札とわかるように、月桂樹の葉の枚数を一枚だけ増やした。
もし私が偽札犯だと疑われても、脅されて描いたのだとわかるように。
わざと間違いを入れておく。
そうでもしなければ、義父たちが「犯罪者を出した家」だと、世間に後ろ指をさされてしまう。
たとえ帰れなくても。
それでも精一杯抗ったという証拠だけは残す。
ーーコツ、コツ、と足音が響く。
逃げ場のない静寂の中、その音だけが不気味なほど大きかった。
そっと音のする方へ目を遣ると、扉がゆっくり開いた。
入ってきたのは、ロドリックだった。
「どうだ?描けたか?」
「・・・・・・・・・・まだ、途中だけど」
ロドリックは、私が描いていた紙を取り上げる。
目を細めて、正規の紙幣と見比べている。
「ふぅん、いいじゃねぇか。やっぱり、やればできるんじゃないか」
「まだ、だめよ。これでは見破られるわ」
(・・・・・・中途半端だわ)
たとえ偽札でも、これが私の作品だと思われるのは耐えられない。
ロドリックはルーペを手に取り、細かい線をもう一度確かめ始めた。
細工が見破られるかもしれないと思うと、胸がきゅっと縮まる。
「・・・・・・まあ、これでもいいさ」
ロドリックは紙をひらひらと振った。
「満足できるものじゃないわ」
「それでもいいんだよ。偽札とばれないうちに、ぱっと使えばいいだけだからな」
(・・・なにか外で動きがあったのかしら?)
新聞も読めない。
会話も許されない。
外の情報を得る手段は、何もない。
ロドリックは眉を顰める私の顔を見て、にたりと笑った。
その笑いに、嫌な汗が背中に滲む。
「マイク、今日はもうここで上がっていいぞ」
「ああ」
「夕食も用意してあるから食べておけ」
「・・・わかった」
ほんの少しだけ、マイクの声に揺らぎを感じる。
もしかしたら助けてくれるのではないかと、わずかな希望が胸に灯る。
「テーブルの上に置いてある酒も飲んでいいから。高級な酒だから、美味いぞ」
「ありがとう」
「いいってことよ。何かあったら、必ず連絡しろ」
「ああ」
ロドリックの声には、わずかにマイクを案じる色が滲んでいた。
土壇場で裏切られることを警戒しているのだろうか。
「万が一の時は・・・わかっているだろうな?」
「大丈夫だ、わかってるよ」
(・・・・・・ねぇ、助けて)
諦めたはずなのに、まだマイクを信じたい自分がいた。
わずかな望みにすがるように、彼の強張った横顔を見つめる。
だが、彼は振り返ることもなく部屋を出て行った。
仕方なく、そっとポケットに手を入れる。
そこに隠していた彫刻刀を、指先で確かめた。
あまりにも頼りない、私の唯一の味方。
「さぁて、お嬢さん。これで邪魔者は消えたな」
「・・・・・・私を殺すつもり?」
「いいや。ちょっと仲良くしとこうと思ってな」
ロドリックの視線が、私の全身をなめるように這う。
目の奥に愉悦の色が浮かんでいるのを見て、ぶるりと背筋が震えた。
「まだ上の人に確認も取れていないのに、私が描けなくなったらどうするつもり?」
「あんたが気にすることじゃないさ」
「画家は必要よね?」
「いや、もういらないな」
その言い方で、はっきりわかった。
もう私は用済みなのだろう。
だが、何とか言いくるめないと、私は終わりだ。
「まだ下絵しか描けていないわよ」
「ああ、そうだな」
「銅板に転写しないといけないわよね?」
紙幣は、描いて終わりではない。
銅板に転写し、そこから彫らなければならない。
もしかして、その先は別の彫刻家にやらせるつもりなのだろうか。
「言っただろう。あんたが気にすることじゃないんだよ」
ロドリックは棚にある青の顔料を選び取り、無造作にポケットに突っ込んだ。
事情はわからないが、この男はこのままここを去るつもりなのだろう。
ーーもちろん、証拠を隠滅して。
(・・・マイクさんは、鍵は閉めていかなかったわよね)
さっき、鍵の閉まる音は聞こえなかった。
もしこの男を刺せば、まだ逃げられる可能性はあるだろうか。
隙を見て、刺して逃げる。
もうそれしか方法は残っていないように思えた。
「・・・・・・ねぇ、聞きたいことがあるんだけど」
「なんで俺が、あんたの言うことを聞かなきゃならない?」
どこまでも自分本位な男だ。
だからこそ、平気で人を殺せるのだろう。
「あなたに情けはないの?両親の死の真相も知らないまま死ぬなんて、あんまりじゃない?」
自分でも、信じられないほど悲痛な声が喉からこぼれた。
だが、その声が気に入ったのか、ロドリックは愉しげに目を細めた。
「お父様たちは、あなたが殺したの?」
「いや、俺は直接手を下していない」
「どういうこと?」
「強盗に見せかけて殺すつもりだったんだよ。でも俺が行ったときは、もう死んでいた」
(・・・・・・じゃあ、母の無理心中だった?)
あの日からずっと心に引っかかっていた。
事故だったのか。
それとも、母が父を巻き込んだのか。
「よっぽど酒が効いたんだろうな」
「・・・え?」
「ワインだよ。親父さん、土産に持って帰って来ただろう?」
確かにあの日、父は高級ワインとお菓子を持って帰ってきていた。
家を出る前、私は父と母がワインを飲んでいるのを見た。
「抵抗されたら面倒だからな。俺一人じゃ三人を相手にするのは無理だろう?だから、ちょっと眠ってもらうつもりで、ローダナムを入れたんだ」
何がおかしいのか、ロドリックは肩を震わせて笑った。
「でも、入れすぎたみたいだ」
「入れすぎ・・・」
「親父さん、顔が青白くなかったか?」
ローダナムの中毒。
義兄に見せてもらった医学書に書いてあった症状だ。
でも、あのときの父たちの顔色がどうだったか、私は思い出せない。
「こんなに効くならさ。わざわざあんな田舎まで行く必要はなかったのにな。とんだ無駄骨だったぜ」
喉が引き攣れる中、何とか声を絞り出した。
「・・・・・・どうして、殺そうとしたの?」
「あぁ?そんなの決まってるだろ。口封じだよ」
「父は・・・あなたに協力したんじゃないの?」
「いいや。儲け話があると言って連れて来ただけさ」
ロドリックは私の顔を覗き込み、にたりと笑った。
「あんたと同じで、最初は抵抗してた。でも、家族に危害を加えると言ったら、すぐ描いたよ」
唇を強く噛みしめる。
父はどんな気持ちで、偽札を描いたのだろう。
「・・・母を殺す必要はなかったんじゃないの?」
私のように、この場で殺せばいいだけの話だ。
どうして父を家に帰したのだろう。
母は、関係なかったはずだ。
「俺だって知らねぇよ。家族も殺せって、上からの命令だったんだ」
ロドリックはゆっくりと歩み寄り、私の首に手を添えた。
ーー以前にも、同じように喉を掴まれたことがある。
あのときは、恐怖に呑まれて、ただ必死に暴れることしかできなかった。
けれど今は違う。
怒り、憎しみ、悔しさ、悲しさーー幾つもの感情が胸の奥で渦巻く。
それでも、私は目を逸らさない。
この男の前で、無様な姿だけは、決して晒さない。
「あんたが生き残ったのは、計算外だ」
「・・・・・・上の人間って誰?」
「知りたいか?」
ロドリックがこれ以上もないほど愉しそうに唇を歪めた瞬間、上の階で何かが倒れる音がした。
「・・・・・・なんだ?」
ドタン、バタン、ドタン。
上の階から、鈍い物音が断続的に響いてきた。
誰かが激しく動き回っているーーそんな気配が伝わってくる。
「ここで待ってろ」
低い声でそう言うと、ロドリックは懐から拳銃を取り出し、駆け出した。
お読みいただきありがとうございます。
補足ですが、偽札作りでは細かな版の加工が必要になるため、部屋には彫刻刀が置かれていました。
とはいえ、本来は精密作業用の道具です。
刃物ではあるものの、対人用としてはなかなか心許ないですよね(笑)
誤字のご指摘をいただき、ありがとうございます。
本当に助かっています(>_<)
また、ブックマークや評価をしていただき、ありがとうございました。




